介護保険制度とは一般には高齢者介護サービスの制度であると考えられている。
しかし2号被保険者は40歳からであるから、介護保険サービスは単純に高齢者介護サービスであるということはできない。仮にそのことを考えなくとも、一口に高齢者といっても60代と90代では、身体・精神機能の低下の程度は統計上、後者の方が明らかに大きいという違いは顕著で全てを高齢者というだけの同一カテゴリーではくくれないという問題がある。さらに特定集団で比較すれば、年齢層の高い集団ほど身体・精神機能の低下の程度の個人差は大きいといえるから、ここでも高齢者というくくりだけでみてしまっては真実が見えにくくなる。
また一般的に高齢者が虚弱で介護が必要になるという考え方は間違っており、我が国における65歳以上の高齢者のマジョリティーは元気で介護が必要でない高齢者であり、その比率は85%であると言われている。そして80代後半でも女優として現役で頑張っておられる森光子さんのような方々も数多くおられるのである。
むしろ個人差が大きいということが高齢者の特性で、高齢期の支援を考える上で個人差への着目評価はそういう意味でも不可欠であり、それは身体・精神機能にとどまらず、教育歴・職業歴・家族歴その他による生活経験の違いや、現在おかれている社会・経済環境の違いのよってもたらされる特性を含んだ個別性評価であらねばならない。
しかし一方では福祉援助というのは科学的、専門的領域であるから、一般化できる部分については、その最低限の基準となる援助モデルを示す必要がある。そういう意味では、ある環境に置かれた、ある現象の因果関係をたどって結論付けられる方法論を具体的に示すことは必要不可欠であり、それがないと社会福祉は専門援助技術にも、学問にもなり得ない。
そうすると高齢期の特性から基本援助モデルを考察する思考回路は次のようになるのではないか。
例えば高齢期の生活問題は基本的に身体・精神機能の低下によってもたらされるという仮説が成り立ち、一般的には高齢者は複数の病気を抱えている場合が多い。また認知機能低下でコミュニケーションが困難になっているケースが他の年齢層に比べて多いということも「認知症の最大の危険因子が加齢である」という事実に基づく因果関係として言えるであろう。
そうなると加齢に伴う身体機能低下や、認知機能低下がもたらすものは、孤立化や引きこもりであることが考えられ、生活障害を持つ高齢者本人が援助機関に積極的に出向いて援助を求めることは少なくなるという仮説が成立し、そのため高齢者支援に先駆けてワーカビリティ(援助を受けようとする身体・精神。情緒的能力)の低下に対する評価が欠かせないという理論が成り立つ。
そしてここではアウトリーチが重要となる。アウトリーチとは支援する側が支援を必要としている人に対し、その要請がない場合でも積極的に現場に出向いて手を差し伸べることを意味しているが、高齢者の場合は、上記の理由に限らず、公的支援を受けることに対し自尊心が傷つくという拒否反応を持つ場合も多く、援助を受けることに消極的であったりする。その場合に必要に応じて支援を行う側が積極的に働きかけることは重要なのである。
また高齢期は複合喪失の時期であり、社会との接続機会の減少や、家族や友人・知人などの親しい人々との様々な別離、活動機会の減少や経済能力の減少などを経験し、悲哀・不安・不満・孤独などの感情が強まる可能性が高まる時期であるといえ、援助過程でこうした状況と感情への共感的理解を示す必要があるといえる。
同時に高齢者の支援に関わる専門家の大多数が人生経験では支援を受ける人にかなわないという特性を持つ。このことも重要で、援助者は人生の先輩として高齢者を尊敬し、高齢者の生き方から学ぼうとすることも必要である。誰しも課題や問題を解決するためには過去の方法に従うものだから、高齢者の生活歴に耳を傾け、過去の生活困難にどのように対処したかを調べることは大事なことである。
