「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」において特養の介護職員が実施できる行為を拡大しようという議論のさなか、当の介護福祉士の会員組織である介護福祉士会が、会員アンケートの結果として、80%が「吸引は不安」、44%が「吸引を行わないようにすべき」という意見を示し、この問題に消極姿勢をとったことについて僕は「存在意義が問われる介護福祉士」の中で批判した。
その意味を改めてここで補足し、表出した新たな問題を指摘したい。
超高齢社会で医療器具をつけて自宅療養する高齢者が増える社会で、在宅でそれらの方々が生活できるのは家族の医療行為による支援の結果である。それらの高齢者がスムースに施設入所できない理由は、在宅で家族が行っているのと同じ行為を施設の介護職員ができないことによるものだ。
確かに特養には介護職員のほかに、看護職員が配置されているが、看護職員の配置基準は50人施設で2名、100人定員でわずか3名である。多くの特養では配置基準以上の看護職員を雇用し、日中は看護職員がいない日を生じさえないように対応しているが、現行の運営財源である介護給付費で支出できる人件費には限界があり、日によっては看護職員を1名しか配置できない場合もあるし、看護職員の夜勤対応は困難であり、夜間は介護職員しか配置されていない特養が全体の大部分を占める。そのため看護職員による医療行為支援が不可能な時間帯という空白が生じ、例えば早朝、朝食前にインスリンの注射をする看護職員がいないという理由だけでインスリンの自己注射ができない糖尿病の高齢者は特養入所を拒否される場合がある。
これは現実の社会のニーズに沿うものではなく、せめて在宅で同居家族に認めているような行為については特養で介護職員が行ってもよいように規制緩和すべきというのが我々の主張である。何もすべての医療行為の規制を緩和せよといっているのではなく、その基準は在宅の高齢者に「家族が行うことが許されている行為」と限定して主張しているのである。
つまり在宅でケアできていた高齢者が、医療行為に対する支援がネックになって施設入所できないという現状を打破する為には、施設における介護職員がカバーする領域を広げないとならず、それが医療行為の一部を介護職員ができるようにするという意味であり、結果的にそのことは国民のニーズに応えるという意味にほかならない。
しかしそのニーズに対応する役割を担うことに対し、介護福祉士の会員団体が消極姿勢を示すことは、社会的に有益な役割を担ってもらいたいという国民の要望を拒む結果となる。これでは唯一の介護の国家資格である介護福祉士という資格の意義と信頼性が揺らぐだろう。
考えてもらいたいことは、当初老施協は、この一部行為の拡大を担うべき職種については介護福祉士を想定せずに、新たに「療養介護士」という別の資格を導入しようとしていたという事実である。もしこれが実現していたら、介護福祉士の資格の価値も社会的認知も低下することは間違いなく、それは将来的には介護の基礎資格にはなり得ず、療養介護士の下請け的資格になり下がることが必然であった。
しかし結果的には、この案は他団体(日本看護協会等)が「介護の資格を今以上に増やすことは許さない。」という反対論によって見送られた経緯がある。そのことは結果的に介護福祉士資格を救済したことになるはずであった。
ところが、実際には国が介護職員に手渡してもよいのではないか、と検討していた行為について、それを担うべき介護福祉士側が「それを手渡されても困る。」と言ったのである。つまり介護福祉士は「介護福祉士は、それほど社会に役立つ資格ではありません。」と責任を投げ出した結果になるのである。
そしてこの検討会で結論が出され、モデル事業で検証される喀痰吸引や経管栄養に関する介護職員が可能となる行為は非常に範囲の狭い、意味のないものとなったが(参照:医療行為解禁議論の笑える結論)、ここで注目すべきはモデル事業で実施されるのは介護職員の新たな行為だけではなく、それを指導する新たな看護職員の指導も含まれているということである。
つまりこのモデル事業に向けて、看護職員の中の一定条件を備えたものに、一定期間の養成研修を受けさせ「指導看護師(仮称)」に任命して、モデル事業から介護職員に対する指導に携わせるのである。
つまり「介護の資格を今以上に増やすことは許さない」と反対した看護協会側は、このどさくさにまぎれて新たな看護師の資格と権益を手にしたという意味である。介護福祉士会が社会の要請に消極姿勢を示して現状変化・改革をしようとしない中で、看護協会は着々と新しい地盤を固めているという構図が見て取れる。
これにより社会的要請に応える姿勢が疑問視される介護福祉士は、ますます看護職員の管理下でしか仕事のできない存在となる方向に向かわざるを得ない。
介護福祉士という有資格者やその会員組織が社会の要請にもっと積極的に応えようとしない限り、その資格は超高齢社会を担うべき介護の基礎資格とはなり得ず、やがて上級資格が創設され意味のない資格となるか、医療専門職の指揮命令でしか動きがとれない位置づけとされるしかないだろう。
そういう意味では介護の専門資格としての社会的使命とは何かが今後ますます問われることであろうことを、この資格を持つすべての人々は肝に銘じておくべきである。
この記事における警鐘を軽んずるならば、介護福祉士という資格はいずれ社会から大きなしっぺ返しを食らうであろう。
