先月、当法人と関連法人の職員で構成する軟式野球チームが15年ぶりに天皇杯軟式野球南北海道大会を制し、来月石川県で開催される全国大会に南北海道代表として出場することになった。そこで今日は、僕が職場の野球部に所属していたころの思い出話を記事にしたい。

僕らが現役の頃のチームは結構強かったので、全道大会や全国大会に数多く出場した。そのため職場の理解もあって様々な土地に遠征に出かける機会があった。

全国レベルの大会はともかく、全道レベルとなると、市部の宿泊施設等が整った地域で開催されるとは限らない。札幌周辺や市部なら便利なホテルに宿泊できるが、むしろ北海道という土地柄、郡部のいわゆる「田舎町」で大会が開かれることが多い。小さな町に限って立派な町営球場を造り、その「こけら落とし」として全道大会を開催したりするからである。

そのため各チームの宿泊先も周辺の市町村にバラバラに散ることになる。多くは地元野球連盟の紹介ということになる。

平成2年の5月に岩手県で行われた東日本軟式野球選手権で優勝したことがあるが、そこにつながった全道大会は平成元年の夏に行われた。猛暑といわれた暑い夏であった。

そのメイン球場は十勝平野のど真ん中にある球場であった。最初球場に到着した時に閉口したのは、その臭いである。聞けば、近くに某大手企業のポテトチップス生産工場があって、そこに供給するジャガイモ畑が球場周辺に広がっているのだが、においの元は、その肥料の臭いだということであった。それはほとんど僕らには「肥だめ」の臭いに感じた。

しかし人間の慣れとは恐ろしいもので、そこに数時間いれば臭いは気にならなくなって、試合の合間に平気で弁当を食べたりしていた。

さて宿泊場所であるが、小さな田舎町の駅前の古い日本旅館であった。連盟の紹介だから宿泊料はかなり安い。古い日本間しかなく、個室はない。ただし15人程度は一緒に宿泊できる大広間があって、ほとんどの選手はそこに押し込められた。それはよいとして風呂が家庭用のユニットバスしかない。これには参った。野球の試合に来ているのだから、風呂は1日数回全員が入る必要があり、これでは間に合わない。

ところがそこは宿の女将さんも可哀そうに思ってくれたのか、近くの公設温泉(だったと思うが天然温泉かは定かでない)を紹介してくれて、しかも入浴料は旅館持ちにしてくれた。風呂に出かけるたびに小銭を渡してくれるのである。

もうひとつの問題は食事である。何しろ田舎町だから、こんなに体力の有り余った若い男の集団が連泊することなどほとんどないのだろう。大会前の前泊の日の夕食は、普通のお膳であったが、2日目以降困ったのだろう。

2日目の夕食はホットプレートを数台並べて焼き肉である。しかも肉は近くの農協の白いパックに入ったものがそのまま出てきた。たれは農協で売っている「エバラ焼き肉のたれ」である。

しかし腹をすかせた男が20人近くいるのだから食欲は旺盛である。用意された肉は瞬く間になくなりそうになった。そこで女将さんが我々のマネージャーに手渡したのは現金である。農協に行って好きなだけ肉を追加で買ってきて食べなさいというわけで、質より量が問題の我々としては大変ありがたくその日の夕食は満足した。

そして翌3日目の夕食である。その日に負けて帰るだろうと想像していたのか、3日目の夕食のことなどほとんど考えていなかったんだろう。なんとその日に出てきたのは「よせ鍋」である。手品もないもない、普通のよせ鍋だ。ちなみにその日の日中の気温は30度近くあり、夕方も暑かった・・・。

夕食会場で「土鍋」がいくつも並んでいる光景をみた時には正直驚いたが、他に何もないんだからしょうがない。お腹がいっぱいになることには変わりないし、冷たいビールがかえってうまく感じると考えて文句も言わずに気合で食べたが、正直言って、あの暑さの最中、試合で疲れた状態で食べる真夏の鍋に、あまり食欲などわかなかった覚えがある。あの時の状況と宿の女将さんの人情があったから、食べられたんだろう。

さて、その翌日は準々決勝と準決勝である。ここではさすがに負けるだろうと思っていたんだろうが、もし勝っても「今晩食べさせるものはない」と言われ、勝っても宿を変えるように頼まれた。全く前代未聞であるが、仕方がない。むしろ人のよい宿の女将には気の毒をかけた。我々の宿泊料金など、ほとんど儲けにはならなかっただろう。

結局その日も勝って、宿を別の町の旅館に変え、さらに決勝でも勝って優勝し、全国大会出場を決めたので、ご褒美としてその日も帰宅しないことになって、その夜は道東のとある市のホテルに宿泊して、夜は自由行動であった。

田舎町で様々な不便も経験したが、野球の遠征場所で宿泊した土地土地で様々な人々との出会いを経験し、様々な人情に触れたことが若いころの楽しい思い出になっている。

ほとんどの試合経過は覚えていないが、遠征先で食べた物とか、遊んだ場所、出会った人たちは覚えている。僕にとってそれは貴重な体験であり、財産である。

なお、ひとこと付け加えておくとすれば、そういう思い出の中には、こういう場所で書けないようなエピソードもたくさんあるのである。

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ちなみに画像は平成2年の全国優勝の瞬間、僕が胴上げで宙に舞っているところである。



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