我々の仕事に「お盆休み」というものは存在しないが、世間はやはりお盆ということで、当施設にも朝からいつもより多くの家族の方々が訪問されてにぎやかである。

冬の寒さが厳しい北海道では、正月より、このお盆の時期に、施設利用者が自宅に帰省して家族が集まって過ごすことが多かった。しかしその数は年々減ってきている。

施設利用者の高齢化が進行するということは、同時にその家族の年齢も高くなるということであり、それに加えて近年の要介護状態区分の重度化が加わることで、居宅介護サービスを利用出来ない施設利用者を一時的でも在宅で家族が介護をするということは厳しく、お盆をめがけて自宅に帰省する利用者も少なくなっている、ということだろうと想像できる。

特に一時的に支援するマンパワーが息子や娘、その配偶者である場合、志があっても実際に介護に携わったことがないので方法がわからない、ということもあり、付け焼刃でそれを覚えても不安感が先立って実際の介護が難しいという場合がある。だからといって施設職員が在宅の介護の支援に駆けつけるほど施設のマンパワーが充実しているわけでもなく、残念ながら外泊帰省は年ごとに、宿泊しない外出であったり、自宅には戻らず施設の中に家族が集う形に変化しつつある。

それでも自宅で過ごしたい、何日かなら家族で支援できると考える人もある。しかしその場合、自力歩行が難しく、立位も不能である場合、自宅内では何とか支援できても、自宅まで移動手段がないというケースがある。

この場合は事情に応じて施設の車両を使って、施設の職員の運転と支援で自宅〜施設間の移動をお手伝いする場合がある。日帰りの場合でも午前中に自宅まで送って、夕方にお迎えにあがる、ということも行っている。

このことについて、施設内でも一部疑問と反対の声があることも事実である。自宅帰省の移動はあくまで家族がその責任において行うべきで、たまたま車両が使えて、職員支援ができる状態であったとしても、いつも外出支援ができるとは限らず、全員希望したら全員に同じことをできないという意見もある。

しかし僕はできない理由や、しない理由を考える前に、出来ることは支援して、できない状態になればその時に別な対策や方法を考えればよいと思うし、することの「ネガティブな側面」を考える以前に、することの「ポジティブな側面」を考えたほうが良いと思う。

世の中の方法に善悪、メリット・デメリット、良否は混在する。それを事前に正しく測定することは困難であるが、少なくとも介護支援という分野で、メリットが感じられる部分があるなら「できる支援はする」ということでよいと思う。

帰省という利用者本人や家族にとって意味のある行為を何らかの形で支援することは必要だろうし、今それを行ったからといって、出来ない事情があればその際に説明すればよいだろうし、平等、不平等の理屈でいえば、今そのサービスを必要としている人に対する支援は何も問題とならないと思っている。

そのことは過去の記事「悪平等の弊害・平等とは何か」に詳しく書いているので、そちらを参照してほしいが、施設の支援があればできる行為の芽を、施設側の悪平等的な視点で摘み取る必要はないだろうと思う。

そうしなければ自宅に戻れない、というケースがあるとして、では別な方法を時間をかけて考えましょうといっても、翌年にまた必ず帰省できるとは限らないので、その時に支援しなかったことで機を逸してしまえば、それは利用者、家族、施設職員すべての悔いにつながるのではないだろうか。

同時に施設の送迎があれば帰省できるケースを、施設側の論理で「送迎はしない・できない」と決定することで、帰省そのものができなくなった時でも「それは利用者やその家族の自己責任だから仕方ない」と割り切ることができるほど僕は自身の判断に絶対的な自信を持てない。

最終的に迷ったら、どちらの判断に人の笑顔が付いてくるだろうかと考えて、笑顔が多いであろう方法を選択することもあってよいのではないだろうか。・・・そんなことを内心思っている。まあこの部分では専門家とも、施設運営者ともいえないレベルであるといわれても仕方がないかもしれない。

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