あまりプライベートのことばかり書かないほうがよいと思うし、福祉や介護に関する意見や情報を書くことを期待されていると思うので、今日はしっかりその方向で書こうと思ったが、昨日のテレビ初出演について書かなければ「もう遊んでやらない」という仲間がいるため、今日はどうしてもそのことに触れねばならない。
しかし専門情報の発信も大事なので、番組のテーマであった「新しい介護認定ルール」に関連して新情報・現時点でのオフレコ情報を、このブログの読者にだけ教えたい。
まず10月からの認定調査ルール変更(ほとんどが以前のルールに戻したもの:僕は番組の中で、これは「厚生労働省が頭を下げないで、実質謝ったという意味」と発言した。)によって、要介護認定結果の軽度化は「ない」として経過措置がなくなった件であるが、実はこの「経過措置廃止(認定結果が変更になったら元の介護度に戻す措置)」は政権交代によって再度、廃止して良いのかということが、厚生労働省内で検討され9/29の夜遅くまで協議されていたという事実をお知らせしておく。僕らの仲間にも様々な問い合わせがあったそうである。その背景には「ルール変更で軽度化はない」といっている(新ソフトのロジックを作った)結城准教授のデータが「信用できないのでは?」とう意味があるのだろうが、結果的に今回は「ルール変更により軽度誘導にはなっていない」として経過措置は廃止を正式に9/30に決めたというのが真相のようである。
同時に経過措置がない期間があったので、その際に非該当に認定された方は、国から再申請を呼びかけるということにしたようである。であるなら、この時期に軽度判定された方々は区分変更申請を行った方が良いという意味にもなる。
ところで結城准教授については、4月時点で軽度化がないというデタラメを堂々と語っていたという事実があり、結果的にそれは非該当が倍増するということでうそがばれ、しかもその際に経過措置がありそれにより結果が元に戻っていることを無視して「2次判定で元に戻っているので問題ない」という「お惚け発言」で信用は失墜しているのである。よって、この話には続きがあり、引き続き新しいルールにおける結果のデータを出すように依頼されている関係者が複数いる、という事実も合わせてお知らせしておきたい。実際に新調査ルールで26人の担当者を5人の別の調査員がシミュレーションした事業所では、10月ルールでも5人(19%)が前のソフトと比べて軽度判定されているということである。専門家5人が同じデータを調査して一致した結果であるから、この信頼性は高い。軽度化はなくなっていないというのが事実だろう。
そうであれば正式な結果データにより今度「嘘」がばれたら結城准教授はどう責任をとるのだろう。少なくとも表舞台からは退場願わねばならない。
なお、このことに関連して一旦最終報告書を出して終了したはずの新認定の「検証委員会」(表の会議)は継続するという新情報も入っている(マスコミ発表はまだされていないと思う。)
さて、僕のテレビ初出演に関しての話題であるが、今回出演した番組では、わずか10年しか経過していない介護保険制度において、サービス利用の「入り口」の基準である要介護認定が3回も方法が変えられ、状態が変わっていないのに結果だけが変わる不安を国民は抱いているということを申し上げた。特に本年4月に、これほど急いでソフトを改正しなければならない必要性はまったくなかったと発言した。今回のソフト改正では全体で10億以上の費用がかかっているそうである。これが10年で3度もソフト改正しているもう一つの意味である。新政権はこうした無駄遣いや、官僚と業者の不透明な関係にもメスを入れるべきである。そもそもこんな費用をかけずにサービスに回した方がずっと国民の為になる。入り口としての基準はある程度の期間一定の尺度で統一すべきであり、それは5年とか10年とかのスパンで考えられなければならないし、変える理由はその時の尺度の判定に決定的な瑕疵があったり、次の世代の尺度に誰しもが納得できる信頼性がある場合に限られなければ、データの更新ということを理由にした公費の垂れ流しが続けられるだろう。なにしろ今回のソフト改正では、モデル事業などを含めると約20億円の国費が「認定ソフトを変える」だけに使われているのだ。無駄すぎる。
さらに番組では、認定調査ルールの変更によっても軽度化はなくっていないという観点から様々な問題点が出演者それぞれから指摘された。
ビデオ映像で出演した札幌市の認定審査委員の奥田さんは、認定調査も国の枠の中で揺れ動き、審査会がそれを変更する裁量を奪われ形骸化している実態を述べ、こんな意味のない審査ならいっそ、介護認定などなくしてしまえば、札幌市で年間9.000万円以上も使われている審査費用が介護サービスに回せると提言していた。(奥田さん、ずいぶん思い切った発言でしたね。驚きました。)
※認定に関わる費用は毎年400億円がかかっている(勿論、これは審査の費用のみならず、調査や意思意見書費用を含んだものである。)
