赤エゾ松北海道に住んでいると、雪は生活障害そのものであるが、同時にクリスマスに雪のない風景には違和感を持ってしまう。生活に様々な不便を生じさえる雪を、心のどこかで待ち望むという矛盾がある。
(参照:ぷわり、ぷわりPUWARI・PUWARI

僕の思い出の中では、高校1年生の冬が根雪となった時期が一番遅くて25日のまさにクリスマスまで雪がなかった記憶がある。

就職するまでは北海道でも豪雪地帯と呼ばれる下川町や岩見沢市に住んでいたのに、やはりこの時期の雪はある意味「恋しかった」のである。今住んでいる登別市というのは、北海道でも太平洋側で、雪は比較的少ない地域である。しかしここに住んで20年以上経つが、クリスマスに雪景色になっていなかった記憶はない。今年は11月の後半に一度街が雪化粧した後、一旦それがすべて溶けて、その後は雪の訪れが遅かった。しかし昨晩あたりから本格的な雪になり、街の景色が一晩ですっかり変わっている。今年もやはり「白い聖夜」になるようだ。やはり北海道の冬は白い冬が似合う。

貼り付けた画像は、今朝の当施設・屋外ステージ前広場の風景である。
※クリックすると画像は拡大します。

左下のログハウスが屋外ステージだが、その屋根よりはるかに高くそびえたっている「えぞ赤松」の葉に「雪の華」が咲いている。この松は、当施設が開設した昭和58年に、常陸宮妃殿下が来園された折に記念植樹とて植えられた「松」である。当時わずか数十センチしかない苗木であったのに、今では空高くそびえたっている。この松の成長が施設の歴史とかぶっているのである。

しかし果たして我々のサービスが、地域の人々に木陰のような優しさや、雨風を防ぐ枝葉になっているかということは永遠のテーマである。

前述したように、北海道の冬は厳しい。それに加えて地域の住民の高齢化は、その不便に拍車をかけている。年々暮らしが不便になってくる高齢者世帯が増えている。厄介なことに、その不便から生活に支障をきたしている高齢者自身は、そのことに気がつかず、発見された時には悲惨な状況に陥っているケースも右肩上がりに増えている。地域の中で「声なき声」に対していかに耳を澄まし、訴えなき生活障害を発見するのかが、今後の地域福祉の大きな課題である。老老介護や認認介護は既に身近な問題である。

介護保険制度などの公的支援でカバーされていないサービス。例えば自宅の敷地の除雪は、地域独自のサービスがなく、家族以外のインフォーマルな支援がない地域では、自己責任で対応せねばならない。そのため玄関から道路までの除雪ができないことで、冬場の外出が不可能と諦めている高齢者世帯では、ひと冬の「社会的要因により強いられた引きこもり」によって、認知症と身体機能の廃用がセットで進行してしまうケースがある。

こうした部分の福祉援助を「ローカルな判断」でしか対応できない状況が正しいのかどうなのかという検証は、国レベルではまったく行われていない。これで超高齢社会は支えていけるのだろうか?

財政事情から、保健・医療・福祉サービスには「これ以上費用がかけられない」という。しかしニーズは間違いなく増大しているのである。ここにどう対応していくのか、このことについて我が国の政治の行方は極めて不透明で、長期的ビジョンは庶民からは見えない。これが最大の社会不安要因だろう。

小さな政府で保健・医療・福祉サービスを切り捨てて行くのか、高福祉高負担社会をやむを得ないとするのか、あるいは第3の道として、(医療を含めた)社会福祉を充実した小さな政府、という理論が成り立つのか、そういうことを国民的な議論としていく必要があるだろう。

今年1年もあっという間に過ぎて行くが、今この国は、1年を重ねるごとに、高齢者数が増加して、福祉ニーズが増加し、その中身も複雑化しているという事実から目をそむけてはいけない。

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