現在の我々は様々な物質とサービスにあふれた文明社会に住んでいる。
しかし人の欲望には限りがなく、豊かな社会であるがゆえに抱えるストレスも多い。自殺者の数がこの豊かな文明社会においても増え続けていることがそれを現わしている。インターネットで瞬時に世界中の情報を手に入れた便利さよりも、ブロードバンドではない接続速度の遅さにストレスを感じるように、人の欲望には限りがなく、手に入れることができる様々な物の最高を手にしない限り完全に満足することはない。いや最高を手に入れた人でさえ、それを失わないように不安とストレスを抱えることが弱き人間の宿命である。
しかもそうした文明社会の中で日本人は大切な人との関係をますます希薄化させ、人とのつながりを失くした孤独の殻に自らを閉じ込めようとしている。携帯電話でしか繋がりのない希薄な関係を社会との唯一の接点とする人や、インターネットの中の人格を自分自身と思いこむ人々が増えている。
かつて人々は自然の脅威に対して一致団結して事にあたった。地域という概念以前に、共に身を守る運命共同体としてのつながりがあった。しかし時の流れと共にそうした関係は神話の時代の絵空事になりつつあり、現代社会は人間関係の希薄化、個人単位の領域では非人格化と孤立化・無力化が広がっている。
日本の伝統社会では子供を産んでも、両親に変わってその親類縁者が必要な期間、赤ん坊を十分面倒をみられる地域社会が存在したが、現在では親にさえも頼ることができないことで子供を産めない夫婦が少なからず存在する。清潔な社会環境で赤ん坊の死亡率が非常に少なくなっても、生む環境がない社会では子供は増えない。核家族の進行が言われて久しいが、すでにそれは核家族化によって小単位ごとに分離した世帯が、親類縁者との関係をも希薄化させ、それぞれの家族や世帯単位で、望むと望まざるにかかわらず社会の中で孤立する可能性を抱えている。社会とのつながりが職場を通じた細い糸でのみ繋がっている世帯は、一家の主が現役をリタイヤした途端に孤立する可能性を持っている。
そういう意味では現代日本の社会構造は孤立家族・孤立世帯の集合体ともいえる。
自宅で亡くなる人が社会全体の8割を超えていたのはわずか60年前の話である。その時代はもしかしたら今のように優れた医者や看護師・設備や薬がなかったかもしれない。しかしそこには看病に専心する人々との暖かい心のつながりがあり、希望があった。死を間近に見詰めても、そこには家族や親類縁者・友人知人の温かな眼差しがあった。
しかし8割以上の人々が自宅以外の場所で亡くなる現代社会において、死の間際まで人々は清潔な環境で、最新の設備と技術で専門医療を受けることができても、つまるところ病者はベッドの中で孤独である。枕辺に誰一人としていない中で息を止める人々が数多く存在する。人々が今際の際(いまわのきわ)に望んでいるものは最新の医療技術ではなく、家族の温かい手を握ることであったとしても、現代社会ではむしろそのほうが手に入れ難くなっている。
この社会で生き抜くために人は孤独に対する耐性を持たねばならないのだろうか。孤立に耐えることが人間の資質になっていくのだろうか。それではあまりにも非人間的であり哀しい。
人は、自分と繋がる様々な人々との関係の中に生きており、心の通う相手があり、共に生きていくという実感によって安定し希望を持てる存在である。物質的援助も身体的援助も必要ではあるが、それだけで人の安心や希望は生まれない。物質的身体的援助を超えて人々との心通う関係の中で人は社会とのつながりを見出し、安心と希望を持つことができる。
社会福祉援助とは究極的には人と社会の接続の援助である。その時に社会福祉援助に関わる専門家は、ソーシャルワーカーとして個人の最もよき理解者として存在していくものであろう。
愛という言葉は抽象的すぎ、感情論であるから社会福祉援助という専門技術の領域であっても使うべきではないという意見があるが、人を愛し敬うということをなくして人の幸福は実現しない。愛すべきすべての人々がその愛に包まれて生きる喜びを感じることが人として求めることではないのだろうか。
青臭く、使い古された言葉であったとしても「愛」という言葉を抜きにして技術論だけで語れないのが社会福祉ではないのだろうか。
新しい政権のスローガンは「友愛」である。愛という言葉が本当の意味するところの人間社会を作る方向に政治家の視点は向かっていくのだろうか。愛という言葉を便利遣いして、実は自己責任や自己犠牲だけが求められる社会とはなっていかないだろうか。我々はそのことをしっかり見つめ、そして評価する義務と責任がある。
そして社会福祉援助に関わる人々は、社会の隅々から本当に人が人を愛し、人が人から愛される社会を実現するために行動し続け、声を挙げ続けなければならない。
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しかし人の欲望には限りがなく、豊かな社会であるがゆえに抱えるストレスも多い。自殺者の数がこの豊かな文明社会においても増え続けていることがそれを現わしている。インターネットで瞬時に世界中の情報を手に入れた便利さよりも、ブロードバンドではない接続速度の遅さにストレスを感じるように、人の欲望には限りがなく、手に入れることができる様々な物の最高を手にしない限り完全に満足することはない。いや最高を手に入れた人でさえ、それを失わないように不安とストレスを抱えることが弱き人間の宿命である。
