いつか時が経ち僕らも、死んでしまう日が来るさ。その時までに何を残せるのかな・・。」

・・・子供の頃、死は身近なものではなかった。祖父母も元気で、父や母も若かったから、自分の周りに死を意識するようなものがほとんど何もなかった。それはテレビドラマのように、どこか非現実的なものであった。

僕は下川鉱山という銅を産出する鉱山町で生まれ育ったのだが、小学校低学年のとき、坑内で落盤死亡事故が起きた。その当時は安全性が高い鉱山といわれ、死亡事故がない年が長く続いていたので、それは多くの関係者にとっても想像外の事故であったし、僕にとっては生まれてはじめて「鉱山とは死亡事故が起こるような場所なのだ」と感じた経験であった。

その事故で同級生の父親が亡くなった。夜のNHKニュースで訃報が伝えられたが、そのときも、すぐ近くに住む同級生の顔見知りの父親の死ではあっても、テレビ画面の中の非現実的な出来事のように感じた覚えがある。

僕の父親はいわゆるホワイトカラーであり、労働組合の専従の書記長であったから、坑内業務があるわけではなく、そういう意味でも落盤事故が自身の家族の問題として認識できるような環境でもなかった。もちろん子供であったからその事故の重大さや、人の死というもの自体を理解できなかった、ということが一番大きな要因であったろう。

その事故を現実の出来事として実感したのは、同級生の哀しむ姿を見たときであったろうか・・。その記憶も今はほとんどない。

しかし以後も、自分と死の距離は遠いものであった。子供の頃、親類の葬式に出た記憶もほとんどなくなっているが、それはそれほど自分の中で意味を感じないセレモニーと感じていたからではないだろうか。

だが、いつの頃からか、自分と死の距離が随分近いものと感じるようになった。それは自分の死期を感じると言う意味ではなく、自分の周りに「死のある風景」が現実として存在することを感じるようになったという意味である。

日本人の平均寿命や平均余命を考えると、僕自身と死の距離はまだ遠く、それは先にあると思うが、同時に僕自身にもそれが訪れる時期が、いずれ来るであろうことを「自分の現実」として意識する年になってきた。

思えば人生とは自分探しの旅である。僕は今、本当の自分自身に出会えているのだろうか。施設で仕事をしている自分や、ブログを書いている今の自分が、本当の姿なのだろうか。僕のリアルはどこに存在しているんだろう。もしかしたら自分という人間を、虚構の中で創造し、その幻想を現実化しているのが本当のところかもしれない。本当の自分に出逢うことができるのは、もしかしたら死の瞬間のみであるのかもしれない。

自分自身の死というものを考えたとき、どういう形でそのときを迎えるのかわかる術(すべ)もないが、ひとつ言えることは、この世に生を受けたことに感謝して、生んでくれた両親に感謝して、この世で友人や知人や、家族に出会えたことに感謝して死んでいくだろうということである。

少なくとも、そのことは、今この瞬間の僕の真実である。

冒頭の一節は「ゆず」の「リアル」という曲の歌詞の一部である。

僕自身は死後、名を残したいとは思わないし、全ての人の記憶から僕の存在が消え去って、ただ土に還ることを厭(いと)わない。それでよいと思っている。ただその瞬間に心安らかであり、その思いを誰かに伝えられることができれば素敵だろうなあ、とは思う。

ただ今の僕が願うことは、生きている全ての人々が命を敬い、生あることを喜びに感じ、全ての命を大切にしてほしい、ということだ。

冒頭の歌詞の一節には次の言葉が続いている。

大げさなことではなく、例えば君のぬくもり、そんなことが僕を変えてゆく・・。」

この世に生きる全ての人々が、生きるということに、その人生に、ぬくもりを感じられることが一番大切なことである。