特養における看取り介護の実施の可否や、計画同意について、ほとんどの場合、本人ではなく、その家族に説明同意を頂く現状なっている。しかし必ずしも、そのことは不適切とは思っていない。

その理由は、看取り介護の対象者である施設利用者本人が「施設で最期の時を迎え過ごしたい」と日頃から考えていることと、今まさに「貴方は看取り介護の状態になりました。」と告知されることは同じことではないと思うからであり、そのことは「看取り介護考〜死の告知。」に詳しく書いているので参照してほしい。

当然、家族に看取り介護の同意を頂く過程では、本人がこの施設で最期まで過ごしたいと思っているのか、そのことが最善の方法なのか、そのことに本人が不安や不満を感じないのかという検証作業が不可欠なわけであり、意思表示ができない利用者に関しても、我々職員は、日頃から利用者に接してきた様々な経験や状況から想像できる「利用者の思い」を代弁し、それを最大限に生かす努力が求められる。これがアドボカシー(advocacy)機能であり、支持・擁護の意味合いが含まれる。

そうであれば、我々は単に利用者の思いに心を馳せ、看取り介護の計画同意を得ることに留まらず、実際の看取り介護期において「残された時間をどう過ごしたいのだろうか?」という思いにも心を寄せ、できる限り望まれるであろう状態に近づける環境を提供する必要があるはずである。

では我々が接する高齢者の方々が、終末期に「どう過ごしたい」と考えているのだろう?

もちろん、それは個人差がある問題だから、標準やマニュアルはあり得ず、その当事者の立場に立って考える視点が不可欠である。しかし同時に、多くの方々が抱くであろう「思い」を知っておくことも必要だし、それは重要なヒントである。

日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団による「ホスピス・緩和ケアに関する意識調査」の07年報告書によれば「死期が近い場合、若い世代では、これまでできなかったことをしたいと考えるのに対し、高齢者はこれまでと変わらない生活スタイルを望む傾向にあった。」としている。

また全世代共通のアンケートでは「残された時間をどう過ごしたいか」という問いに対し(複数回答)第1位が「家族と過ごす時間を増やしたい」62.9%、第2位が「家族や周りの人に大切なことを伝えておきたい」54.4%となっている。

こうしたことをヒントに考えるなら、最低限我々が押さえておかねばならない視点は、看取り介護に移行したからといって、特別な制限がなるべくないような、それまでの生活の継続性に着目すべきだし、できる活動を「看取り介護だから」という理由で制限する必要もないし、できるだけ様々な人間関係やコミュニケーションも継続できるようにしなければならない、ということではないかと考える。

またどのような人にも共通してある「思い」として、家族に見守られながら過ごす、という時間を大切にする必要があると考える。だから家族が宿泊できたり、長期滞在できたりする設備や支援体制は重要であるし、同時に「泊まることができる」とアプローチするのではなく「泊まって一緒に過ごす時間を持ちませんか」と呼びかけることも「看取り介護」の時期には必要だろうと思う。

特養等の介護施設における終末ケア=看取り介護においては、医療機関で行うターミナルケアより以上に、家族が一緒に参加して関れる、という特徴がある。これは施設サービスの機能を家族に代替させるのではなく「最期に残された時間をどう過ごしたいか」という利用者の思いに沿う意味があることを忘れてはならない。

利用者と家族が、最期に息を引き取る瞬間まで「かかわりの時間」を持つことを支援することも介護施設の看取り介護の重要な役割である。

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