昨日書いた記事の続編を急遽書くことにした。
とういうのも「施設やサービス事業所で職員がおしゃれしている方が、利用者も居心地が良いのではないか。」と書いたところ、おしゃれとは個人の嗜好の問題で、その価値観には個人差があるから収拾がつかなくなる恐れがあり、逆に「おしゃれ」という名のもとに服装の乱れがおきるのではないかという意見が送られてきた。
ある意味、その意見は正しい。そういう意味では僕の記事にも「言葉足らず」の部分があったと思う。ただ記事の中で僕はおしゃれの前提条件を「こぎれい」と条件づけていることだけは言い訳しておきたい。
つまり昨日の記事の中で僕が論じているのは、あくまで「職場の服装」であり、プライベートな場所との区分、TPOに応じた対応は当然あってしかるべきというのが前提である。
おしゃれであると自分が思っていれば、どんな服装でもよいという意味ではなく、そこには「職場としてふさわしい服装。」という常識があるという意味で、プライベートの服装の趣味をそのまま職場に持ち込んでよいという意味ではない。
こう書くと「では、職場としてふさわしい服装とは何なのか?」という疑問が当然出されるであろう。
僕はこのことのヒントを、先に国連総会やG20首脳会議(金融サミット)など5日間の訪米で外交デビューした鳩山首相に同行した幸夫人の服装に対する言葉からもらいたいと思う。
記者団に訪米の際の様々なレセプションに出る際の服装について問われた幸夫人は「何より相手に失礼がないような服装に心がけました。」と述べている。
我々の介護サービスは間違いなく「対人援助サービス」であり、顧客として利用者が存在するのであるから、自らの職業上の服装も、おしゃれであって相手に好ましく思われるものであることが大事で、自己満足だけで相手に不快感を与えるような服装では駄目だということだ。相手に不快感を与えない、失礼と思われない範囲で「おしゃれ」に努めるべきだと思う。
僕は講演会等で全国の色々な場所にお邪魔するが、基本スタイルはスーツにノーネクタイである。
講演を聞きに来られる方々はラフな服装の人が多いし、こちらがあまりフォーマルな服装だと、固苦しく感じるのではないかと思う。特に夏の沖縄や九州では、スーツにネクタイはあまりに暑苦しく感じられるだろうと思うから、ネクタイは意識的にしないようにしている。
しかし一方、あまりラフな服装であれば、主催者の方も戸惑うだろうし、講演を聞きに来る方も、そのことに不快感を持つ方がいるかもしれないので、最低限スーツを着るということは自らに課した義務にしている。
先日テレビに出演する前に、番組担当ディレクターの方が施設に取材に来られた際には、僕はクールビズという意味もあって、施設内でもネクタイはつけていなかったし、スーツの中もワイシャツではなかったが、その際にテレビに出る時も服装はどんなものでも構わないと言われた。
しかし共演者が、共産党の国会議員である小池さんと、シーズネット代表の岩見さんであることがわかっていたから、彼らのキャラからして、スーツでネクタイ姿以外はあり得ないことは容易に想像できたので、僕だけがノーネクタイであれば失礼だと思い(ちなみに年齢的に言えば、小池議員と僕は同い年、岩見さんは僕の先輩に当たる)スーツにネクタイ姿で出演した。
こうしたTPOに応じた対応は人間社会で円滑なコミュニケーションを交わしていく上では必要な「心づかい」であると思うし、職場であれば当然、公私の区分を意識したある程度の規律意識は持つべきである。それは職場内の人間関係を円滑にする条件でもあるし、対人援助であれば、顧客に対する最低限のマナーであろうと思う。
こういう常識が理解されないから、介護サービス現場における「脱、制服」が進まないのだろうと思う。ユニホームを廃止して、服装を自由化した途端に常識外れの「いでたち」で、利用者や外来者を困惑させる従業者が現われるのではないか?という心配が、個性のない制服で最低線を守ろうとする保守的考えの殻を破れないのである。
実際に、ユニホームという考え方が薄いグループホームなどでは、服装の自由を勘違いした職員による弊害が見られる例がある。
