特養の相談員が場合によっては「何でも屋」的な見方をされ、非専門的な領域まで業務の中で求められる傾向にあることについて、必ずしもそのことをネガティブに考える必要はないのではないかということについて、かつて「相談員には雑学も大事だよ」で書いたことがある。
もちろん便利屋的に扱われるのは困るが、生活支援というのは、まさに人間生活のあらゆる領域をカバーするんだから、生活相談に係って、その解決手段を探す場合に、必ずしも医療・保険・福祉領域に限った社会資源と利用者を結びつけるとは限らず、世の中のあらゆる社会資源との接点を仲介するのが我々の役割なのだから、その守備範囲は無限の広さがあるといって過言ではない。
しかし業務分掌とか、専門性の名のもとに、この守備範囲を狭く解釈する相談援助者も数多いし、個人の雑多な日常生活に係るのは非専門的で相談援助者の仕事ではないと考えている人も多い。
しかし直接介助ではないけれど、日常生活の個人的問題におけるこの部分で支援してくれるのはソーシャルワーカー以外存在しないことが多く、相談援助者が投げ出してしまえば自己解決の不可能な個人は解決手段を見つけられないまま放置される危険もある。そういう意味で、相談援助者の守備範囲は広いほうがよいし、相談援助に該当するかしないか迷った場合は、まず支援を行う方向から物事を考えるべきだと思っている。
さて僕個人の過去に困った問題であるが、母親が1昨年倒れて、現在寝たきりに近い状態になっている。
倒れる寸前まで元気で「一人暮らし」をしていたので、実家から僕も弟も離れて暮らしており、倒れた際は実家のある地域の市立病院に入院した。
今は僕の自宅近くの医療機関に入院しているが、急性期から回復期にかけては、実家のある場所の医療機関に入院を続けていたわけで、その間、必要な医療侵襲同意などのたびに往復4時間ほどの医療機関へ出向いていた。ここで問題となったのは入院期間中の私物の洗濯である。基本的に患者の洗濯ものまで医療機関で対応してくれないが、5日程度でたまってしまう洗濯ものを引き取りに往復4時間かけて病院に通うほどの時間は僕にはなかった。お金がかかってもよいから何とかしてほしいと思っても病院自体は、この件にノータッチである。相談室があるといっても、それは医療相談ではないから「お役に立てない」ということで門前払いである。
しかしそれでよいのだろうか?僕が困ったからではなく、洗濯ものを処理できないために入院に支障がきたすとしたら、その支援を行うことも必要な支援業務ではないかと疑問に感じた。
結果的に僕の場合は、亡父の妹が市内に住んでいて毎日のように通ってくれ、洗濯もしてくれて実質的に困ることはなかったのであるが、その叔母がいなかったらどうしたのだろうと思った。叔母も70代で、車の運転ができるわけもなく、毎日バスで病院通いをするのは大変だったろうが、こうした親族に頼る以外に方法がないとしたら、今後の社会情勢ではますます入院さえ困難な人が増えるだろう。
同じようなことが我が施設の入所者にも起こった。一番近くの近親者が札幌に住む息子さんで、遠いながらいつも親身に協力してくれるのであるが、この方が一時的に医療機関入院が必要になり、この洗濯の問題が生じた。医療機関ではいかなる対応もできないということで、札幌の息子さんに1週間に1度は洗濯ものを取りに来てほしいと連絡があったそうで、施設側に何とかならないのかと連絡があった。
当然、息子さんの仕事の状況もわかっているので、なんとかせねばならないと、当施設のソーシャルワーカーが、施設の出入りのクリーニング業者を斡旋し対応した。もちろんそのこと自体は我々の役割で、場合によっては施設がクリーニングの支援をすることもあり得ると考えているが、こうした問題を医療機関や、その相談室などの担当課が「我れ関せず」という態度が当たり前という状況は、あまりにも杓子定規で、相談援助とは何ぞや、ということになるように感じている。
こうした問題を「非専門的で患者個人の問題」と放置する社会が正しいとは思わないのである。
