最近、福祉・介護業界の関係者で「講師」になりたいという希望をもつ人が増え、それらの人を対象にした「講師養成研修」なるものが都市部を中心に開催されているということを耳にした。同じような流れで「講演での話し方」というプログラムを含んだ研修もあって、結構人気があるらしい。

人前で話すということは、それを商売にしようとするならともかく、そうではない場合、自ら進んで売り込むようなものではなく、たまたま特定分野での実績や研究成果を残した結果について、請われて情報提供する機会が増える、という延長線上にあるものだろうと思う。保健・医療・福祉分野の専門職であれば特にそうだろう。だから大学教授等の教育者でない限り、最初から「講師になりたい」と考えること自体が僕には理解不能であるが、それを目指して「話し方」を習うという動機が生まれることにも驚きを感じている。
(※驚いているだけで、決してそれを目指すことや、学ぶことを否定しているわけではない。)

僕の場合は、現在のところ講演や講義という形で、人前で話をする機会にたまたま数多く恵まれているが、なぜそうなったのかという明確な理由は自分でもよくわからず、気がついてみればいつの間にかそういう機会が増えているだけである。自らそれを目指した、ということはない。

よって講演内容も話し方も、人から専門的に教わったことはなく、まったくの我流・ど素人である。

しかも自分でも自覚していることであるが、ぼくの「話ぶり」は決して誉められるレベルではなく、巧みではない。話術という観点からいえば落第だろう。時間に追われて「早口」になることも多いし、聞き取りにくいこともあるかもしれない。ここは治す努力はしているが、なかなか思うようにならない。

そもそも僕は「話し上手」ではなく、特に中学生時代には「吃音(きつおん:いわゆる、どもりである)」がひどかった。それは年と共に少しは改善したが、今でも時折、吃音が出ることがある。しかも(舌が短いのかもしれないが)なめらかに舌が回らず「活舌が悪い」という状態にも陥りやすい。「ひ」という言葉がうまく口から出ず、「し」と発音してしまうこともある。(※時折この原因が前夜の飲み過ぎである場合もあり恐縮至極である。

よって僕は、話し方の「テクニック」という部分に関して言えば、それは苦手の部類に入り、第3者が「話がきっとうまいのだろう」と考えているほど「話し上手」ではない。もちろん人前で話す以上、ある程度「聞きやすい」言葉であるように努力はするが、これを本業として生活の糧を得ているわけではないので、そのあたりは多少差し引いて考えていただき、ご勘弁願いたい。

勿論、人前で話をする機会が増えるということは、そのことに慣れてくることにもなって「緊張してしゃべれない」ということはないが、調子に乗って余計なこと言い過ぎる、という弊害も出てくるし、「慣れ」と「習熟」とは異なるので、なんの努力もしないで、人に伝わる話ができることにはならないから、このあたりは一応意識している部分もある。

僕は話すことが「上手くはない」と思っているので、講演等で一つだけ心がけていることがある。それは「上手く話す」ことではなく「自分の思いを伝える」ことである。両者は似て非なるもので、「流ちょうな話し方ができる」=「相手に言葉の意味や内容が伝わる」ということではない。言葉の中の思いが伝わるためには、その言葉に魂がこもっていなければならないと思う。特に僕が伝える内容は、社会福祉援助や介護サービスという目に見えないサービスの理念に関わる部分があるので、パワーポイントファイルにも表せない部分が大きい。ここをきちんと伝えないと単なる教科書の朗読に終わってしまう。

幸い、僕が期待される講演や講義の内容とは、僕が過去や現在において実践している福祉援助や介護サービスの内容に関するものがほとんどであるから、自ら行っていること、できることを話すことになるので、この部分でのリアリティは感じてもらえるのではないかと思う。それをうまく相手に伝えるためには話術以外の要素があろうと考えている。

だから僕の場合、講義や講演用の「原稿」は決して作らない。受講者の為に講義要旨をまとめた「抄録」を作っても、それを読み上げることはないし、場合によってはそこに書いた内容から大きく外れることも多い。その場合「抄録」の意味は、講演内容の要旨というより、講演で伝えきれなかった部分の補完として考えてもらうことにしている。(当然、講演ファイルは別に資料として作ってはいる。)

文章を朗読することは苦手ではないから、受講者の「聞きやすさ」という点では、あらかじめ決められた原稿を読んだ方が良いのかもしれないし、原稿を使ったからと言って「棒読み」に終わらせない自信はある。しかし所詮それは、思いがこもらない「文章」に過ぎなくなってしまう。意思疎通というのは相手があって初めて成立するもので、講演であっても、一方的に「しゃべる」だけではなく、そこにいる人々の表情や雰囲気を感じながら伝えたいことを言葉にするという考えが必要なんだろうと思っている。

熱く語り過ぎるのが難であるのもしれない。ただそれも僕の一面の真実であり、虚像を創ろうと思うことはない。僕は僕にしかなれないし、それ以下でもない。

冷静に淡々と話される方の講演はそれなりに素晴らしいが、そういうタイプばかりではなくてよいのではないだろうか。

ということで、僕の話を聞く機会がある方は、聞きづらい部分があっても、話が下手だなと思う部分があっても、それも個性だとポジティブに考えてもらいたい。・・・ちょっと都合が良すぎるか・・・。

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