僕はそれに意見を求められたが、調査や審査が形骸化している実態から考えても、一理あると感じて、そういう方向性も考えられて良い。そもそもサービスは区分支給限度額などなくても、ケアマネジメントが正しく行われれば不必要なサービスは心配しなくてよいし、支給限度額制限で必要なサービスを使えない人が出ないためにも(必要ならサービス利用の限度額制限は必要ないという意味)考えられて良い案だという方向で発言した。
勿論、必要もないのに支給限度額ぎりぎりまでのサービスを使わせるような悪徳事業者が現在でもあるので、そういう利用が横行する心配から、その意見に首をかしげる人がいるだろうが、それは現在も同じで、それを防いだり取り締まったりするシステムは別に厳しく設ければよいわけだし、この部分には連座制をより厳しく適用して、そういう事業者は排除されるようにしていくことである程度その問題は防げるだろう。完全に悪徳業者がなくならないのはどのルールでも同じで、必要な観点は「よりまし」な制度に上昇カーブを描いて変えていくという視点であり、変な制度でも続きさえすればよいという持続性重視オンリーの制度改正が一番ダメである。
施設サービスだって、措置時代は、利用者の状態で利用単価が変わるなんていうことはなく、そうであったって何の支障もなかったんだから、要介護認定そのものをしないか、単純にサービスの利用是非だけを決める認定で区分を撤廃してしまうことによって、現在認定にかかっている審査会費用・調査費用・医師意見書作成費用がなくなれば国全体で400億の経費捻出になるので、荒唐無稽の意見では決してない、と言えるであろう。
介護認定ソフトの改正の目的は「地域による認定のばらつきを是正する」のが目的とされ「地域ごとに要介護認定状況に違いがあるのは不適切である」という考え方に基づいている。しかし人間の状態像は様々で、現行の7区分のどこかに分類することが出来ると考えるほうがどうかしているのである。暮らしの場のインフラ整備状況や、人付き合いで、介護の方法論や量が変わってくるのは当たり前ではないか。
それを「ばらつき」が不適切という理由で、全国一律の基準にはめ込むほうがどうかしている。しかもその方法は、認定調査でも、認定審査でも、調査員や審査員の「考える余地」をできるだけ排除して機械的な調査と審査になるシステムを作っているということに現場の関係者は気づかねばならない。
新しい認定調査の方法が「わわりやすい」とか「今までより、すっきりした」と言う関係者もいるのは事実であるが、それは実は「あまり考えなくても機械的に結果が出せる」というだけであるということに気がついてほしい。
調査員も審査員も、個別の利用者を考えなくなってどうするんだ。担当ケアマネだけが考えても解決しない「公費給付の基準」であり「実質利用者が使えるサービスの量を決める基準」なんだぞ。
福祉や介護というものは、周囲の支援者が一生懸命考えなくなることが退廃の始まりであるということを忘れないでほしい。
さてテレビに出演して「はじめてわかった」ことであるが、まず台本はあるようでまったくないに等しいことがわかった。(共演者によるとNHKはそうではなく台本絶対主義であるらしい。)流れの中にどこでCMや他のコーナーが入るかということを書いているだけが台本で、番組中の発言はすべて自分の頭の中で考えた自分の言葉で、それも生放送の中で司会者の問いかけに即応しなければならないので、初出演者にとっては当惑もあった。
それにしても、テレビに出るということはメークが必然であるということだとわかった。何でも「てからないように」するために必要なんだそうである。僕も顔に色を塗り、髭剃り後の赤くなっている部分を隠したりした。考えてみれば化粧なんてしたことがあったろうか・・・と考えたら、あった。
高校2年生のとき学校際で劇を行ったのであるが、そのとき僕が脚本と監督を務め、喜劇を作った。それもあの有名な「夕鶴・鶴の恩返し」をベースに、主人公の「つう」が実は鶴であることに変わりはないが、過去に「与ひょう」にいじめられた仕返しをするという設定で、最後に「つう」が鶴の怨霊に化け、与ひょうをいじめるのであるが、そのとき監督件脚本家の僕を含めた数名が鶴の「しもべ」役になって「白鳥の湖」のBGMに合わせて与ひょうを囲んで踊るのだが、そのとき白いワイシャツに白タイツをはいて、顔も白く化粧をして舞台に登場した。それ以来の化粧である。
ちなみに、そのときの喜劇は大うけで、まじめな劇しか賞が取れないという伝統を破り、2年生ながら見事最優秀賞を取ったのである。ということは僕には脚本家か、映画監督の素質のほうがあるのかもしれない・・。道を間違えたのではないかと、メークをしながら過去を思い出して考えた・・。
それにしても、ぜひこのことははっきりいっておきたいが、「水野 悠希」アナウンサーはかなりの美形である。「ナマ水野」は、お美しかったワイ。うらやましいだろう〜!!
