人はどこで死ぬべきなのか、どこで最期の時を迎えるべきなのか、その答えは単純ではない。
その人にとって「最期の時間を過ごす場所」として最良の場所がどこなのかは、その人の置かれた様々な状況、例えば個人的な死生観・価値観・病状・生活環境・家族関係によっても異なってくるだろうし、経済状況も影響してくるだろう。
人によっては、それが在宅であるかもしれないし、介護施設であるのかもしれない。医療機関の場合であっても、一般病棟であるかもしれないし、ホスピス病棟(緩和ケア病棟も含む)であるのかもしれない。
要は場所が問題ではなく、選択できるか否かが問題なのであり、選ぶことができるという前提条件として、選ばれる場所がきちんとした理念に基づいた一定レベル以上の看取りの体制を持っていることが重要なのである。
今我が国の現実としては、82%の国民が医療機関で亡くなっており、在宅死は12.3%であり、介護施設での死はわずか2.5%にしか過ぎない。しかもこの数字は単に死を迎える場所の割合でしかなく、そこで本当に「看取られている」という実態があるのかどうかは別問題である。
それにしても、医療機関と在宅の死を迎える割合が、これだけ大きな差がある現状や、介護施設での死が2.5%しかない現状は、実質的に最期を過ごすことができる場所の選択が狭められている実態を現わしている。しかし国民全体の死者数が増え続ける現状では、今年中に日本人の死者数は150万人を超える勢いであり、2020年を待たずして、その数は年間200万人を突破する可能性さえある。一方では医療機関の病床数は減少カーブに向かっているのだから、いずれこの比率は、好む好まざるに関わらず変わらざるを得ない。医療機関で死ぬことができる人が減ってくるという意味である。
その時に、在宅や介護施設で、きちんとした看取りができる体制を社会全体で作っていくことは必然の国民ニーズであるし、特養であればそれは終生施設としての社会的使命である。
医療機関でも、ホスピスという概念が広まって、末期がんの場合、死期が近づけば一般病棟から、最期の時を迎えるためにホスピス病棟に移動して最期の時を送るというケースが増えている。
その中で介護施設での看取り介護の意味を考えた時、それは医療機関と決定的に違うところは、治療の場で結果的に亡くなったり、最期の看取りの場所として日常の生活の場から離れてそこに移るのではなく、「介護施設」という生活の場が、そのまま「看取りの場」となるという特徴がある。
ある意味それは在宅死と同じ状態であると言えるが、同時に医師や看護スタッフ、介護スタッフが配置されているという意味では在宅との違いがある。
このことを我々はポジティブな側面としてとらえ、生活の場と看取りの場が同一であるということは、以前からの生活の延長線上に看取りの時期があり、生活の連続性が途絶えない状況で看取ることができると考えるべきである。
なぜならホスピス・緩和ケアに関する意識調(日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団)によれば、「残された時間をどう過ごしたいか」という問いでは、死期が近い場合、若い世代では、これまでできなかったことをしたいと考えるのに対し、高齢者はこれまでと変わらない生活スタイルを望む傾向にあることがわかっているからである。そうすると、看取りの時期であるからといって何か特別なエピソードを作ることより、安心して普段の生活が続けられることを主眼に置くことが大事で、逆に言えば高齢者の場合は、死を迎えるために生活場所が変わってしまうこともストレスになる可能性が高いということになり、看取り介護として専門的なケアを受けることができて、なおかつ生活場所が変わらない介護施設は十分そのニーズに応えることができる下地があるといってよい。
そしてそのメリットは、長く生活支援に当たっていたスタッフが、そのまま看取り介護としての支援にも携われるという意味であり、最終ステージで看取り介護対象者が意思表出をできなくなったとしても「最期までその人らしく生きる」暮らしを作るためには、その人らしさとはないかを日ごろの生活をよく知る施設スタッフが、代弁できる可能性が高いことをも意味している。
そういう代弁者となり得る日ごろの関わりが重要だし、その思いを想像して実現するスタッフの関わりが求められているのである。
単に介護施設だから看取りの場にふさわしいのではなく、そういう機能を生かす視点を持つスタッフにより、そのことは実効性のあるものになるであろう。
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その人にとって「最期の時間を過ごす場所」として最良の場所がどこなのかは、その人の置かれた様々な状況、例えば個人的な死生観・価値観・病状・生活環境・家族関係によっても異なってくるだろうし、経済状況も影響してくるだろう。
