表の掲示板は、関係者の皆さんが情報を集める為に利用しており、精神的にきつい状況でも、回答できる部分は(非常に機械的、惰性的な表現になっているかもしれないが)変わらずにレスポンスを書き続けている。それが掲示板を作成し、管理しているものの一つの義務と考えているからだ。

それさえできない状態になったら閉鎖するべきだろうと考えている。責任持った管理が難しいからである。

しかし、このブログに自分の思いを書くということができるような精神状態には、なかなか回復しなかった。もともとこのブログは自分のストレス発散のために、表の掲示板より自由に、書きたいことを遠慮せず、歯に衣着せず書ける場所として作ったもので、元気を出す場所ではあるが、元気のないときまで無理して書くような場所ではないからである。

このことについて、たくさんの皆様から励ましのお言葉や、ブログ再開の期待の言葉をいただいた。実際に記事更新を休むことを宣言した短い記事には、たくさんのコメントが書かれている。

見ず知らずの人がメールで励ましてくれたりもして大変勇気づけられた。しかしそれに返信する気力も湧かないのが現状ではある。

知り合いからは「何気に」気遣いの電話などを頂いている。たくさんの善意に感謝の気持ちで一杯である。

今も、自分の精神的状況はあまり変化がない。というか、これから先も以前と同じ状況に戻ることはないのかもしれない。

今は、ただただ自分の力のなさを痛感している。自己嫌悪というのだろうか、自分の力の足りなさに対してやりきれない思いを感じている。そのことで精神的に少しまいっているだけである。まあ、そういう分析は出来ているので、あまり心配はしないでほしい。

しかしいつまでもそこに留まっておっては他人に迷惑がかかるだけだろう。人には悟られないように普通に振舞おうと思って、実際にそのようにしている。(そのつもりである)。

できることなら今まで以上に、自分が他人に少しでも役立つことが自分にできるせめてものことで、そのことで自分自身を励ましたいと思う。それが今の正直な気持ちである。というか、そうでも考えない限り、何をする気力も湧かない。だから多くの方が期待してくださるブログの再開の声に応えることも自分の務めではないか、ブログを書くことで役に立てることもあるのではないかと考えはじめた。それもつい先ほどのことである。

だから今日から、少しずつ、また熱い思いが湧き上るように、思い浮かんだことを書いていこうと思って、いまPC画面に向っているところである。

ただ今までのように、書きたいことが自然と思い浮かんでくるかどうかについては自信はない。少なくとも今日は脈絡のない文章になるだろう・・・。明日からは普通に書けるようになればいいな・・・。

・・・・・。

自己実現とは、自分が他人の役に立ちたいという思いや動機と深く関連している。

社会福祉援助に携わる人々にとって、その思いは特に強いものであるはずだ。しかし他人の役に立つ術(すべ)を、人は時々見失ってしまう。それどころか自分の立ち位置されわからなくなってしまうことがある。深い闇の中に包み込まれ、身動きさえ出来なくなるときがある。

そこを乗り越える為には、自分の力で、自分の足先を一歩進める以外ないんだろう。

この世の中に、望まれず生まれてきた人などおらず、他人を傷つけることを目的に生きている人間などいるはずがなく、そして誰もが幸せを願いながら生きている。

しかし何かの拍子で歯車が狂って人を狂気に駆り立てる目に見えないものが存在する。

そんなところまでいかなくとも、自ら欲しないところで、人は人を傷つけたり、人の心の闇に気がつかず通り過ぎてしまうことで、人を救えなかったりする。そういう意味では人は生きている限り、常に罪作りなものなのかもしれない。

そうならないためには神になるしかないのだろうか・・・。

人間とはなんと弱く、不完全な動物なのであろう。

しかしそれでもそこから逃げることはできない。それでも歩き続けることをやめてはいけないんだろう。様々な業(ごう)を背負いながら、人は歩き続けなければならない。

重い十字架を背負ったまま歩き続けなければならないのが、人が持つ宿命なのかもしれない。