悩みを持つ人がいる場合、ベテランで腕の良いという評判がある相談援助の専門職員に相談すれば、常に正しい「答え」を示してくれると考えるのは大きな間違いである。

相談援助の専門家が示すことができるものは、例えば制度で決められているルールや手続きの方法など、決まりきったものの専門知識のみであり「個別の心の悩みの答え」という引き出しは持っていない。

相談援助者が持つ技術や能力とは「心の悩み」を持つ人の立場にたって、それを共感的に理解して、その訴えを受け止めて、ともに考えて、相談する人自身が答えを引き出す手助けをすることである。

逆に言えば簡単に答えを示す相談援助者というのはろくなものではない。それは単に自分の価値観を他人に押し付けて説得するだけの結果でしかないといえる。

答えを示すより大事なことは、答えをともに探すことである。それゆえ話を聞く、という姿勢は常に持ち続けなければならない。この姿勢を失ってしまえば相談援助者としての資格はない。

それぞれの人の生活や心とは、この世の中でもっとも個別な領域であり、それゆえ最も非専門的な領域であるといえる。だからその個別性の専門家など他者ではあり得ない。自分自身しか自分の専門家になり得ないのである。

しかも厄介なことに、自分自身の心の悩みというのは、理屈で説明したり、解決したりできる種類のものではなく、理屈はそうであっても現実の自分は心配でたまらないというような、自分自身でコントロール不能な状態や感情なのである。それだけ人間の感情や思考は複雑であるという意味でもある。だから説得で悩みは消えることがなく、自身で答えを引き出すことしか解決の道はない。

自分自身の専門家は自分以外なり得ないと言っても、だからといって、自分自身のことは自分が一番良くわかっている、というのは真実ではない。自分のことさえもわからなくなるのが悩みの原因であり、感情のコントロールができない状態で、客観的な視点をもてない精神状況のとき、そのことに簡単に気付かないのが人間の複雑さなのである。自分のことであるから、自身で見えなくなってしまうこともあるのだ。

だから困ったときは、迷ったとき、悩んだときは是非、相談してほしい。どんなに忙しいときでも、相談のチャンネルは常時開かれている。それがソーシャルワーカーの務めでもある。

ソーシャルワーカーはそのとき、悩みを解決する手助けをする専門家であり、答えのヒントになるものについて様々な引き出しを持って、その引き出しをあけながら真摯に関わる方法を身につけている。しかし答え自体がワーカーの掌の中にあるということではない。

時には、引き出された真実や答えの中身はワーカーの想像や知識の範囲を超えることがある。

また、優秀なソーシャルワーカーだから、自分自信の悩みを持たないということもあり得ない。

他人の悩みの相談を受けることはできても、自分自身の身に降りかかった問題まで、すべて自分自身で解決できるというほど人間は単純ではなく、強くもないのである。

人間は決して強くない。自立だけが求められる価値観ではなく、時には誰かに頼って、誰かに支えられて生きていくのが人間である。弱いことは決して恥ずかしいことではなく、人間として当たり前のことだ。時には「自立なんて、くそくらえだ!!」と考える場面があって良いのが人間社会だ。人と人が支えあうのが本当の人間社会なんだから。

誰かによりかかって、しっかり支えてもらって、慰めてもらったり、励まされたり、ときにはそっと寄り添ってもらうことが必要なのである。

心の弱さ、自分の弱さを恥ずる必要は一切ない。それが人間の本来の姿なのだから・・・。