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まず10月からの認定調査ルール変更(ほとんどが以前のルールに戻したもの:僕は番組の中で、これは「厚生労働省が頭を下げないで、実質謝ったという意味」と発言した。)によって、要介護認定結果の軽度化は「ない」として経過措置がなくなった件であるが、実はこの「経過措置廃止(認定結果が変更になったら元の介護度に戻す措置)」は政権交代によって再度、廃止して良いのかということが、厚生労働省内で検討され9/29の夜遅くまで協議されていたという事実をお知らせしておく。僕らの仲間にも様々な問い合わせがあったそうである。その背景には「ルール変更で軽度化はない」といっている(新ソフトのロジックを作った)結城准教授のデータが「信用できないのでは?」とう意味があるのだろうが、結果的に今回は「ルール変更により軽度誘導にはなっていない」として経過措置は廃止を正式に9/30に決めたというのが真相のようである。
同時に経過措置がない期間があったので、その際に非該当に認定された方は、国から再申請を呼びかけるということにしたようである。であるなら、この時期に軽度判定された方々は区分変更申請を行った方が良いという意味にもなる。
ところで結城准教授については、4月時点で軽度化がないというデタラメを堂々と語っていたという事実があり、結果的にそれは非該当が倍増するということでうそがばれ、しかもその際に経過措置がありそれにより結果が元に戻っていることを無視して「2次判定で元に戻っているので問題ない」という「お惚け発言」で信用は失墜しているのである。よって、この話には続きがあり、引き続き新しいルールにおける結果のデータを出すように依頼されている関係者が複数いる、という事実も合わせてお知らせしておきたい。実際に新調査ルールで26人の担当者を5人の別の調査員がシミュレーションした事業所では、10月ルールでも5人(19%)が前のソフトと比べて軽度判定されているということである。専門家5人が同じデータを調査して一致した結果であるから、この信頼性は高い。軽度化はなくなっていないというのが事実だろう。
そうであれば正式な結果データにより今度「嘘」がばれたら結城准教授はどう責任をとるのだろう。少なくとも表舞台からは退場願わねばならない。
なお、このことに関連して一旦最終報告書を出して終了したはずの新認定の「検証委員会」(表の会議)は継続するという新情報も入っている(マスコミ発表はまだされていないと思う。)
さて、僕のテレビ初出演に関しての話題であるが、今回出演した番組では、わずか10年しか経過していない介護保険制度において、サービス利用の「入り口」の基準である要介護認定が3回も方法が変えられ、状態が変わっていないのに結果だけが変わる不安を国民は抱いているということを申し上げた。特に本年4月に、これほど急いでソフトを改正しなければならない必要性はまったくなかったと発言した。今回のソフト改正では全体で10億以上の費用がかかっているそうである。これが10年で3度もソフト改正しているもう一つの意味である。新政権はこうした無駄遣いや、官僚と業者の不透明な関係にもメスを入れるべきである。そもそもこんな費用をかけずにサービスに回した方がずっと国民の為になる。入り口としての基準はある程度の期間一定の尺度で統一すべきであり、それは5年とか10年とかのスパンで考えられなければならないし、変える理由はその時の尺度の判定に決定的な瑕疵があったり、次の世代の尺度に誰しもが納得できる信頼性がある場合に限られなければ、データの更新ということを理由にした公費の垂れ流しが続けられるだろう。なにしろ今回のソフト改正では、モデル事業などを含めると約20億円の国費が「認定ソフトを変える」だけに使われているのだ。無駄すぎる。
さらに番組では、認定調査ルールの変更によっても軽度化はなくっていないという観点から様々な問題点が出演者それぞれから指摘された。
ビデオ映像で出演した札幌市の認定審査委員の奥田さんは、認定調査も国の枠の中で揺れ動き、審査会がそれを変更する裁量を奪われ形骸化している実態を述べ、こんな意味のない審査ならいっそ、介護認定などなくしてしまえば、札幌市で年間9.000万円以上も使われている審査費用が介護サービスに回せると提言していた。(奥田さん、ずいぶん思い切った発言でしたね。驚きました。)
※認定に関わる費用は毎年400億円がかかっている(勿論、これは審査の費用のみならず、調査や意思意見書費用を含んだものである。)
僕はそれに意見を求められたが、調査や審査が形骸化している実態から考えても、一理あると感じて、そういう方向性も考えられて良い。そもそもサービスは区分支給限度額などなくても、ケアマネジメントが正しく行われれば不必要なサービスは心配しなくてよいし、支給限度額制限で必要なサービスを使えない人が出ないためにも(必要ならサービス利用の限度額制限は必要ないという意味)考えられて良い案だという方向で発言した。
