昨日突然、悲報が飛び込んできた。
プロ野球日本ハム・ファイターズの小林 繁投手コーチの訃報である。
今日までの報道では、ドラフト会議史上「空白の1日」で有名な江川事件の渦中の人、あるいは現役選手時代、ジャイアンツとタイガースのエースとして活躍したことなどが大きく取り上げられているが、僕にとってはファイターズの現役コーチの突然死という意味の方が大きい。大変なショックである。死因は心不全らしいが、まったくそのような兆候もない健康な方であったと思える。それにしても57歳という年齢はこれからであり、あまりにも早すぎる死である。ご家族のお悲しみは察するに余りある。同時のその死は惜しんでもなお余りある。
小林コーチは、昨年のシーズンからファイターズの2軍投手コーチに就任して、今シーズンからは1軍の投手コーチを務める予定だった。日本一奪回のために絶対に必要な人材であり、チーム首脳陣のキーマンでもあった。
その手腕は今更言うまでもなく、昨年1年間でもしっかり「実績」を残している。
150キロ以上の速球を持ちながら1軍に定着できず、2軍戦でも泣かず飛ばずであったあった江尻投手の適性がサイドスローであることを見極め、フォーム改造を指令して、彼は1軍の中継ぎエース的な存在になった。
07年シーズン、ドラフト2位で大卒投手として即戦力の期待を集めて入団した糸数投手は、速球に力があるものの、コントロールに難があって結果が残せず、1軍に上がる機会さえつかめずにいた。その彼に対しても小林コーチがアドバイスしてサイドスローに変えたことによって、昨シーズン途中から救世主として1軍のローテーションに入り、クライマックスシリーズや日本シリーズでも立派に先発マウンドを務めるまでに成長した。彼も小林投手コーチとの出会いがなかったら、少なくとも09年シーズンの活躍はなかっただろう。
毎年、最も期待されているのに結果が残せていない左腕の須永投手も、サイドスローに転向した一人である。今シーズンは最初の1軍登板では勝利投手になれなかったもののライオンズを6回まで無安打に抑える投球をして才能の片鱗を見せた。その後不安定な投球から2軍落ちしてしまったが、オーバースローで結果が残せなかった彼が、来シーズン以降大化けする可能性は十分だ。
2010年シーズンは、小林投手コーチが手塩にかけて育ててきた投手の先頭に立ち1軍投手コーチとして、パリーグ連覇と日本一奪還を目標に燃えていたはずである。志半ばの無念の死であったろう。
高校時代は選手としては無名、大学受験には失敗し、デパートの呉服売り場の店員を経て、プロ野球の投手としての最高峰を極め、引退後は政界を目指し政党を結成し選挙に立候補(落選)したり、03年には事業経営の悪化から自己破産を経験したり、決してすべて順風満帆な人生ではなかったようである。太く短く駆け抜けた人生であったのだろうか・・。
それにしても本当に惜しい人を亡くした。残念である。現役投手としても、シーズンで13勝を挙げ、まだまだエースとして活躍できる31歳という若さでありながら「15勝できないとエースとして失格」という信念から「15勝できなかったら引退する」というシーズン前の発言を有言実行し引退したが、その死も、あまりに「潔すぎる死」ではなかったか・・・。
しかし小林繁という一野球人は、現役選手時代の雄姿とコーチ時代の実績と共に、すべてのプロ野球ファンの心の中に残り続けるだろう。心よりご冥福をお祈りしたい。
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プロ野球日本ハム・ファイターズの小林 繁投手コーチの訃報である。
今日までの報道では、ドラフト会議史上「空白の1日」で有名な江川事件の渦中の人、あるいは現役選手時代、ジャイアンツとタイガースのエースとして活躍したことなどが大きく取り上げられているが、僕にとってはファイターズの現役コーチの突然死という意味の方が大きい。大変なショックである。死因は心不全らしいが、まったくそのような兆候もない健康な方であったと思える。それにしても57歳という年齢はこれからであり、あまりにも早すぎる死である。ご家族のお悲しみは察するに余りある。同時のその死は惜しんでもなお余りある。
小林コーチは、昨年のシーズンからファイターズの2軍投手コーチに就任して、今シーズンからは1軍の投手コーチを務める予定だった。日本一奪回のために絶対に必要な人材であり、チーム首脳陣のキーマンでもあった。
その手腕は今更言うまでもなく、昨年1年間でもしっかり「実績」を残している。
150キロ以上の速球を持ちながら1軍に定着できず、2軍戦でも泣かず飛ばずであったあった江尻投手の適性がサイドスローであることを見極め、フォーム改造を指令して、彼は1軍の中継ぎエース的な存在になった。
07年シーズン、ドラフト2位で大卒投手として即戦力の期待を集めて入団した糸数投手は、速球に力があるものの、コントロールに難があって結果が残せず、1軍に上がる機会さえつかめずにいた。その彼に対しても小林コーチがアドバイスしてサイドスローに変えたことによって、昨シーズン途中から救世主として1軍のローテーションに入り、クライマックスシリーズや日本シリーズでも立派に先発マウンドを務めるまでに成長した。彼も小林投手コーチとの出会いがなかったら、少なくとも09年シーズンの活躍はなかっただろう。
毎年、最も期待されているのに結果が残せていない左腕の須永投手も、サイドスローに転向した一人である。今シーズンは最初の1軍登板では勝利投手になれなかったもののライオンズを6回まで無安打に抑える投球をして才能の片鱗を見せた。その後不安定な投球から2軍落ちしてしまったが、オーバースローで結果が残せなかった彼が、来シーズン以降大化けする可能性は十分だ。
2010年シーズンは、小林投手コーチが手塩にかけて育ててきた投手の先頭に立ち1軍投手コーチとして、パリーグ連覇と日本一奪還を目標に燃えていたはずである。志半ばの無念の死であったろう。
高校時代は選手としては無名、大学受験には失敗し、デパートの呉服売り場の店員を経て、プロ野球の投手としての最高峰を極め、引退後は政界を目指し政党を結成し選挙に立候補(落選)したり、03年には事業経営の悪化から自己破産を経験したり、決してすべて順風満帆な人生ではなかったようである。太く短く駆け抜けた人生であったのだろうか・・。
それにしても本当に惜しい人を亡くした。残念である。現役投手としても、シーズンで13勝を挙げ、まだまだエースとして活躍できる31歳という若さでありながら「15勝できないとエースとして失格」という信念から「15勝できなかったら引退する」というシーズン前の発言を有言実行し引退したが、その死も、あまりに「潔すぎる死」ではなかったか・・・。
しかし小林繁という一野球人は、現役選手時代の雄姿とコーチ時代の実績と共に、すべてのプロ野球ファンの心の中に残り続けるだろう。心よりご冥福をお祈りしたい。
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いつも拝見させて頂いております。
私は阪神ファンです。40代ですが気持ちだけは「野球少年」です。
あの「空白の1日」、当時小学生でしたが元チームに対する不平不満を一切言わない氏の姿に「潔さ」を感じました。
そして、元チームとの対戦では気迫のこもったピッチングで「男の意地」を見せてくれました。
某CMで2人が共演しているのを初めて見たとき、胸に熱いものがこみ上げてきました。
色々なものをお互い長い間背負っていたんだなぁ・・・と。
今は心からご冥福をお祈りしたいと思います。そして、氏が育てた選手達が成長していくのを楽しみにしています。