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もちろん便利屋的に扱われるのは困るが、生活支援というのは、まさに人間生活のあらゆる領域をカバーするんだから、生活相談に係って、その解決手段を探す場合に、必ずしも医療・保険・福祉領域に限った社会資源と利用者を結びつけるとは限らず、世の中のあらゆる社会資源との接点を仲介するのが我々の役割なのだから、その守備範囲は無限の広さがあるといって過言ではない。
しかし業務分掌とか、専門性の名のもとに、この守備範囲を狭く解釈する相談援助者も数多いし、個人の雑多な日常生活に係るのは非専門的で相談援助者の仕事ではないと考えている人も多い。
しかし直接介助ではないけれど、日常生活の個人的問題におけるこの部分で支援してくれるのはソーシャルワーカー以外存在しないことが多く、相談援助者が投げ出してしまえば自己解決の不可能な個人は解決手段を見つけられないまま放置される危険もある。そういう意味で、相談援助者の守備範囲は広いほうがよいし、相談援助に該当するかしないか迷った場合は、まず支援を行う方向から物事を考えるべきだと思っている。
さて僕個人の過去に困った問題であるが、母親が1昨年倒れて、現在寝たきりに近い状態になっている。
倒れる寸前まで元気で「一人暮らし」をしていたので、実家から僕も弟も離れて暮らしており、倒れた際は実家のある地域の市立病院に入院した。
今は僕の自宅近くの医療機関に入院しているが、急性期から回復期にかけては、実家のある場所の医療機関に入院を続けていたわけで、その間、必要な医療侵襲同意などのたびに往復4時間ほどの医療機関へ出向いていた。ここで問題となったのは入院期間中の私物の洗濯である。基本的に患者の洗濯ものまで医療機関で対応してくれないが、5日程度でたまってしまう洗濯ものを引き取りに往復4時間かけて病院に通うほどの時間は僕にはなかった。お金がかかってもよいから何とかしてほしいと思っても病院自体は、この件にノータッチである。相談室があるといっても、それは医療相談ではないから「お役に立てない」ということで門前払いである。
しかしそれでよいのだろうか?僕が困ったからではなく、洗濯ものを処理できないために入院に支障がきたすとしたら、その支援を行うことも必要な支援業務ではないかと疑問に感じた。
結果的に僕の場合は、亡父の妹が市内に住んでいて毎日のように通ってくれ、洗濯もしてくれて実質的に困ることはなかったのであるが、その叔母がいなかったらどうしたのだろうと思った。叔母も70代で、車の運転ができるわけもなく、毎日バスで病院通いをするのは大変だったろうが、こうした親族に頼る以外に方法がないとしたら、今後の社会情勢ではますます入院さえ困難な人が増えるだろう。
同じようなことが我が施設の入所者にも起こった。一番近くの近親者が札幌に住む息子さんで、遠いながらいつも親身に協力してくれるのであるが、この方が一時的に医療機関入院が必要になり、この洗濯の問題が生じた。医療機関ではいかなる対応もできないということで、札幌の息子さんに1週間に1度は洗濯ものを取りに来てほしいと連絡があったそうで、施設側に何とかならないのかと連絡があった。
当然、息子さんの仕事の状況もわかっているので、なんとかせねばならないと、当施設のソーシャルワーカーが、施設の出入りのクリーニング業者を斡旋し対応した。もちろんそのこと自体は我々の役割で、場合によっては施設がクリーニングの支援をすることもあり得ると考えているが、こうした問題を医療機関や、その相談室などの担当課が「我れ関せず」という態度が当たり前という状況は、あまりにも杓子定規で、相談援助とは何ぞや、ということになるように感じている。
こうした問題を「非専門的で患者個人の問題」と放置する社会が正しいとは思わないのである。
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