しかもそうした文明社会の中で日本人は大切な人との関係をますます希薄化させ、人とのつながりを失くした孤独の殻に自らを閉じ込めようとしている。携帯電話でしか繋がりのない希薄な関係を社会との唯一の接点とする人や、インターネットの中の人格を自分自身と思いこむ人々が増えている。
かつて人々は自然の脅威に対して一致団結して事にあたった。地域という概念以前に、共に身を守る運命共同体としてのつながりがあった。しかし時の流れと共にそうした関係は神話の時代の絵空事になりつつあり、現代社会は人間関係の希薄化、個人単位の領域では非人格化と孤立化・無力化が広がっている。
日本の伝統社会では子供を産んでも、両親に変わってその親類縁者が必要な期間、赤ん坊を十分面倒をみられる地域社会が存在したが、現在では親にさえも頼ることができないことで子供を産めない夫婦が少なからず存在する。清潔な社会環境で赤ん坊の死亡率が非常に少なくなっても、生む環境がない社会では子供は増えない。核家族の進行が言われて久しいが、すでにそれは核家族化によって小単位ごとに分離した世帯が、親類縁者との関係をも希薄化させ、それぞれの家族や世帯単位で、望むと望まざるにかかわらず社会の中で孤立する可能性を抱えている。社会とのつながりが職場を通じた細い糸でのみ繋がっている世帯は、一家の主が現役をリタイヤした途端に孤立する可能性を持っている。
そういう意味では現代日本の社会構造は孤立家族・孤立世帯の集合体ともいえる。
自宅で亡くなる人が社会全体の8割を超えていたのはわずか60年前の話である。その時代はもしかしたら今のように優れた医者や看護師・設備や薬がなかったかもしれない。しかしそこには看病に専心する人々との暖かい心のつながりがあり、希望があった。死を間近に見詰めても、そこには家族や親類縁者・友人知人の温かな眼差しがあった。
しかし8割以上の人々が自宅以外の場所で亡くなる現代社会において、死の間際まで人々は清潔な環境で、最新の設備と技術で専門医療を受けることができても、つまるところ病者はベッドの中で孤独である。枕辺に誰一人としていない中で息を止める人々が数多く存在する。人々が今際の際(いまわのきわ)に望んでいるものは最新の医療技術ではなく、家族の温かい手を握ることであったとしても、現代社会ではむしろそのほうが手に入れ難くなっている。
この社会で生き抜くために人は孤独に対する耐性を持たねばならないのだろうか。孤立に耐えることが人間の資質になっていくのだろうか。それではあまりにも非人間的であり哀しい。
人は、自分と繋がる様々な人々との関係の中に生きており、心の通う相手があり、共に生きていくという実感によって安定し希望を持てる存在である。物質的援助も身体的援助も必要ではあるが、それだけで人の安心や希望は生まれない。物質的身体的援助を超えて人々との心通う関係の中で人は社会とのつながりを見出し、安心と希望を持つことができる。
社会福祉援助とは究極的には人と社会の接続の援助である。その時に社会福祉援助に関わる専門家は、ソーシャルワーカーとして個人の最もよき理解者として存在していくものであろう。
愛という言葉は抽象的すぎ、感情論であるから社会福祉援助という専門技術の領域であっても使うべきではないという意見があるが、人を愛し敬うということをなくして人の幸福は実現しない。愛すべきすべての人々がその愛に包まれて生きる喜びを感じることが人として求めることではないのだろうか。
青臭く、使い古された言葉であったとしても「愛」という言葉を抜きにして技術論だけで語れないのが社会福祉ではないのだろうか。
新しい政権のスローガンは「友愛」である。愛という言葉が本当の意味するところの人間社会を作る方向に政治家の視点は向かっていくのだろうか。愛という言葉を便利遣いして、実は自己責任や自己犠牲だけが求められる社会とはなっていかないだろうか。我々はそのことをしっかり見つめ、そして評価する義務と責任がある。
そして社会福祉援助に関わる人々は、社会の隅々から本当に人が人を愛し、人が人から愛される社会を実現するために行動し続け、声を挙げ続けなければならない。
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感動の完結編。

人がこの世に生まれ育ち、大人となって最愛の人と一緒に第二の人生を生きようとします。一般的には人の親になることで、ようやく人生の意味が理解できるようになるのではないかと、最近特に感じています。人との繋がりが気薄になりがちな現代ではあるけれども、何とか自分の事を考えると同じように、他者が何かしら困ったり、苦しんでいる時には、声をかけ、話を聴いたり、何かできる事を一緒に考える事ができれば、いい関係作りができていくように信じます。事の起こりには、必ず原因があり、結果がある。そこに、どう関わる事ができたか・・・?という事を損得無しに考えられる事が、どれ程できたか・・・?そこに愛があるのでは?と思いました。ありがとうございます。