結婚歴がなく、親族がほとんどいないヨシさん(仮名・84歳)は長く一人暮らしを続けていたが、78歳の時に骨折によって歩行困難になり、自宅近くの特養に入所した。車椅子を使った生活を送っているが、施設内の人間関係も良好で、週末には隣近所の友人や知人も面会に訪れ、何の不満もなく生活している。施設の食事やその他のサービスにも満足されており、ここでの生活は大変気に入っている。

ただ一つの心配は長年患っている糖尿病のため血糖値管理が必要なことである。毎朝自分で注射するインスリンによって、血糖値は正常に保たれ日常生活に支障はない。ただ最近指先が震えて、細かな動作に支障がきたしてきていると感じている。ここでは看護師が早朝には出勤しておらず、朝食前には介護職員しかいないためインスリン注射が自分でできなくなれば、朝食の後、看護職員が出勤するまで注射するのを待つか、ここから10キロ先にある療養型の医療機関に入院するか、その他の施設を探すかの選択が必要だ。

この施設で死ぬまで過ごしたいという思いは強いが、朝食前のインスリン注射ができないことで病状が悪化しないかということも心配で、施設長に相談したこともあるが、現在の勤務体制で毎日早朝の看護師の勤務は不可能で、インスリン注射が自分でできないからといって介護職員が替って注射することは法律違反でできないため、看護師のたくさん配置されている施設に移っていただかざるを得ないと告げられた。

ヨシさんは、友人が自宅で家族に注射をしてもらって暮らしているのに、排せつ介助や食事介助、入浴介助や移動介助で日ごろ自分を助けてくれる介護職員が、友人に家族が行っているのと同じ行為を出来ないことに納得ができない。しかし施設長は法律で決まっていると頑としてそれを認めようとしない。自分はこの施設でいつまで生活が続けられるのだろうか、この手で注射ができなくなったら自分はここの施設から捨てられるのだろうかという不安と悲しみを抱えながら、今日もヨシさんは震える手で自分の肩に注射針を刺し続けている・・・・。(ケース1)

道南の、とある田舎町の小さなグループホームで暮らすカヨさん(仮名・72歳)は、3年ほど前から認知症の症状が出て、家族の顔がわからなくなり、自宅から「帰る」と外に出ることが多くなった。夜中に警察に保護されたり、川に落ちて大騒動になったりした。家族が介護に疲れ果てた2年前に近くにグループホームができた。老健のショートステイを使った際にも、夜間の徘徊と奇声を理由に利用を断られた経験があるカヨさんであったが、家族がわらにもすがる思いで、グループホームに入所申請をしたところ、そのホームの施設長が自宅を訪ね、家族からカヨさんの様子を聞いて、自分が責任もってグループホームでお世話することを約束してくれた。

そしてグループホームに入所したカヨさん。当初はホームから頻回に外に飛び出して、その都度職員が付き添って町内を一回りしたり、カヨさんの自宅まで散歩に連れ出したり大変であったが、入所2月目あたりからカヨさんの表情が柔らかくなり、徘徊も減り、夜も落ち着いて寝てくれるようになった。ホームの職員との関係が濃厚になるにつれ、カヨさんは職員が自分を守ってくれる存在と感じるようになったのか、職員と家事や掃除などの行動を共にすることが一番落ち着ける状態のように変わっていった。この変化に家族も驚くばかりであった。

ところがカヨさんがすっかり落ち着いて数か月経った頃、体調が悪くなり、医療機関を受診したところ、過去に指摘されていた糖尿病の悪化があり、血糖値管理が必要になって、インスリン注射が必要だと言われた。状態が落ち着いたといってもカヨさんに自分でインスリンを打つ理解力はない。そのホームは医療連携加算を算定し、外部の訪問看護ステーションから看護師が週2回健康管理の訪問を行っているが、カヨさんの毎朝のインスリンを注射するために訪れることはできない。このため血糖値が落ち着くまで入院できる医療機関を探すか、別の施設への転入所が検討されたが、今までの経緯から、他の場所で生活することはカヨさんにとって悪い影響が生ずることが容易に予測された。血糖値管理・インスリン注射さえできれば、カヨさんは、このままホームで、落ち着いた彼女らしい生活が続けられるのに・・・。

