日本の高齢者介護の現場を象徴する言葉として「寝たきり老人」という言葉がある。それは昭和40年代の後半から使われ始め、昭和50年代〜60年代に世間一般でその言葉を知らない人がいないほど社会に浸透していった言葉である。

今現在でも寝たきり老人は現実には様々な場所に存在しているんだろう。そもそも寝たきりとはどういう状態か?寝たきり老人は、本当は寝かせきり老人であるという理屈は真実なのだろうか。

なぜ今更こんなことを考えたかと言えば、当施設で製薬会社の職員(プロパー等)の「医療と介護のHHC現場研修」というものを受け入れることになって、研修プログラムの中の「講義」の内容の要望に「寝たきりになる入所者の生活実態」という項目が含まれていたので、あまり施設サービスの現場では「寝たきり」という言葉を使わなくなったのではないかと感じたことによる。

寝たきり老人の定義は特に見当たらないが、一般的な認識として全生活がベッド上で完結するという意味の「寝たきり老人」は現在当施設にはいない。時期によっては「看取り介護」対象者がベッド上で臥床状態が続くということがあり、それを「寝たきり」と呼ぶべきかもしれないが、その際でも本人が希望するであろう活動にはフルリクライニング車椅子で参加したり、完全にベッドのみで完結する生活でないように注意しているし、何らかの形で離床する、という行為を行っていない人はいないからである。

そういう状態が生まれたきっかけや理由の一つは特養が素人集団である要素が強かった、という意味があるかもしれない。

つまり医療の専門家にできる行為が、資格のない介護の現場職員にはできなかったことで、障害のある高齢者の暮らしづくりは、とりあえず椅子に座って食事をしたり、トイレに行ったり、活動参加することから始めようという極めて非専門的な考えが生まれ、離床運動が提唱された時期があるからだと思う。これは結果的には危険性とか、専門性とかを考えて何もできないというバリアがなかったことによる素人であるがゆえにできたことで、我が国の介護の歴史上意味のあることであったと思う。

そもそも座る、ということができない人と、できる人の違いは何か?座ることと、座らないことで生活にどのような影響があるのだろうか?

よくベッドで寝たきりにさせられている高齢者を座らせない理由を「腰が固まって座位が取れない」という人がいるが、僕がこの業界で働くようになって20数年たつが、本当に腰が固まっている人をみたことがない。股関節というのは一番固まりにくい関節であるし、仮にそこが固まっても背骨が曲がりさえすれば車椅子座位には支障がないはずである。

脳血管障害の後遺症で拘縮が強く、足先から背骨まで固まって曲がらない人もいるが、その場合普通型の車椅子では座位は難しいけれど、フルリクライニング車椅子の背を少し倒せば座位をとって活動参加は可能である。

起こしたら血圧が下がったり、貧血をおこしたりするから座らせることができない、という人もいるが、長年ベッド上でしか生活していなかった人を、いきなり起こして起立性低血圧や貧血を起こさないほうがおかしく、それはむしろ、ベッドのギャッジアップ機能を有効に使うべきで、徐々に起立する角度を高くしていけばいずれ座位をとれるであろうし、仮に離床後低血圧が起きても「寝せれば治る」と考えるべきで「低血圧が起きるから起こせない」というのは「起こさない」という理由探し、にしか過ぎないだろうと思う。

起こすための体力がないというが、ギャジアップという不自然な体勢を何時間も維持できる人が座ることができないわけがない。そもそも寝ている姿勢が一番安楽ということではないのである。それらは離床の時間を考えれば済む問題ではないだろうか。

そう考えると「座れる人」と「座れない人」の決定的な違いは、介護に携わっている人間が「座らせるか」「座らせないか」の違いであると言えるのではないだろうか。

座ることと、座らないことで生じる生活の違いなど今更指摘するまでもないだろう。

食事一つとっても、 ベッドの背をギャッジアップして、足を前方に投げ出して食べるのと、座位をとって背筋をきちんと伸ばし、前かがみ姿勢が可能な状態で、足の裏や肛門が重力を受ける地球に向かっている姿勢で食べるのでは「食物の飲み込みやすさ」が違うだろう。嚥下機能低下で経管栄養を余儀なくされている高齢者が座るだけで経口から食事摂取できる例はたくさんあるだろう。ベッドに寝かせきりの状態で嚥下機能低下、嚥下困難などと判断するのは性急すぎる。

なにより座ってベッドから離れないと、ベッドの近くに寄ってきてくれる人以外との接点がまったくないではないか。仮に車椅子の自力駆動が困難でも、人に押してもらわねばならない状態でも、座ることによって、自らの体を移動させて、人の集まる場所に行ける、という違いは大きい。ストレッチャーに乗って天井を見つめての移動で、周囲の人の顔が見えない状態とは違うのである。人間関係は座るという行為から始めないと広がらないのである。

もちろん単に座らせればよいという問題ではなく、安楽な姿勢というものへの配慮が必要だが、安楽をベッドでの臥床状態に特化して考えることが「寝たきり老人」を大量生産しているといわれることになるのである。
(※ちなみに正しい座位姿勢を考えるには中央法規から出されている「座位が変われば暮らしが変わる」大渕 哲也氏著:がお勧めである。宣伝を頼まれたわけではないが、読んでわかりやすい優れた著書だし、当施設の研修でも使わせてもらっている。日ごろ表の掲示板でもお世話になっているPT大渕さんの著書である。)

ただし寝たきり老人を無目的に座らせて「座ったきり老人」を作ってもしょうがないし、意味もない。座るということは、同時に会いたい人がいたり、行きたい場所があるということだ。ここは意思表示が不可能な高齢者であっても、側に寄り添う我々が代弁機能として、会いたい人と、行きたい場所を探さねばならない。

介護サービスの良し悪しというのは案外こういうところの違いにあるもので、重要な仕事はこの部分をどう考えるかにあるのだということを忘れてはならない。

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