勿論、必要もないのに支給限度額ぎりぎりまでのサービスを使わせるような悪徳事業者が現在でもあるので、そういう利用が横行する心配から、その意見に首をかしげる人がいるだろうが、それは現在も同じで、それを防いだり取り締まったりするシステムは別に厳しく設ければよいわけだし、この部分には連座制をより厳しく適用して、そういう事業者は排除されるようにしていくことである程度その問題は防げるだろう。完全に悪徳業者がなくならないのはどのルールでも同じで、必要な観点は「よりまし」な制度に上昇カーブを描いて変えていくという視点であり、変な制度でも続きさえすればよいという持続性重視オンリーの制度改正が一番ダメである。
施設サービスだって、措置時代は、利用者の状態で利用単価が変わるなんていうことはなく、そうであったって何の支障もなかったんだから、要介護認定そのものをしないか、単純にサービスの利用是非だけを決める認定で区分を撤廃してしまうことによって、現在認定にかかっている審査会費用・調査費用・医師意見書作成費用がなくなれば国全体で400億の経費捻出になるので、荒唐無稽の意見では決してない、と言えるであろう。
介護認定ソフトの改正の目的は「地域による認定のばらつきを是正する」のが目的とされ「地域ごとに要介護認定状況に違いがあるのは不適切である」という考え方に基づいている。しかし人間の状態像は様々で、現行の7区分のどこかに分類することが出来ると考えるほうがどうかしているのである。暮らしの場のインフラ整備状況や、人付き合いで、介護の方法論や量が変わってくるのは当たり前ではないか。
それを「ばらつき」が不適切という理由で、全国一律の基準にはめ込むほうがどうかしている。しかもその方法は、認定調査でも、認定審査でも、調査員や審査員の「考える余地」をできるだけ排除して機械的な調査と審査になるシステムを作っているということに現場の関係者は気づかねばならない。
新しい認定調査の方法が「わわりやすい」とか「今までより、すっきりした」と言う関係者もいるのは事実であるが、それは実は「あまり考えなくても機械的に結果が出せる」というだけであるということに気がついてほしい。
調査員も審査員も、個別の利用者を考えなくなってどうするんだ。担当ケアマネだけが考えても解決しない「公費給付の基準」であり「実質利用者が使えるサービスの量を決める基準」なんだぞ。
福祉や介護というものは、周囲の支援者が一生懸命考えなくなることが退廃の始まりであるということを忘れないでほしい。
さてテレビに出演して「はじめてわかった」ことであるが、まず台本はあるようでまったくないに等しいことがわかった。(共演者によるとNHKはそうではなく台本絶対主義であるらしい。)流れの中にどこでCMや他のコーナーが入るかということを書いているだけが台本で、番組中の発言はすべて自分の頭の中で考えた自分の言葉で、それも生放送の中で司会者の問いかけに即応しなければならないので、初出演者にとっては当惑もあった。
それにしても、テレビに出るということはメークが必然であるということだとわかった。何でも「てからないように」するために必要なんだそうである。僕も顔に色を塗り、髭剃り後の赤くなっている部分を隠したりした。考えてみれば化粧なんてしたことがあったろうか・・・と考えたら、あった。
高校2年生のとき学校際で劇を行ったのであるが、そのとき僕が脚本と監督を務め、喜劇を作った。それもあの有名な「夕鶴・鶴の恩返し」をベースに、主人公の「つう」が実は鶴であることに変わりはないが、過去に「与ひょう」にいじめられた仕返しをするという設定で、最後に「つう」が鶴の怨霊に化け、与ひょうをいじめるのであるが、そのとき監督件脚本家の僕を含めた数名が鶴の「しもべ」役になって「白鳥の湖」のBGMに合わせて与ひょうを囲んで踊るのだが、そのとき白いワイシャツに白タイツをはいて、顔も白く化粧をして舞台に登場した。それ以来の化粧である。
ちなみに、そのときの喜劇は大うけで、まじめな劇しか賞が取れないという伝統を破り、2年生ながら見事最優秀賞を取ったのである。ということは僕には脚本家か、映画監督の素質のほうがあるのかもしれない・・。道を間違えたのではないかと、メークをしながら過去を思い出して考えた・・。
それにしても、ぜひこのことははっきりいっておきたいが、「水野 悠希」アナウンサーはかなりの美形である。「ナマ水野」は、お美しかったワイ。うらやましいだろう〜!!
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録画をしていてまだ見ていませんが、masaさんのTV初出演大変楽しみです。
今日は早く帰宅したいと思います。
今度ゆっくりお酒でも飲みながらお話うかがいたいです。