社会福祉援助過程において、アドボカシー(代弁機能)はどの年齢層の援助においても重要であるが、心身の機能低下の状況と心理機能、認知症の出現率を考えると高齢者援助の視点としてはそれは特に強調される必要があるだろう。その中から本人が気付かない「生きる希望の援助」として、生きがいの発見ということも重要になるのではないだろうか。その方法は人さまざまであるが、その第1歩は、高齢者の支援に関わる社会福祉援助者との信頼関係の中から生まれ、それがやがて周囲の支援者や仲間の存在につながっていくことで得られるものではないだろうか。人は最後まで、人との関係の中で生きていくものなのだと思え、人との接点の中に「生きがい」を見出せるような支援が求められてくるであろう。
どちらにしても、この制度の支援の中心に位置づけられている介護支援専門員諸君に言いたい。ケアマネジメントというのは社会福祉援助技術のごく一部にしか過ぎないのである。ケースワークの原則はじめ社会福祉援助技術の基本を理解しない状態で、利用者に関わっても能力の限界を感じる時が必ず来るぞ。
ここで示した援助技術も、その一部であるが、ここで書いてある言葉や内容をまったく知らないケアマネは知識と技術が足りないと考えたほうが良い。人間は死ぬまで学習し続けることができるんだから、そこに気がついた介護支援専門員は、今からしっかり社会福祉援助技術の基本を勉強し直すべきである。
専門家であるか否か、あるいは支援者としてセンスがあるか否か、ということは汗をかく気持ちがあるかどうかで決定されてくるもので、生まれ持った資質はさほど重要ではないことを忘れてはならない。
人の生活に関わる以上、それなりの資質向上を図って社会や社会と接続する個人の幸福につなげたいものである。
介護・福祉情報掲示板(表板)
(↓1日1回プチッと押してね。よろしくお願いします。)
人気blogランキングへ
にほんブログ村 介護ブログ
FC2 Blog Ranking
(↑上のそれぞれのアドレスをクリックすれば、このブログの現在のランキングがわかります。)
しかし2号被保険者は40歳からであるから、介護保険サービスは単純に高齢者介護サービスであるということはできない。仮にそのことを考えなくとも、一口に高齢者といっても60代と90代では、身体・精神機能の低下の程度は統計上、後者の方が明らかに大きいという違いは顕著で全てを高齢者というだけの同一カテゴリーではくくれないという問題がある。さらに特定集団で比較すれば、年齢層の高い集団ほど身体・精神機能の低下の程度の個人差は大きいといえるから、ここでも高齢者というくくりだけでみてしまっては真実が見えにくくなる。
また一般的に高齢者が虚弱で介護が必要になるという考え方は間違っており、我が国における65歳以上の高齢者のマジョリティーは元気で介護が必要でない高齢者であり、その比率は85%であると言われている。そして80代後半でも女優として現役で頑張っておられる森光子さんのような方々も数多くおられるのである。
むしろ個人差が大きいということが高齢者の特性で、高齢期の支援を考える上で個人差への着目評価はそういう意味でも不可欠であり、それは身体・精神機能にとどまらず、教育歴・職業歴・家族歴その他による生活経験の違いや、現在おかれている社会・経済環境の違いのよってもたらされる特性を含んだ個別性評価であらねばならない。
しかし一方では福祉援助というのは科学的、専門的領域であるから、一般化できる部分については、その最低限の基準となる援助モデルを示す必要がある。そういう意味では、ある環境に置かれた、ある現象の因果関係をたどって結論付けられる方法論を具体的に示すことは必要不可欠であり、それがないと社会福祉は専門援助技術にも、学問にもなり得ない。
そうすると高齢期の特性から基本援助モデルを考察する思考回路は次のようになるのではないか。
例えば高齢期の生活問題は基本的に身体・精神機能の低下によってもたらされるという仮説が成り立ち、一般的には高齢者は複数の病気を抱えている場合が多い。また認知機能低下でコミュニケーションが困難になっているケースが他の年齢層に比べて多いということも「認知症の最大の危険因子が加齢である」という事実に基づく因果関係として言えるであろう。