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その意味を改めてここで補足し、表出した新たな問題を指摘したい。
超高齢社会で医療器具をつけて自宅療養する高齢者が増える社会で、在宅でそれらの方々が生活できるのは家族の医療行為による支援の結果である。それらの高齢者がスムースに施設入所できない理由は、在宅で家族が行っているのと同じ行為を施設の介護職員ができないことによるものだ。
確かに特養には介護職員のほかに、看護職員が配置されているが、看護職員の配置基準は50人施設で2名、100人定員でわずか3名である。多くの特養では配置基準以上の看護職員を雇用し、日中は看護職員がいない日を生じさえないように対応しているが、現行の運営財源である介護給付費で支出できる人件費には限界があり、日によっては看護職員を1名しか配置できない場合もあるし、看護職員の夜勤対応は困難であり、夜間は介護職員しか配置されていない特養が全体の大部分を占める。そのため看護職員による医療行為支援が不可能な時間帯という空白が生じ、例えば早朝、朝食前にインスリンの注射をする看護職員がいないという理由だけでインスリンの自己注射ができない糖尿病の高齢者は特養入所を拒否される場合がある。
これは現実の社会のニーズに沿うものではなく、せめて在宅で同居家族に認めているような行為については特養で介護職員が行ってもよいように規制緩和すべきというのが我々の主張である。何もすべての医療行為の規制を緩和せよといっているのではなく、その基準は在宅の高齢者に「家族が行うことが許されている行為」と限定して主張しているのである。
つまり在宅でケアできていた高齢者が、医療行為に対する支援がネックになって施設入所できないという現状を打破する為には、施設における介護職員がカバーする領域を広げないとならず、それが医療行為の一部を介護職員ができるようにするという意味であり、結果的にそのことは国民のニーズに応えるという意味にほかならない。
しかしそのニーズに対応する役割を担うことに対し、介護福祉士の会員団体が消極姿勢を示すことは、社会的に有益な役割を担ってもらいたいという国民の要望を拒む結果となる。これでは唯一の介護の国家資格である介護福祉士という資格の意義と信頼性が揺らぐだろう。
考えてもらいたいことは、当初老施協は、この一部行為の拡大を担うべき職種については介護福祉士を想定せずに、新たに「療養介護士」という別の資格を導入しようとしていたという事実である。もしこれが実現していたら、介護福祉士の資格の価値も社会的認知も低下することは間違いなく、それは将来的には介護の基礎資格にはなり得ず、療養介護士の下請け的資格になり下がることが必然であった。
しかし結果的には、この案は他団体(日本看護協会等)が「介護の資格を今以上に増やすことは許さない。」という反対論によって見送られた経緯がある。そのことは結果的に介護福祉士資格を救済したことになるはずであった。
ところが、実際には国が介護職員に手渡してもよいのではないか、と検討していた行為について、それを担うべき介護福祉士側が「それを手渡されても困る。」と言ったのである。つまり介護福祉士は「介護福祉士は、それほど社会に役立つ資格ではありません。」と責任を投げ出した結果になるのである。
そしてこの検討会で結論が出され、モデル事業で検証される喀痰吸引や経管栄養に関する介護職員が可能となる行為は非常に範囲の狭い、意味のないものとなったが(参照:医療行為解禁議論の笑える結論)、ここで注目すべきはモデル事業で実施されるのは介護職員の新たな行為だけではなく、それを指導する新たな看護職員の指導も含まれているということである。
つまりこのモデル事業に向けて、看護職員の中の一定条件を備えたものに、一定期間の養成研修を受けさせ「指導看護師(仮称)」に任命して、モデル事業から介護職員に対する指導に携わせるのである。
つまり「介護の資格を今以上に増やすことは許さない」と反対した看護協会側は、このどさくさにまぎれて新たな看護師の資格と権益を手にしたという意味である。介護福祉士会が社会の要請に消極姿勢を示して現状変化・改革をしようとしない中で、看護協会は着々と新しい地盤を固めているという構図が見て取れる。
これにより社会的要請に応える姿勢が疑問視される介護福祉士は、ますます看護職員の管理下でしか仕事のできない存在となる方向に向かわざるを得ない。
介護福祉士という有資格者やその会員組織が社会の要請にもっと積極的に応えようとしない限り、その資格は超高齢社会を担うべき介護の基礎資格とはなり得ず、やがて上級資格が創設され意味のない資格となるか、医療専門職の指揮命令でしか動きがとれない位置づけとされるしかないだろう。
そういう意味では介護の専門資格としての社会的使命とは何かが今後ますます問われることであろうことを、この資格を持つすべての人々は肝に銘じておくべきである。
この記事における警鐘を軽んずるならば、介護福祉士という資格はいずれ社会から大きなしっぺ返しを食らうであろう。
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僕は、この状況で介護福祉士がやらねばどうすると発言したのですが、8割が、「介護福祉士は医療行為をするべきではない」「何でも屋になってしまう・・・」などかなり反論されました。
でも、おかしなことに、療養介護士の時は、介護福祉士がいるのに、介護福祉士がやらないでどうするって言ってました。
この貴重なブログの内容については、日本介護福祉士会宛に送りたいくらいです。