とあるグループホームでは、ほとんどの職員がジーパンにTシャツやポロシャツ姿である。それは良いとして、その中の一人の職員のジーパンが、今はやりの、ところどころ破れたジーパンであった。僕から見ればちっとも格好よくないし、むしろ「汚い」と思えるような姿である。
ところでそのホームの利用者、当然その方も認知症の方であるが、一人の女性利用者が、その職員に「ズボンが破れてるから取り換えれ。」「わしが縫ってやるから脱げ。」と何度も同じ話をしている。
これをコミュニケーションのよいきっかけだなどと考えるのは大きな間違いである。その女性利用者は、あきらかに「破れたズボン」を履いている人間が近くにいることに違和感を持ち、それはあり得ないことだと意思表示しているのである。これは認知症高齢者にとってはBPSDを引き起こす「混乱要素」以外のなにものでもない。つまりそういう服装をしていること自体が、特定の認知症高齢者にとっての生活障害であり、突き詰めると、その職員の存在そのものが混乱要因、生活障害となっているという意味である。これは重大な問題である。
これは何も難しい問題ではなく、突き詰めれば利用者に対する、支援者としての「心づかい」の問題であり、その配慮の根底には「社会人としての常識」があるかないかという基本姿勢の問題なのである。
他人に対して「失礼がないように配慮する」という心づかいのないサービス援助であってはならないという当然の意識が、職場での「おしゃれ」の基本的な考え方にもなければならない。
それは当然、髪の毛の色や爪の色、アクセサリーなど身だしなみ全般に及んで考えられるべき問題だろうと思う。
少なくとも職場でのおしゃれは、清潔感があって、大多数の人々から好感が得られるということに基準を求める必要があるのではないかと思う。
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とういうのも「施設やサービス事業所で職員がおしゃれしている方が、利用者も居心地が良いのではないか。」と書いたところ、おしゃれとは個人の嗜好の問題で、その価値観には個人差があるから収拾がつかなくなる恐れがあり、逆に「おしゃれ」という名のもとに服装の乱れがおきるのではないかという意見が送られてきた。
ある意味、その意見は正しい。そういう意味では僕の記事にも「言葉足らず」の部分があったと思う。ただ記事の中で僕はおしゃれの前提条件を「こぎれい」と条件づけていることだけは言い訳しておきたい。
つまり昨日の記事の中で僕が論じているのは、あくまで「職場の服装」であり、プライベートな場所との区分、TPOに応じた対応は当然あってしかるべきというのが前提である。
おしゃれであると自分が思っていれば、どんな服装でもよいという意味ではなく、そこには「職場としてふさわしい服装。」という常識があるという意味で、プライベートの服装の趣味をそのまま職場に持ち込んでよいという意味ではない。
こう書くと「では、職場としてふさわしい服装とは何なのか?」という疑問が当然出されるであろう。
僕はこのことのヒントを、先に国連総会やG20首脳会議(金融サミット)など5日間の訪米で外交デビューした鳩山首相に同行した幸夫人の服装に対する言葉からもらいたいと思う。
記者団に訪米の際の様々なレセプションに出る際の服装について問われた幸夫人は「何より相手に失礼がないような服装に心がけました。」と述べている。
我々の介護サービスは間違いなく「対人援助サービス」であり、顧客として利用者が存在するのであるから、自らの職業上の服装も、おしゃれであって相手に好ましく思われるものであることが大事で、自己満足だけで相手に不快感を与えるような服装では駄目だということだ。相手に不快感を与えない、失礼と思われない範囲で「おしゃれ」に努めるべきだと思う。
僕は講演会等で全国の色々な場所にお邪魔するが、基本スタイルはスーツにノーネクタイである。
講演を聞きに来られる方々はラフな服装の人が多いし、こちらがあまりフォーマルな服装だと、固苦しく感じるのではないかと思う。特に夏の沖縄や九州では、スーツにネクタイはあまりに暑苦しく感じられるだろうと思うから、ネクタイは意識的にしないようにしている。
