悪夢の札幌ドーム開幕3連敗からスタートした、我がファイターズの2009年シーズンであるが、今日時点では5連勝中で首位に立っている。4月この時期の順位はほとんど無意味であるが、ファンとしては気分が悪かろうはずがない。一時的でも喜ばせてくれてファイターズには感謝一杯である。

投手力が看板であるはずのチームが、防御率が悪いのに勝っている理由は、現在12球団トップの打率と得点で投手を援護する「打線の力」である。二岡とヒメネスという新戦力が加わった以外に昨年までのメンバーと、ほとんど変わらないのに、この違いは何だろう。

打線はいずれ落ちてくるだろうが、そのとき今度は本来の投手力で支えてもらえば、日本一奪還も夢ではない。北海道のファンは10月まで熱く燃え続けるだろう。

好調の打線の牽引者は「恐怖の9番打者・5割バッター・ミスターツーベース」などのいくつもの冠がつく金子誠であろうが、もう一人、主に5番を打って好機にしっかりタイムリーを放つ小谷野栄一の存在が光っている。

我々の世代で「エイちゃん」と言えば矢沢永吉であるが、今、札幌ドームに足を運んでいるファンにとって「エイちゃん」と言えば、小谷野のエイちゃん、なのであり、チームでも人気者である。

このプレーヤーを内野も外野もこなすユーティリティプレイヤーという人がいるが、それは彼の本質を現していない。確かにどこでも守れる器用さはあるが、特に3塁手としての守備力は12球団ナンバーワンだろう。しかも彼の特徴はチャンスに強い、しぶとい打撃であり「ユーティリティプレイヤー」の域をはるかに超えた選手である。

ところがこの選手のすごいところは、順風満帆のプロ生活を送ってきたわけではなく、病気と闘い、それを克服して這い上がってきて、いまや1流選手に手の届くところまで来ている点である。

彼が患った病気とは「パニック障害」である。

「パニック障害」とはパニック発作を頻繁に引き起こす疾患のことで、不安障害のひとつとされている。症状としては、人が混雑している狭い空間に不安を感じてパニックとなったり、歩行中に突然、強いストレスを覚え、動悸・息切れ・めまいなどの自律神経症状と空間認知(空間等の情報を収集する力)による強い不安感に襲われる。症状や度合は、患者によって様々軽・重度患者ともに発作が表れる時に感じる心理的(空間認知など)印象としては、同じような傾向が見られ、漠然とした不安と空間の圧迫感や動悸、呼吸困難等でパニックに陥り、「倒れて死ぬのでは、ないか?」などの恐怖感を覚える人は少なくない。

創価大学で1年秋からレギュラーを張っていた小谷野選手は、2002年のドラフトでファイターズ入団。2003年と翌2004年には、イースタンリーグで2年連続チームトップの14本塁打を放ち、2005年シーズンから1軍での出番が増えた。

しかし2006年シーズンに不調に陥り、6月に二軍降格した後、パニック障害となる。

おそらくその原因はいくつか複合しているのだろうが、プロとして通用しないのではないかという不安があったことも一因であろう。

2006年と言えば、ファイターズが本拠地を北海道に移して、初めてリーグ優勝し、日本シリーズも制し、日本一にもなった年である。道内の野球ファンが駒大苫小牧とファイターズの活躍に熱狂していた最中に、日本一に沸くチームの中で、小谷野選手ひとりは、病気が完治せず、プロ野球選手として、あるいは社会人として復帰できるかもわからない状況で、もがき苦しんでいたのである。

食事をしても嘔吐(おうと)の連続だったそうである。治療の為に飲んでいた薬の副作用もあり、寝付けない毎日が続いた。伸び盛り、右の大砲候補と期待されていた4年目にして選手生命の危機を迎えたのである。いやそれはプロ野球選手としての危機のみではなく、本人にとっては「普通の社会生活に戻れるのか」という不安との戦いでもあったと聞く。

過度の寝酒で無理をして床に就いたこともあった。当時は「いつ治るか分からないけれど、向き合うしかないんです」。言葉は前向きだったが、自暴自棄になりかけた時もあった。トレーナーら周囲のチーム関係者も、精神的な負担を掛けないよう気遣った。しかし、いつしか私生活も荒れていった。トレーナーはじめチームメイトがそれを知ってもそっと見守るしかなかった。たった1人で克服するしかない、孤独な闘いだった。それがこの病気の恐ろしいところでもある。

回復の兆しが見えたのは、シーズン終了後。少しずつ兆候がなくなり、通常練習に復帰した。いつ襲ってくるか分からない病魔の不安を抱えながら、再出発した5年目。春季キャンプは1軍スタートでも、開幕直前の3月中旬に2軍へ降格した。「体に負担が掛からないように」とオーバーウエート気味の体を絞った。キャンプ中から大好きな酒を断った。最初の1週間は絶食をし、午後7時以降に口に入れるのは水だけ。約12キロのダイエットに成功した。4月中旬に1軍昇格。すべての面で自分と向き合える強さを身につけ、グラウンドに帰ってきた。

復帰後、小谷野の口からは様々な感謝の言葉が聞かれるようになった。
「バットを振ることさえできなかったんですから、グランドに立って野球ができるようになるなんて思えなくなった時期もありました。」という言葉が彼の胸のうちの全てを現している。小谷野復活の本塁打

その後の活躍は見ての通りである。画像は2007年のシーズン、ロッテ戦でチームを勝利に導く復活の第1号ホームランを放ってチームメイトに迎えられる小谷野選手の笑顔の瞬間である。

「僕のことを知って、同じ病気の人を勇気づけられたりしたらいいと思う。自分の周りの人に助けてもらったから」

「みんなが助けてくれた。だから恩返ししたいと思う」

「今まではこれができていた、あれができていた」と思うことをやめ、「今の自分はこれができる」と思うようにした。

「やっぱりチームの、みんなの支えがあったから、こんなに早く克服できたのかなって思って。どういう風にしてたかって言っても、逆になにもできなくて、なにもしてなかったですから。」

「やっぱり自分のなかで、札幌ドームのあの声援の中でもう一度立ちたいって気持ちですごいやってたんで、やっぱり最初に立てた時っていうのは・・・涙出ちゃいました。」

今日もエイちゃんは、ファンやチームメイトや関係者への感謝の気持ちを忘れずにグランドに立っている。人懐っこい笑顔の向こう側に、病魔と闘った苦しい時期があることを知るファンは多い。北海道のファンは彼の活躍と笑顔でたくさん幸せをもらっている。

エイちゃん、恩返しは十分だよ。ありがとう。

僕らの仲間にも、心の病と闘って、職場を長期間休んでいる人がいる。しかし明けない夜はない。必ず光が見えることを信じて、あきらめないでほしい。

我らのエイちゃんがそれを証明している。

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