特養は介護保険制度以後、措置施設から契約施設に変更になり、通常の入所は措置入所ではなくなった。

しかし措置という取り扱いがまったくなくなったわけではなく、平成12年の介護保険制度施行に関わる改正後の老人福祉法第10条の4第1項・第11条第1項第2号において、訪問介護・通所介護・短期入所生活介護・認知症対応型共同生活介護・介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)について、やむを得ない事由により介護保険給付を利用することが著しく困難であるときは、市町村が措置をとる仕組みを存続させている。

「やむを得ない事由」としては、
1.本人が家族等の虐待又は無視を受けている場合
2.認知症その他の理由により意思能力が乏しく、かつ、本人を代理する家族等がいない場合

が挙げられている。つまり、居宅サービス利用にも措置があることで理解できるように、この措置の存続という意味は、現在の養護老人ホームや介護保険以前の特別養護老人ホームの措置費制度とは異なり、単に全額措置費で行政処分により入所させるという意味ではない。

現在の特養への措置入所とは、虐待などの被害を受けている高齢者を措置という行政処分で特養に入所させるが、介護給付費は通常通り施設に対して支払われ、利用者の1割負担分等を「措置費」として市町村が支弁するというものである。そして「やむを得ない事由」がなくなった場合は、措置も解除されるという意味である。

ところで、この措置入所。介護保険制度開始当初は、なかなか市町村が動いて措置に結びつけるケースがなく、あっても使えない制度のように考えられていたが、虐待事例などを中心に措置入所するケースが徐々に増えている。やむを得ないケースに、適切に措置入所で対応するのは市町村に課せられた義務なのだから、動きの鈍い地域では、介護支援専門員など関係者がソーシャルアクションとして、市町村に積極的に働きかけるべきである。そういう責任も我々には求められている。

ところで虐待ケースを担当する介護支援専門員の中に、この措置入所を「本来回避すべき手段」とか「最終的に仕方ない手段」と考えて、できれば措置入所はさせたくないと考えている人々が存在する。虐待ケースでもなんとか軽度で済んでいるので、生命に関わるような状況ではないとして「措置入所までは考えない。」という考え方である。

このことは大変な誤解である。措置入所とは何も最終手段に限ったものではないし、必要な場合には緊急一時的な対応手段として使うべき制度なのだ。もちろん在宅で支援し続けられるなら、それを否定するものではないが、そこに「多少の暴力や暴言、介護拒否で身体的にさほど問題とならないのなら、まだ猶予があるだろう。」という考えが少しでもあれば、それは大きな間違いである。

行政処分という形で、家族の意向を無視して入所させることで、家族関係をさらに悪化させ、家族自身にも精神的に深い傷を負わせる、と考える向きもあるが、その考え方は優先順位を間違っている。

現実に虐待を受け、身体的・精神的に痛みを与えられている人が存在する状況を、どの程度まで「我慢させることができる」と考えているのだろうか?それとも「多少の痛みなら耐えられる」とでも思っているんだろうか?

子供等の家族から虐待を受けている場合はなおさら、表面に現われない深刻な問題が隠されている場合が多いのである。ぎりぎりのところまで引っ張って、取り返しのつかないことになったらどうするのだろう? そこには生命の危険まではないのかもしれないが、実際に「痛い思い」「つらい思い」を日常的にさせられている高齢者自身の存在があるのだ。こういう人々に早急に一時避難できる場を考えられない支援者であってよいのだろうか。

つまり虐待とは程度によって問題が軽かったり、重かったりするわけではなく、虐待されているという事実そのものが重大な問題なのだという認識が必要なのである。

児童の場合であれば、このようなケースは児童相談所の一時保護で対応するケースは多い。一旦家族等との距離を置く、ということが考えられる。

虐待している当事者も、なにも虐待したいというわけではなく、自分が抱える様々なストレスや障害によって、やむを得ず虐待に至っている場合が多い。そうした状況には冷却期間が必要だし、一時的でも両者の距離を置くという対応が不可欠であるからだ。

ところがこれが高齢者になると、親だから子供がそこまでしないだろうとか、命に関わらない限り何とかなるだろう、とされて緊急的対応がされないケースが実に多い。虐待を受けている当事者は高齢に加え、認知症などがあるなどして、自らの危機を適切に訴えられないこともあり、そのことが関係者の問題意識を薄れさえている。しかし実際にそういう高齢者が虐待を受けているまさにその瞬間には、心も体もボロボロにされているのである。そういう状況をまずなくさないで、何が支援なのだろうか?

虐待被害の事実を訴えない高齢者や、事実があっても対応しなくてよいと訴える虐待被害者は、虐待を行っている当事者をかばっているというより、虐待を受けている悲惨な状況を訴える能力に支障があるか、現実場面のことを忘れてしまっている場合がほとんどで、虐待を受けているその瞬間には「助けて」と心の底から叫んでいる場合が多いのである。このことに思いを寄せられない支援者であってはいけない。

措置入所であるといっても、その後一生入所し続けなければならないなんてことはなく、問題の解決方法が見つかれば、措置解除して元の生活に戻ることも可能なのである。

措置入所を回避したがる背景には、介護保険制度で「居宅サービスが中心」という考え方が背景にあり、施設サービスが「必要悪」のような印象を与えているということも一因としてあるんだろう。しかし地域福祉の両輪は「居宅サービス」と「施設サービス」であり、どちらが欠けても地域福祉は成立せず、施設サービスはセーフティネットとして「居宅で頑張って生活していたけれど、それが限界に達した。あるいは何らかの理由でそれが難しくなった。」という時に、自宅や家族に代わって支援する「高齢者の新たな住まい」という意味があるのだ。

措置入所することが家族関係を断つことでも、利用者自身の生活の質を低下させることでもない。現に虐待ケースでは、虐待されている人が施設入所した後に、虐待をしていた親族が自分を見つめ直し、長い時間をかけて家族関係が修復され、入所前よりよい状態に変化するケースが数多くある。

何より虐待を受けている高齢者自身が、そういう生活から解放され表情が変わる。生活の質がどちらが上かは、その表情が全てを物語っている。

少なくとも措置入所という方法を、最終的なやむを得ない手段として「限定的」に考えるのは間違いである。

「虐待」を受けている当事者の身を自分に置き換えて考えた場合、今現実に何らかの形で体や心に傷をつけられ、怖い状況が存在しているときに、その状況がなくなるように具体的に動いてくれない支援担当者などいらない。この程度なら大丈夫ではなく、その程度でも「あってはならない状況」というものが存在することを知るべきでる。

理想を追い、理念だけを先行させても痛みは消えないのである。

介護・福祉情報掲示板(表板)

(↓1日1回プチッと押してね。よろしくお願いします。)
人気blogランキングへ

にほんブログ村 介護ブログ

FC2 Blog Ranking
(↑上のそれぞれのアドレスをクリックすれば、このブログの現在のランキングがわかります。)