しかし一方、あまりラフな服装であれば、主催者の方も戸惑うだろうし、講演を聞きに来る方も、そのことに不快感を持つ方がいるかもしれないので、最低限スーツを着るということは自らに課した義務にしている。
先日テレビに出演する前に、番組担当ディレクターの方が施設に取材に来られた際には、僕はクールビズという意味もあって、施設内でもネクタイはつけていなかったし、スーツの中もワイシャツではなかったが、その際にテレビに出る時も服装はどんなものでも構わないと言われた。
しかし共演者が、共産党の国会議員である小池さんと、シーズネット代表の岩見さんであることがわかっていたから、彼らのキャラからして、スーツでネクタイ姿以外はあり得ないことは容易に想像できたので、僕だけがノーネクタイであれば失礼だと思い(ちなみに年齢的に言えば、小池議員と僕は同い年、岩見さんは僕の先輩に当たる)スーツにネクタイ姿で出演した。
こうしたTPOに応じた対応は人間社会で円滑なコミュニケーションを交わしていく上では必要な「心づかい」であると思うし、職場であれば当然、公私の区分を意識したある程度の規律意識は持つべきである。それは職場内の人間関係を円滑にする条件でもあるし、対人援助であれば、顧客に対する最低限のマナーであろうと思う。
こういう常識が理解されないから、介護サービス現場における「脱、制服」が進まないのだろうと思う。ユニホームを廃止して、服装を自由化した途端に常識外れの「いでたち」で、利用者や外来者を困惑させる従業者が現われるのではないか?という心配が、個性のない制服で最低線を守ろうとする保守的考えの殻を破れないのである。
実際に、ユニホームという考え方が薄いグループホームなどでは、服装の自由を勘違いした職員による弊害が見られる例がある。
とあるグループホームでは、ほとんどの職員がジーパンにTシャツやポロシャツ姿である。それは良いとして、その中の一人の職員のジーパンが、今はやりの、ところどころ破れたジーパンであった。僕から見ればちっとも格好よくないし、むしろ「汚い」と思えるような姿である。
ところでそのホームの利用者、当然その方も認知症の方であるが、一人の女性利用者が、その職員に「ズボンが破れてるから取り換えれ。」「わしが縫ってやるから脱げ。」と何度も同じ話をしている。
これをコミュニケーションのよいきっかけだなどと考えるのは大きな間違いである。その女性利用者は、あきらかに「破れたズボン」を履いている人間が近くにいることに違和感を持ち、それはあり得ないことだと意思表示しているのである。これは認知症高齢者にとってはBPSDを引き起こす「混乱要素」以外のなにものでもない。つまりそういう服装をしていること自体が、特定の認知症高齢者にとっての生活障害であり、突き詰めると、その職員の存在そのものが混乱要因、生活障害となっているという意味である。これは重大な問題である。
これは何も難しい問題ではなく、突き詰めれば利用者に対する、支援者としての「心づかい」の問題であり、その配慮の根底には「社会人としての常識」があるかないかという基本姿勢の問題なのである。
他人に対して「失礼がないように配慮する」という心づかいのないサービス援助であってはならないという当然の意識が、職場での「おしゃれ」の基本的な考え方にもなければならない。
それは当然、髪の毛の色や爪の色、アクセサリーなど身だしなみ全般に及んで考えられるべき問題だろうと思う。
少なくとも職場でのおしゃれは、清潔感があって、大多数の人々から好感が得られるということに基準を求める必要があるのではないかと思う。
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ブログを読ませて頂き、masaさんの考えがうちの施設長と重なってしまいました。当法人も制服はありません。清潔感がないものは上司が指導するという条件だけで、基本的には自由です。ですので、稀に常識外れの服装で出勤してくる職員を叱ることもあります。自分の感覚を信じて(短パン、ピンクのヒラヒラ付きスカートズボン、破れたジーパン腰履き…)どれも常識的にダメですよね!?
逆に「お出かけや外食の際は着飾るように」という細則があります。このときは破れたジーパンでも文句は言えません(笑)やはり服装はケースバイケースが一番だと感じます。