人によっては、それが在宅であるかもしれないし、介護施設であるのかもしれない。医療機関の場合であっても、一般病棟であるかもしれないし、ホスピス病棟(緩和ケア病棟も含む)であるのかもしれない。
要は場所が問題ではなく、選択できるか否かが問題なのであり、選ぶことができるという前提条件として、選ばれる場所がきちんとした理念に基づいた一定レベル以上の看取りの体制を持っていることが重要なのである。
今我が国の現実としては、82%の国民が医療機関で亡くなっており、在宅死は12.3%であり、介護施設での死はわずか2.5%にしか過ぎない。しかもこの数字は単に死を迎える場所の割合でしかなく、そこで本当に「看取られている」という実態があるのかどうかは別問題である。
それにしても、医療機関と在宅の死を迎える割合が、これだけ大きな差がある現状や、介護施設での死が2.5%しかない現状は、実質的に最期を過ごすことができる場所の選択が狭められている実態を現わしている。しかし国民全体の死者数が増え続ける現状では、今年中に日本人の死者数は150万人を超える勢いであり、2020年を待たずして、その数は年間200万人を突破する可能性さえある。一方では医療機関の病床数は減少カーブに向かっているのだから、いずれこの比率は、好む好まざるに関わらず変わらざるを得ない。医療機関で死ぬことができる人が減ってくるという意味である。
その時に、在宅や介護施設で、きちんとした看取りができる体制を社会全体で作っていくことは必然の国民ニーズであるし、特養であればそれは終生施設としての社会的使命である。
医療機関でも、ホスピスという概念が広まって、末期がんの場合、死期が近づけば一般病棟から、最期の時を迎えるためにホスピス病棟に移動して最期の時を送るというケースが増えている。
その中で介護施設での看取り介護の意味を考えた時、それは医療機関と決定的に違うところは、治療の場で結果的に亡くなったり、最期の看取りの場所として日常の生活の場から離れてそこに移るのではなく、「介護施設」という生活の場が、そのまま「看取りの場」となるという特徴がある。
ある意味それは在宅死と同じ状態であると言えるが、同時に医師や看護スタッフ、介護スタッフが配置されているという意味では在宅との違いがある。
このことを我々はポジティブな側面としてとらえ、生活の場と看取りの場が同一であるということは、以前からの生活の延長線上に看取りの時期があり、生活の連続性が途絶えない状況で看取ることができると考えるべきである。
なぜならホスピス・緩和ケアに関する意識調(日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団)によれば、「残された時間をどう過ごしたいか」という問いでは、死期が近い場合、若い世代では、これまでできなかったことをしたいと考えるのに対し、高齢者はこれまでと変わらない生活スタイルを望む傾向にあることがわかっているからである。そうすると、看取りの時期であるからといって何か特別なエピソードを作ることより、安心して普段の生活が続けられることを主眼に置くことが大事で、逆に言えば高齢者の場合は、死を迎えるために生活場所が変わってしまうこともストレスになる可能性が高いということになり、看取り介護として専門的なケアを受けることができて、なおかつ生活場所が変わらない介護施設は十分そのニーズに応えることができる下地があるといってよい。
そしてそのメリットは、長く生活支援に当たっていたスタッフが、そのまま看取り介護としての支援にも携われるという意味であり、最終ステージで看取り介護対象者が意思表出をできなくなったとしても「最期までその人らしく生きる」暮らしを作るためには、その人らしさとはないかを日ごろの生活をよく知る施設スタッフが、代弁できる可能性が高いことをも意味している。
そういう代弁者となり得る日ごろの関わりが重要だし、その思いを想像して実現するスタッフの関わりが求められているのである。
単に介護施設だから看取りの場にふさわしいのではなく、そういう機能を生かす視点を持つスタッフにより、そのことは実効性のあるものになるであろう。
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私の施設でもこれまで数人看取り介護をさせてもらいました。
家族の協力もあり、また老衰だったということもあり、安らかにみとることができました。
しかし、特養で看取りをするには限界があると思います。癌を患われた方の看取りの時は、あまりにも疼痛がひどかったので、最後には病院に移させていただきました。
日中なら嘱託医や看護師がいるので対応できるのですが・・・。
masaさんの施設では、疼痛に対しての対応はどうされましたか?