悩んだ施設長は「自分が一切の責任をとる」として、介護職員に毎朝インスリン注射を打つことを指示し、自分は辞表を書き、それを常に懐に入れている・・・・。そんな状況もまったく理解できないカヨさんであるが、今日も同ホームでは彼女の柔和な笑顔がみられ、そこに訪れた家族は2年前のカヨさんと家族の疲れ切った状況を思い出しながら、感謝の涙を毎度流すのである・・・。(ケース2)

この2つのケースをみた時、ケース1の施設長は何も批判されるべき問題はない。法令遵守という意味からは、そうした判断しか取れないし、逆にケース2の施設長の判断や行動は、理由がどうあれ現行の日本の法律の中で許されるべき行動ではない。

しかし人間として、その行動を非難することができるかといえば、僕は首を縦にふれない。

もしこの国の法律が在宅で家族が行っている行為を、施設の介護職員に認めているのであれば、2つのケースは共に何の問題も生じない。二人のお年寄りは平和で安全な生活が続けられるのである。

法律による規制とは人の安全と平和を保障するものであるはずで、医療行為の制限も、技術と知識のある専門家により安全にその手技・行為が提供されるための規制である。よってこの制限を全てなくすることはできないし、そのような意見があるとしたらそれはあまりにも乱暴である。しかしその制限は時代のニーズと人間の暮らし方によって時とともに変化せざるを得ない要素を抱えるもので、法解釈も人の生活の変化にマッチして変わっていかねば、規制はただ単に誰かの権益のためだけのもので多くの人々の不幸の台座の上に孤立する状況を生むだろう。

法令遵守は大事であるが、法律は究極的には人間が作った文章であるから、それを守るだけでは人間の暮らしは守ることができず、時には法律以上の規定を自らが課して守る必要もあり、それが職業倫理でありコンプライアンスの思想である。(参照:職業倫理はなぜ必要か)、しかし同時に人間生活にマッチしなくなった法律を変えるために必要なソーシャルアクションを求めることも我々の責務としてあるべきものだ。

今、我が国の状況は、世界をみても類がない、人類がかつて経験したことがない超高齢社会を迎え、医療技術の進歩はその要因になるのと同時に、医療器具や医療処置が常時必要となる人々を増やしている結果をも生んでおり、その支援の人材を過去と同じ範囲でくくっては行為提供者が足りなくなるのが現実である。だから行為提供者の範囲を広げる手立てが不可欠なのである。

そこには当然セーフティネットが必要だろうが、介護職員が利用者に対して提供できる行為を、せめて「在宅で家族が同様に行っている行為」程度までは広げないと支援の光がすべての高齢者や要介護者に届かないのである。

このことを介護福祉士に手渡そうとした時、当の介護福祉士がそれを拒むのは責任放棄である。中には「そんなことまでやらされて何でも屋になるのは困る」という意見があるとのことだが、現実の施設サービスにおいては介護福祉士にしかできない行為など存在せず、ヘルパー資格者や無資格者にも出来る行為しか許されていない。つまり介護福祉士は「なんでも屋」どころか「何にも出来ない屋」にしか過ぎないのが現実だ。

のどの奥も含めた喀痰吸引や濃厚流動食の注入行為を、介護福祉士が中心になって行うことを拒否するのであれば、その有資格者は、医療職の指示のもと、その下請け行為に限って「何かができる」資格でしかなく、国民の期待に添う責務を担えない意味のない資格に過ぎなくなるだろう。

ヨシさんや、カヨさんを救うことができない介護支援者など、介護の専門職とは言えない。

介護福祉士が要介護高齢者を救えないのであれば、この国は新たに社会の求める責務を担うことができる能力がある介護専門資格を、時代のニーズとマッチさせる形で作り出さねばならないだろう。

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