1/30・31に埼玉県で行う2つの講演会が僕の今年最初の道外講演となる。両日のテーマはそれぞれ異なり、30日は「介護職員に求められる資質を考える〜介護の常識を問い直そう〜」、31日は「認知症の症状と対応〜心を見つめるケアの方法論〜」としている。

その講演で使うファイルは事務局の準備の関係があり、昨年12月の初めに作って送付し終わっている。そしてそれ以後は今週末と2月下旬に行う講演のファイル作りに頭を切り替えた。両者ともケアマネジメントやケアプランに関する講演なので、埼玉の講演内容とはまったく異なる内容であるため、一旦今月末の講演内容は忘れて、そちらに専念していた。

しかし時期的に考えると、そろそろ今月末の講演内容に頭を再び切り換えようと思う。そこで今日はウォーミングアップの意味を含め、両日の講演テーマに関連した記事を書くことにする。

認知症高齢者グループホームの法律上の正式名称は「認知症対応型共同生活介護」である。

ここで謳っている「共同生活」という文字が本来このサービスの理念を現わすもので、これは単に「一緒の住居に暮らす」という意味ではない。その本当の意味は、認知症という症状になって、記憶や見当識が徐々に失われ、そのことによって昨日までできていたことができなくなっても、できることを見つけ出して、その能力を使う場面を共同生活住居の中で続ける、という意味であり、利用者が共同で「暮らし」を営む、という意味である。

そのことについては、省令34号「指定地域密着型サービスの事業の人員、設備及び運営に関する基準」の第97条2項では「指定認知症対応型共同生活介護は、利用者一人一人の人格を尊重し、利用者がそれぞれの役割を持って家庭的な環境の下で日常生活を送ることができるよう配慮して行われなければならない。」という形で、さらに98条第2項では「認知症対応型共同生活介護計画の作成に当たっては、通所介護等の活用、地域における活動への参加の機会の提供等により、利用者の多様な活動の確保に努めなければならない。」と明文化している。

利用者が「役割」を持ち「多様な活動が確保される」こと、すなわち「できることを続けられる支援」が重要なのだ。

よってグループホームの職員の支援とは、行為や動作を手助けするだけではなく、ケアパートナーとして、利用者のできることを続けられるように「何がしたいのか」「何が可能なのか」を生活の中で見つけ出すことである。

前述したように、認知症の方々は、その症状が進行するにつれ様々なことができなくなってくる。認知症とはそうしたできる行為を失うことによるショックが継続する症状なのである。そのことが本人にとって様々な混乱を招き精神不安定を引き起こし、妄想などの心理症状や徘徊などの行動症状となって現われるものであり、この心理・行動症状がBPSDと呼ばれるのである。

しかし様々な行動ができなくなると言っても、全ての行動を一気に失ってしまうわけではなく、保たれている機能も必ずあるのだ。食事の味付けができなくなるからと言って調理動作ができている人から「調理機会」をすべて奪ってしまえば、それは認知症を廃用によって進行させる元凶になる。調理の動作が困難になっても、その中の野菜を洗う、という行為ができているのであれば、このことだけでもできる限り続けることで、人としての役割を持って「生きる」という喜びを感じることができる。つまり認知症という症状を持っていても、人間らしく暮らすことができる、というのが役割を持って生活する意味である。

特に高齢者に女性が多いことから、この役割について家事の中にそれを求めることは有効な手段になるため、グループホームにはあえて調理の専門家や、掃除の専任職員を置かずに、介護職員が利用者を手助けしながら、それを行う、というソフトが作られている。

しかし昨今のグループホームは、その数が増え、建物も立派で豪華になってきているが、その中で日がな1日何もすることがなく過ごしている利用者が増えているように思う。職員だけで調理や後片付けを終えてしまうホームが増えているし、調理の手伝いをしている場合でも特定の利用者が一人か二人といった共同住居が多くなっている。その理由は「重度化」という一言で片づけられ「だんだんできる人が減ってきて〜」と嘆く職員が増えているが、本当に「何もできない」人が増えているんだろうか?

調理や盛り付けだって、そのごく一部ができる人は多いはずだが、忙しい「業務」の中で、それを探す労力が削られていないのか?調理の手助けにならない行為は排除していないか?手伝ってもらうことによって、逆に家事としては効率が下がっても、そこに利用者の役割が生ずることが意味あることだということを忘れてはいないだろうか?

認知症の方にとって、できないことを無理に続けることは混乱要素でしかないが、できることを見つけ出して続けられるということは大切なことなのだ。しかし認知症という状態にある人は、自分でそれを見つけたり、訴えたりすることはできない。

だから周囲の第3者がそれを探す援助が不可欠である。それがユニットケアの目的であり「生活支援型ケア」と呼ばれるソフトの方法なのである。

グループホームは単に認知症高齢者を集めて、少人数対応でケアサービスを提供する「器」ではないということをもう一度考えてみる必要があるのではないだろうか。

介護・福祉情報掲示板(表板)

(↓1日1回プチッと押してね。よろしくお願いします。)
人気blogランキングへ

にほんブログ村 介護ブログ

FC2 Blog Ranking
(↑上のそれぞれのアドレスをクリックすれば、このブログの現在のランキングがわかります。)