日本の漫画というのは世界一レベルが高いと思う。それは、この国のひとつの「文化」であるとさえ思う。
漫画と小説は同じ「読み物」ではあっても、同列に並べることができないだろう。しかしそれは漫画が小説よりレベルが低い「読み物」であるという意味ではなく、小説とはまったく異質の文化だろうという意味である。もちろん文化の「ぶ」の字も当てはまらないようなくだらない作品も星の数ほどあるが、それは小説などの他の読み物も同じである。
しかし例えば歴史漫画というのがあるが、漫画を読むことで歴史や歴史上の人物理解することは弊害があると思う。描かれている人物像が、絵というものにより大部分のイメージが支配されてしまい、小説のように行間から感じ取る自分なりの「歴史観」が育ちづらくなるからである。それだけは気をつけたほうがよい。
しかし読み物として心に響く漫画というものも存在することを知ってほしい。漫画だからといって、すべてを馬鹿にしてはいけないと思う。
このブログでは、今までいくつかの小説を紹介してきたが、漫画を紹介することはなかった。
しかし今日は、社会福祉援助者が読んで参考になる示唆を沢山含んでいる「漫画」を紹介したい。その作品とは「家栽の人」(毛利甚八、作・魚戸おさむ、画:全12巻)である。これは過去に片岡鶴太郎主演でテレビドラマ化されていた。
主人公は家庭裁判所の判事である。題名は「家裁の人」ではなく「家栽の人」であり、これは決して文字変換の間違いではない。両者の違いがわかるだろうか?
ストーリーも面白いのであるが、主人公の桑田判事が示唆する考え方に非常に深みがある。対人援助に携わる関係者にも「勉強」になる言葉がたくさんあるのではないだろうか。少なくとも僕はその言葉のいくつかに共感し、自分の仕事の教訓にしたりすることがある。まさに僕にとっての「珠玉の言葉」の宝庫である作品なのだ。
例えば嫁、舅の関係がこじれたケースで、主人公の判事と舅に次のような会話をさせている。
「あのお嫁さんは、あなたを無邪気に傷つける・・違いますか?」
「あの嫁は私の服を、自分たち家族のものと、一緒に洗わんのです・・。私はもう死んだ人間のように区別されているんです。年寄りは家族の中で、どんどん小さな存在になるんです。あの嫁はそれを無自覚に人の鼻先に押し付けてくる・・。」
「だからしぼんでやるより暴れてやると思った。」
「どうしてそんなことまでわかるんです?」
「先日、お嫁さんに家庭環境を詳しく聞きました。・・・彼女は年寄りのいる家庭で暮らしたことがなかったんです。」
「・・・・。そうか。」
「もう許してあげたらどうですか?」
「・・・。」
「花は一生懸命咲くだけですが、実(み)は知恵を封じ込めて地に落ちるものじゃあないですか。」
「年寄りは朽ちた花じゃあなく、実かね。」
「あなた次第じゃないですか。」
調査官が担当の少年を憎いと感じてしまったという相談に対して主人公はこう言っている。
「憎ければ、憎めばいいじゃないですか。愛だけで憎しみを消すことはできませんから。」・・・。
その意味は調査官が親身になって関わった少年が、その信頼を裏切る行動を繰り返すとき、調査官がその少年に憎しみを感じてしまう自分の心を否定して悩む必要はない、という意味である。本当に必要なのは、そういう自己否定ではなく、その憎しみを持つ自分自身の心さえ受け入れて、それを超える大人の知恵を探すこと、だとしている。ソーシャルワーカーの自己覚知に繋がる示唆だろう。
そのほかにも場面を解説せず主人公の印象的なセリフのみ、いくつか紹介しておこう。時に応じて皆がそれぞれの意味に捉えて、自分の感性の中で、その言葉を使ったって良いと思う。
「強そうに見えてもみんな同じだよ。だけど弱くても自分を変えることだけはできるのさ。」
「愛し方が下手だと恥じる必要はありませんよ。愛せないのに恥じない人のほうが多いんです。」
「就いている仕事で人の価値が決まるのなら、私たちは一生奴隷なんですね。」
「裁判官に男と女の適正があるんでしょうか。ここは男と女が半分ずつ息をしている国ですよ。自分を女の裁判官だと思うから、男の人が自信たっぷりに見えるんでしょう。判事の仕事に必要なのは静かな心だけです。」
「私たちが少年に対してできることは小さなことです。だけど小ささを恥じて、それをしまいこむ人が多すぎるんです。」
「人の命を奪えるほどの不幸は存在しない。」
「君はどっちになりたいですか?赤い花に慰められる人と、慰める赤い花と・・。」
「もし人がアザレアだとしたら友達は土みたいなものですね。法に縛られている人を全て遠ざけるのだとしたら、裁判官は(土のない)空中に浮いた花ですね。」
「人間は人を見つめすぎると間違ってしまうから・・。見つめた人の、いいものも、悪いものも自分に感染って(うつって)しまうから・・。」
「君は誰より強くなりたいんですか?」
「本来恐怖は心の内側にしかありませんから正義は過去と未来のためにしか使えない。ただ時々恐怖を思い出させる人がいる。私たちはそういう人を正義で刈り取って慰めにしているだけでしょう。それは仕方ないにしても、せめて正義のまがまがしさに飲み込まれないように微笑んでいたい・・・。力の弱い少年を正義で刈り取るのは最後の手段でしょう。」
「どんなに長い処分を与えても少年は社会に戻ってくるんです。誰かの隣に住むんです。そのとき・・その少年が笑って暮らしている可能性を探すのが裁判官の仕事じゃないですか。」
「平凡なことを忘れたときに人は争うんです。」
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漫画と小説は同じ「読み物」ではあっても、同列に並べることができないだろう。しかしそれは漫画が小説よりレベルが低い「読み物」であるという意味ではなく、小説とはまったく異質の文化だろうという意味である。もちろん文化の「ぶ」の字も当てはまらないようなくだらない作品も星の数ほどあるが、それは小説などの他の読み物も同じである。
しかし例えば歴史漫画というのがあるが、漫画を読むことで歴史や歴史上の人物理解することは弊害があると思う。描かれている人物像が、絵というものにより大部分のイメージが支配されてしまい、小説のように行間から感じ取る自分なりの「歴史観」が育ちづらくなるからである。それだけは気をつけたほうがよい。
しかし読み物として心に響く漫画というものも存在することを知ってほしい。漫画だからといって、すべてを馬鹿にしてはいけないと思う。
このブログでは、今までいくつかの小説を紹介してきたが、漫画を紹介することはなかった。
しかし今日は、社会福祉援助者が読んで参考になる示唆を沢山含んでいる「漫画」を紹介したい。その作品とは「家栽の人」(毛利甚八、作・魚戸おさむ、画:全12巻)である。これは過去に片岡鶴太郎主演でテレビドラマ化されていた。
主人公は家庭裁判所の判事である。題名は「家裁の人」ではなく「家栽の人」であり、これは決して文字変換の間違いではない。両者の違いがわかるだろうか?