そうなると加齢に伴う身体機能低下や、認知機能低下がもたらすものは、孤立化や引きこもりであることが考えられ、生活障害を持つ高齢者本人が援助機関に積極的に出向いて援助を求めることは少なくなるという仮説が成立し、そのため高齢者支援に先駆けてワーカビリティ(援助を受けようとする身体・精神。情緒的能力)の低下に対する評価が欠かせないという理論が成り立つ。
そしてここではアウトリーチが重要となる。アウトリーチとは支援する側が支援を必要としている人に対し、その要請がない場合でも積極的に現場に出向いて手を差し伸べることを意味しているが、高齢者の場合は、上記の理由に限らず、公的支援を受けることに対し自尊心が傷つくという拒否反応を持つ場合も多く、援助を受けることに消極的であったりする。その場合に必要に応じて支援を行う側が積極的に働きかけることは重要なのである。
また高齢期は複合喪失の時期であり、社会との接続機会の減少や、家族や友人・知人などの親しい人々との様々な別離、活動機会の減少や経済能力の減少などを経験し、悲哀・不安・不満・孤独などの感情が強まる可能性が高まる時期であるといえ、援助過程でこうした状況と感情への共感的理解を示す必要があるといえる。
同時に高齢者の支援に関わる専門家の大多数が人生経験では支援を受ける人にかなわないという特性を持つ。このことも重要で、援助者は人生の先輩として高齢者を尊敬し、高齢者の生き方から学ぼうとすることも必要である。誰しも課題や問題を解決するためには過去の方法に従うものだから、高齢者の生活歴に耳を傾け、過去の生活困難にどのように対処したかを調べることは大事なことである。
社会福祉援助過程において、アドボカシー(代弁機能)はどの年齢層の援助においても重要であるが、心身の機能低下の状況と心理機能、認知症の出現率を考えると高齢者援助の視点としてはそれは特に強調される必要があるだろう。その中から本人が気付かない「生きる希望の援助」として、生きがいの発見ということも重要になるのではないだろうか。その方法は人さまざまであるが、その第1歩は、高齢者の支援に関わる社会福祉援助者との信頼関係の中から生まれ、それがやがて周囲の支援者や仲間の存在につながっていくことで得られるものではないだろうか。人は最後まで、人との関係の中で生きていくものなのだと思え、人との接点の中に「生きがい」を見出せるような支援が求められてくるであろう。
どちらにしても、この制度の支援の中心に位置づけられている介護支援専門員諸君に言いたい。ケアマネジメントというのは社会福祉援助技術のごく一部にしか過ぎないのである。ケースワークの原則はじめ社会福祉援助技術の基本を理解しない状態で、利用者に関わっても能力の限界を感じる時が必ず来るぞ。
ここで示した援助技術も、その一部であるが、ここで書いてある言葉や内容をまったく知らないケアマネは知識と技術が足りないと考えたほうが良い。人間は死ぬまで学習し続けることができるんだから、そこに気がついた介護支援専門員は、今からしっかり社会福祉援助技術の基本を勉強し直すべきである。
専門家であるか否か、あるいは支援者としてセンスがあるか否か、ということは汗をかく気持ちがあるかどうかで決定されてくるもので、生まれ持った資質はさほど重要ではないことを忘れてはならない。
人の生活に関わる以上、それなりの資質向上を図って社会や社会と接続する個人の幸福につなげたいものである。
介護・福祉情報掲示板(表板)
(↓1日1回プチッと押してね。よろしくお願いします。)
人気blogランキングへ
にほんブログ村 介護ブログ
FC2 Blog Ranking
(↑上のそれぞれのアドレスをクリックすれば、このブログの現在のランキングがわかります。)
それでも、このmasaさんのブログに出会ってから、元気付けて頂いている自分にいます。読めば読むほど、自分の勉強不足に打ちのめされてますが、心ある人々のコメントやmasaさんの辛口コメントなど等、又、専門的な言葉の意味の解釈の道しるべが盛りだくさんであることに感謝したいです。さてと!3つのテーマがあるレポート作成に精を出す事にします。現役での居宅ケアマネとして働き始めますが、個人の幸福につながるような支援ができるように努力します。ありがとうございます。