社会福祉援助に携わる人々は、援助対象者の過去の生活歴に触れる機会が多い。
特養でもこれは同様で、利用者の家族関係や生活歴は重要な情報である。もちろんそのことが不明な場合もあり、だからといって援助ができないということもないが、生活歴の中には、現在問題になっている人間関係や健康問題につながる情報が隠されていたり、今後の支援方法を考える上で重要な要素となる生活習慣の情報が含まれていたりする。
よって援助を行う上でそれは不可欠ではなくとも、確認しておくべき必要がある情報といえる。
僕自身も利用者の生活歴を調べて、記録にまとめる機会は多いし、あるいは他機関を経て入所された方の場合などは、当該機関の前任担当者がまとめた生活歴情報を読んで確認することも多い。
前任者の記録を読むと、それぞれ特徴があり、こうやって記録すれば良いのか、という気付きやヒントになるものもあるし、逆に、何を書いているのか前後の文脈のつながりのない読みにくいものもある。決して文章がうまくなくても良いから、情報として第三者に伝わる記録として丁寧にまとめることが一番重要であろう。
ところで、我々は、これらの生活歴情報を決して興味本位で読んでいるわけではないが、しかし明治・大正・昭和初期という時代に生きた人々の生活歴は、読んでいて仕事を忘れて、ついつい引き込まれてしまうような壮絶な半生記であったりする。
我々の現在の生活からは想像できないほど凄惨であったり、過酷であったりする「人生」をその中から読みとることも多い。
例えば、一口に貧困と言っても、現在の貧困と過去の貧困では、レベルというより、その質がかなり違っているように思う。人の生存がぎりぎりに近いところでやっと維持され、生活が極限状況で営まれているような状態がときに垣間見られる。
中には、自ら進んで破滅の道にひたすら歩き続けるような人生がある。その原因が時として、酒であったり、薬であったり、バクチであったり、男女関係であったりする。しかしほとんど全てといってよいくらい、そこには金の問題(経済問題というほどきれいな問題ではないだろう)が絡んでいるように思える。
今回改めて考えさせられたのは、あの消えた年金問題である。
ある利用者の年金受給資格が確認され、未支給年金分として数百万円の額が通帳に振り込まれ、今後の年金収入も生活に困らない額の支給がされるようになった。
そのこと自体は大変に喜ばしいことである。だが、この方は生活保護を受給しており、今回の年金支給で保護が必要ないとして打ち切られることになった。そのこと自体も問題ではない。
この方の人生を振り返ると、年金収入を始めとした収入がないという問題が、高齢期にさしかかった後半生に大きな影を落とし、生活保護受給に至るまでの間に、様々な問題を生じさせ、妻や子供といった家族をすべて失い、親戚を始めとした知人・友人との関係を全て失い、身体の健康も、精神の安定もすべて失って、その後にはじめて入院先で生活保護を受け、今に至っている。
もし年金記録が正常に保管され、受給できる時期に年金が給付されていたら、この人は失わずに済んだものも多いのではないかと思った。もちろん、これまでの状況に至る全ての原因が金銭ではないし、個人的資質の問題もまったく関係ないとはいえないが、しかし経済的基盤ということは人間生活にとって非常に重要な要素で、この方の後半生にも大きな影響があったと考えざるを得ない。
金で人生を買うことはできないが、金がないから失ってしまう人生がある。しかし、そのことが後に明らかになっても、過去を金で買い戻すことはできない。
記録が失われたことにより支給されなかった年金が、当事者のその後の人生に大きなマイナスの影響を与えていたとしたら、余りにもそれは哀しいことであるし、社会保険庁の罪は重い。
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特養でもこれは同様で、利用者の家族関係や生活歴は重要な情報である。もちろんそのことが不明な場合もあり、だからといって援助ができないということもないが、生活歴の中には、現在問題になっている人間関係や健康問題につながる情報が隠されていたり、今後の支援方法を考える上で重要な要素となる生活習慣の情報が含まれていたりする。
よって援助を行う上でそれは不可欠ではなくとも、確認しておくべき必要がある情報といえる。
僕自身も利用者の生活歴を調べて、記録にまとめる機会は多いし、あるいは他機関を経て入所された方の場合などは、当該機関の前任担当者がまとめた生活歴情報を読んで確認することも多い。
前任者の記録を読むと、それぞれ特徴があり、こうやって記録すれば良いのか、という気付きやヒントになるものもあるし、逆に、何を書いているのか前後の文脈のつながりのない読みにくいものもある。決して文章がうまくなくても良いから、情報として第三者に伝わる記録として丁寧にまとめることが一番重要であろう。
ところで、我々は、これらの生活歴情報を決して興味本位で読んでいるわけではないが、しかし明治・大正・昭和初期という時代に生きた人々の生活歴は、読んでいて仕事を忘れて、ついつい引き込まれてしまうような壮絶な半生記であったりする。
我々の現在の生活からは想像できないほど凄惨であったり、過酷であったりする「人生」をその中から読みとることも多い。
例えば、一口に貧困と言っても、現在の貧困と過去の貧困では、レベルというより、その質がかなり違っているように思う。人の生存がぎりぎりに近いところでやっと維持され、生活が極限状況で営まれているような状態がときに垣間見られる。
中には、自ら進んで破滅の道にひたすら歩き続けるような人生がある。その原因が時として、酒であったり、薬であったり、バクチであったり、男女関係であったりする。しかしほとんど全てといってよいくらい、そこには金の問題(経済問題というほどきれいな問題ではないだろう)が絡んでいるように思える。
今回改めて考えさせられたのは、あの消えた年金問題である。
ある利用者の年金受給資格が確認され、未支給年金分として数百万円の額が通帳に振り込まれ、今後の年金収入も生活に困らない額の支給がされるようになった。
そのこと自体は大変に喜ばしいことである。だが、この方は生活保護を受給しており、今回の年金支給で保護が必要ないとして打ち切られることになった。そのこと自体も問題ではない。
この方の人生を振り返ると、年金収入を始めとした収入がないという問題が、高齢期にさしかかった後半生に大きな影を落とし、生活保護受給に至るまでの間に、様々な問題を生じさせ、妻や子供といった家族をすべて失い、親戚を始めとした知人・友人との関係を全て失い、身体の健康も、精神の安定もすべて失って、その後にはじめて入院先で生活保護を受け、今に至っている。
もし年金記録が正常に保管され、受給できる時期に年金が給付されていたら、この人は失わずに済んだものも多いのではないかと思った。もちろん、これまでの状況に至る全ての原因が金銭ではないし、個人的資質の問題もまったく関係ないとはいえないが、しかし経済的基盤ということは人間生活にとって非常に重要な要素で、この方の後半生にも大きな影響があったと考えざるを得ない。
金で人生を買うことはできないが、金がないから失ってしまう人生がある。しかし、そのことが後に明らかになっても、過去を金で買い戻すことはできない。
記録が失われたことにより支給されなかった年金が、当事者のその後の人生に大きなマイナスの影響を与えていたとしたら、余りにもそれは哀しいことであるし、社会保険庁の罪は重い。
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