ストーリーも面白いのであるが、主人公の桑田判事が示唆する考え方に非常に深みがある。対人援助に携わる関係者にも「勉強」になる言葉がたくさんあるのではないだろうか。少なくとも僕はその言葉のいくつかに共感し、自分の仕事の教訓にしたりすることがある。まさに僕にとっての「珠玉の言葉」の宝庫である作品なのだ。
例えば嫁、舅の関係がこじれたケースで、主人公の判事と舅に次のような会話をさせている。
「あのお嫁さんは、あなたを無邪気に傷つける・・違いますか?」
「あの嫁は私の服を、自分たち家族のものと、一緒に洗わんのです・・。私はもう死んだ人間のように区別されているんです。年寄りは家族の中で、どんどん小さな存在になるんです。あの嫁はそれを無自覚に人の鼻先に押し付けてくる・・。」
「だからしぼんでやるより暴れてやると思った。」
「どうしてそんなことまでわかるんです?」
「先日、お嫁さんに家庭環境を詳しく聞きました。・・・彼女は年寄りのいる家庭で暮らしたことがなかったんです。」
「・・・・。そうか。」
「もう許してあげたらどうですか?」
「・・・。」
「花は一生懸命咲くだけですが、実(み)は知恵を封じ込めて地に落ちるものじゃあないですか。」
「年寄りは朽ちた花じゃあなく、実かね。」
「あなた次第じゃないですか。」
調査官が担当の少年を憎いと感じてしまったという相談に対して主人公はこう言っている。
「憎ければ、憎めばいいじゃないですか。愛だけで憎しみを消すことはできませんから。」・・・。
その意味は調査官が親身になって関わった少年が、その信頼を裏切る行動を繰り返すとき、調査官がその少年に憎しみを感じてしまう自分の心を否定して悩む必要はない、という意味である。本当に必要なのは、そういう自己否定ではなく、その憎しみを持つ自分自身の心さえ受け入れて、それを超える大人の知恵を探すこと、だとしている。ソーシャルワーカーの自己覚知に繋がる示唆だろう。
そのほかにも場面を解説せず主人公の印象的なセリフのみ、いくつか紹介しておこう。時に応じて皆がそれぞれの意味に捉えて、自分の感性の中で、その言葉を使ったって良いと思う。
「強そうに見えてもみんな同じだよ。だけど弱くても自分を変えることだけはできるのさ。」
「愛し方が下手だと恥じる必要はありませんよ。愛せないのに恥じない人のほうが多いんです。」
「就いている仕事で人の価値が決まるのなら、私たちは一生奴隷なんですね。」
「裁判官に男と女の適正があるんでしょうか。ここは男と女が半分ずつ息をしている国ですよ。自分を女の裁判官だと思うから、男の人が自信たっぷりに見えるんでしょう。判事の仕事に必要なのは静かな心だけです。」
「私たちが少年に対してできることは小さなことです。だけど小ささを恥じて、それをしまいこむ人が多すぎるんです。」
「人の命を奪えるほどの不幸は存在しない。」
「君はどっちになりたいですか?赤い花に慰められる人と、慰める赤い花と・・。」
「もし人がアザレアだとしたら友達は土みたいなものですね。法に縛られている人を全て遠ざけるのだとしたら、裁判官は(土のない)空中に浮いた花ですね。」
「人間は人を見つめすぎると間違ってしまうから・・。見つめた人の、いいものも、悪いものも自分に感染って(うつって)しまうから・・。」
「君は誰より強くなりたいんですか?」
「本来恐怖は心の内側にしかありませんから正義は過去と未来のためにしか使えない。ただ時々恐怖を思い出させる人がいる。私たちはそういう人を正義で刈り取って慰めにしているだけでしょう。それは仕方ないにしても、せめて正義のまがまがしさに飲み込まれないように微笑んでいたい・・・。力の弱い少年を正義で刈り取るのは最後の手段でしょう。」
「どんなに長い処分を与えても少年は社会に戻ってくるんです。誰かの隣に住むんです。そのとき・・その少年が笑って暮らしている可能性を探すのが裁判官の仕事じゃないですか。」
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