日本看護協会という団体と、その幹部連中は本当にどうしようもない「社会悪」である。

地域の高齢者や、その家族が流している涙の意味を理解しようとせず、自分達の権益のみを守るための理屈しか考えない。そして、その他の意見にはまったく耳を貸そうともしない。自身がドンキホーテの役割を演じていることに気付かないのか、気付こうとしないのか・・・。

今、介護の問題に関連して、過去に書いた「白衣は泣いている」と同じ状況が特別養護老人ホームにおける介護職員への医療行為解禁問題で繰り返されている。

厚生労働省が立ち上げた医政局長と老健局長の私的研究会「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」の議論が今年2月から始まったことに関連して、全国社会福祉協議会の「月刊福祉6月号」において『福祉サービスと医療行為』という特集が組まれ、依頼を受けて「求められる介護職員への医療行為解禁」という小論文を書いた。

その特集の中で、日本看護協会の常任理事の一人が、意見を寄せている。それを読んで驚いた。理屈も何もあったものではない。ただただ介護職員への行為解禁反対ありきの国民ニーズ無視の主張の繰り返しである。そしていつものように「安全」は看護職員でしか担保できないという理屈を金科玉条にした論理展開である。あの人たちは、もう雲の上で議論しているだけで、社会を、地域の隅々を見ていないといってよいだろう。

その主な主張はこうである。
「問題は介護職員に医療行為をさせることではなく、看護師が特養に少ないことが問題」として

1.看護師は不足しておらず、求人と求職のマッチングがうまくいっていない。
2.特養の看護師配置基準が少なすぎる。看護体制を守るためには配置基準の引き上げ議論を。
3.看護師が常駐しておれば安全の対応ができるので、そういう体制作りを。

という内容である。特養の多くが看護師を募集してもなかなか応募が少ないことを単に「求人と求職のマッチングがうまくいっていない」で片付けられるのか?地域によっては医療機関とその奪い合いがされ、雇用コストが上昇しており、それに体力が持たない施設も生まれている。そもそも医療機関でさえも看護師が集まらずに一部の病床を閉鎖している状況があることをまったく無視した論理である。

特養の配置基準を見直す必要はあるといっても、特養に365日24時間看護師が常駐する体制を作るには、現在の老健並かそれ以上の配置が必要だ。そんな人的資源確保ができるかということを全国の施設数と、看護師の雇用実態から考えればそれがいかに荒唐無稽の論理かということが明らかだし、そんな配置を実現する為のコストの視点は皆無である。勝手な論理にもほどがある。

介護職員への医療行為の解禁といっても、我々は何も全ての行為を介護職員が看護師と同じく行えるようにすべきという主張をしているわけではない。

現在「医療行為」と考えられている行為の中には、実際には同居の家族が行うことができる行為も含まれており、介護職員に一定条件下でも認めてよい行為と、医師や看護師等の有資格者しかできない行為を区分して、家族でも行うことができるような行為については適切な医療・看護の専門職員の管理下において施設の介護職員でも行うことができるようにすべきというのが検討されるべき課題であり、介護職員への行為解禁の意味なのである。

地域社会の現状をみると、在宅において医療器具を装着して生活している人が高齢者を中心に増えている。これらの方々の療養生活を支えているのは家族の介護や医療行為である。

家族の行う医療行為は、生業とならないということで、医療行為ではない「生活行為」であるという解釈により、それは認められるのである。

しかし家族が一時的に介護を行えない状況が生じた場合、それらの在宅療養者の支援を誰が担うのであろう。すべてのケースについて訪問看護が替わって支援ができるほど地域にサービス資源はない。その場合、一時的な短期入所や施設入所が検討されるが、それらの方々が特養に入所した途端、家族が行っていた同じ行為が施設の介護職員には許されない。施設の介護職員としてその行為を行うことは反復継続的な医療行為に該当するとされ法律違反になるからである。そうした現実があることで必要なサービス利用ができないケースも多い。

また在宅では業務外のボランティアとしての行為としては認められているヘルパー等による「喀痰吸引」も、施設の介護職員には認められていない。施設サービスである以上、すべて業務とみなされることがその理由である。

そのような状況であるがゆえに、例えば在宅でインスリンの自己注射ができない高齢者に、同居の家族が替わってその行為を行って暮らしを支えているのに、その高齢者に特養入所の必要性が生じたとする。しかし朝食前にインスリンを注射できる看護職員がいないことが理由で入所できないケースがある。そういう意味においては実際には24時間医療行為が必要ではない高齢者であっても、一部の医療行為を特定の時間に支援できないことにより特養入所ができないという状況があり、このことを超高齢社会という時代のニーズや社会資源の状況に対応して変えていく必要があるのではないか、というのが介護施設関係者の主張である。

こうした事情を鑑みながら要介護者を地域で支える為には何が必要なのかと考えたとき、医師や看護職員でなくとも行える行為を増やすことは必要不可欠と考えざるを得ない。

家族ができている行為が介護職員に認められないのはおかしいし、在宅で認められている喀痰吸引が施設では認められないのもおかしい。施設サービスの現場では、在宅より一層、医師や看護師の関与は容易で、その管理下におくことも用意であり、安全性は在宅サービスの現場より高まるはずだ。家族より一定の教育を受ける介護職員の行為のほうがリスクが高いなんてことはあり得ない。

現在の我が国は、過去に人類が経験していない超高齢社会を迎えている。医療の発達の結果、医療対応が常時必要な人が医療機関以外で生活する必要を生じさせているのである。「誰もが安心して暮らせる社会」の実現のためには、高齢者や障がいを持つ方々への支援を社会全体のシステムの中で賄うという視点が不可欠であり、それは行為提供者の数が足りなくならないことも含めて考えられるべきである。

看護師だけに任せていられる社会情勢ではないし、権益にやっきとなる団体などに任せられる問題ではないのである。

こうした状況下で「安全と安心」という言葉を都合の良い場面だけで金科玉条のように使い、合理的な主張にも一切耳を貸さず、自己権益を守るための主張のみを続ける彼女達が着る白衣の向こう側から透けて見えるものは黒い心であり、彼女達に一番似合わないものこそ白衣である。

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