僕は平日ほぼ毎日ブログを更新している。

しかもそれは一言コメントのような短い記事ではなく、主に福祉や介護に関連する話題についての小論文的文章を書いている。平均字数は1.900字〜2.000字で多い時には3.000字に及ぶこともある。

つまり平日は、ほぼ毎日400字詰め原稿用紙5枚程度の文章を書いていることになる。それを2005年11月9日からずっと続けているわけである。その原動力は当初は自分の書きたいという思いだけであったが、現在では読んでくれる方がいるということが一番の「動機づけ」である。

平日に限って言えば、ほぼ毎日2.000件程度のアクセスがある。これは1台のパソコン(というより同一の接続場所と表現するほうが正しいだろうか)から24時間以内にアクセスした数、いわゆるダブルカウントを計上しないカウント方式なので、ほぼアクセス実人員に近い数字である。しかもページビュー(実際に読まれるページの実数)は毎日5.000件もあるのだから力も入るというわけである。

もちろん更新記事の中には介護や福祉とは関係ないテーマ、例えば野球や食べ物、酒、友人や家族の話題も含まれているのであるが、9割以上は社会福祉に関するテーマであり、それは「介護・福祉情報裏板」というブログタイトルに期待して読んでくれている人が多いことを意識してのものである。(しかし、その他のテーマもわりと評判がよく、コメントも多く書かれているのも事実である。)

福祉や介護に関する話題をこのように毎日書き続けられる理由は、一つには高齢者福祉の分野で介護保険制度というものが10年前に出来たという理由が挙げられる。

介護保険制度の創設というものは、その意味としては戦後初の社会福祉制度の大改正という意味があり、GHQの占領下での政策として作り上げられた我が国の社会福祉制度の根幹が変えられ、社会保険方式を取り入れた介護保険制度の導入により新たな段階に入ったという大改革なのである。

そういう新制度ができて、わずか10年であるから、この若い制度にはまだまだ成熟していない議論の余地がある部分が多数存在し、同時にそのことは我々の先人達が論ずることができなかった領域で、誰も手をつけていない論点が多々存在するという、いわば「荒らされていない領域」「エビデンスが少ない領域」だから書くことがたくさんあるという理由が大きいだろう。

しかしだからといって毎日「のほほん」と何も考えずにテーマが浮かんでくるわけではない。

このブログを書くようになってから、僕の物事を考える視点の一つに必ず「このことは記事になるか」という部分があり、知らないうちにごく自然にそのことを考えるようになっている。新しい人との出会いや、珍しい物を食べた、というような時も「これ記事になるなあ」と考えてしまう自分がいて、我ながらそのことは少し嫌らしく感じるのである。

同時に、このブログを読んでくれている知人や関係者の方の中には「こんなこと記事にしないでくださいよ。」とおっしゃられる方もいる。口にしなくともそう考えている方も少なからず存在するんだろうと思うと、なんだか少し申し訳ない。しかし何でもかんでも記事にするわけではなく、個人的会話の中で終わるべき問題は基本的に記事にしないし、周囲の関係者が迷惑を被るということはできるだけ避けている。

ただし公の場での(新聞や講演など)発言で、間違っていると思うこと、異論を挙げねばならないと思うことは発言者の特定ができたとしても、意見として反論を書くことは当然ながらあり得る。

公的な問題や公の場での発言に関して言えば、あえて名指しで批判を行うことも当然ある。この場合はかなり辛辣な記事内容になっている場合が多いだろう。しかし基本的に批判と非難は異なる。

批判の意味は、かつてケアマネジメントの中立性議論の中で「囲い込みを防ぐ」という方法論で対峙した、独立中立型居宅介護支援事業所の先駆者でもあるT氏より
『「非難」が相手の人格に対する負の感情の表出であるのに対し、「批判」は相手の論理(思考の論理、行動の論理)を対象とする論理的な吟味(何が正しくて何が間違っているかの吟味)であると考えています。従って、「批判」を行った結果、「正しい」という事が分かる場合もある。あるいは、この部分は正しいがこの部分が間違っているという事が分かる場合もある。後者の場合、正しい部分をきちんと評価しつつ、誤っている部分を正しく補い、新しいものを作っていく(弁証法論理)事ができます。また、「批判」の場合、その対象は他者の論理だけではなく、自らの思考や行動の論理に及びます(自己批判)。正しい意味での批判クリティークは、何が正しくて何が間違っているかを明らかにしますので、自己も含め批判を受けた者にとって利益になります。従って、正しい批判は歓迎されます。また、正しい批判は、相手への人格非難と異なり、相手への人としての敬意を前提としなければ成り立ちません。日本では、「批判」という言葉が「非難」と混同されて用いられる帰来があるため、正しい批判精神が育たないのではないかと個人的には疑っています。』

という示唆をいただいたことがあるので、この考え方も参考になると思う。つまり批判とは建設的議論の中では当然必要なことで、それは個人に対する非難・中傷行為とは異なるものだ。なおこの考え方以外の「囲い込み防止」のためのサービス制限の考え方は、いまもって同氏の見解には全面的に反対である。(リンクを貼り付けてある記事参照。)

よって非難ではない批判記事として意見を書いている場合が多い。ただし行政職員が裁量権という名のもので権力を振りかざす行為に対しては批判ではなく非難の態度で臨んでいる。

どちらにしてもプライベートでの付き合いの中では、楽しい話題しか記事にしないので警戒しないでほしい。(どうしても書いてほしいということがあれば喜んで協力するけど・・・。)

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