厚生労働省は今年2/12に「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」(座長:樋口範雄・東京大学院教授)を立ち上げた。同検討会は厚生労働省医政局長と老健局長の私的研究会の位置づけである。
この検討会は昨年11/20の「安心と希望の介護ビジョン」において、介護施設等での医療行為について、現在、在宅でしか認められてこなかった有資格者ではない者による「痰の吸引」や、介護職員が関わることが大きな問題として取り上げられていた「経管栄養の処置」などの一部の医療行為を、特養等の施設でも「研修を受けた介護職員」に認める方針が示されたことを受け、その具体化を視野に入れた研究会であろう。
しかし最初の検討会の席上、日本医師会常任理事の三上裕司氏は、「そもそも、24時間医療行為を必要とする人が特養に入って来ていいものか。医療ニーズのある人が増えているのであれば、医療行為ができる施設を増やしていくのが本来あるべき姿だ」と強調。特養での医療ニーズの増加に合わせて医療行為にかかわるスタッフを増やしていく方向性に疑問を呈した。また、「喀痰吸引は、場合によっては窒息を起こしてしまう、命にかかわる行為だ」と指摘した。
介護職員に対する医療行為解禁議論の中で繰り返されてきた、医療・看護関係者による「反対の為の論理」が繰り返されたもので、その反対論を正当化する唯一無二の理屈が「安全性が損なわれる」ということであり、これも反対の為の反対パターンである。
さすがに座長は「ニーズに合わせて多数の医師や看護師を配置するのは、実際には難しい〜今の現場の状況を踏まえた現実的な対応が必要では」とたしなめているが、日本看護協会などは、てぐすね引いて反対の大合唱を唱えることであろう。このハードルは今だに高いままである。
このことを考えた時、2003年のALS患者の方々の痰の吸引解禁議論の中で、その討論会を報道した読売新聞の記事が思い出された。その記事内容とは
『日本看護協会や看護学の専門家の委員が、一貫して「吸引行為は危険で、ヘルパーには認められない」と主張した。その部会の傍聴席で、車いすのALS患者が、ボランティアの学生らに何度も吸引してもらっているのは皮肉な光景で、患者の家族からは「家族にやらせているものを認めないのは、結局、職域・職権を侵されたくないだけ」と批判の声がもれた。』[2003年5月10日 読売新聞]
つまりそれらの団体にとって、国民の利益となる行為であっても、自分達の権限を奪うような改革は許すことはできず、そのために「安全性を確保できなくなる」という理屈を錦の御旗に掲げるのが戦略なのである。このことは過去のブログ記事でも繰り返し批判してきた。(参照:ブログカテゴリー:医療関連)
ALS患者の方々に対する痰の吸引解禁議論の中でも、日本看護協会は「吸引は気管からの出血、不衛生による感染症を招く危険があるので、看護師でないと駄目だ。」と危険を楯にして頑強に反対していた。しかし痰の吸引が介護職員等にも認められた後「憂慮される事態」が起こったのか。そのような事実は今のところない。今後も事故がまったく起らないという保障はないし、いざ事故が起きた場合、そういう輩は「それ見たことか」と騒ぎ立てることは目に見えているが、看護職員の医療事故だって皆無でない現実で、2003年から解禁された在宅でのヘルパーの「喀痰吸引」において今まで事故が起きていないという事実は、介護職員に医療行為の一部を手渡しても、今現在にましてそれらの行為で安全性が損なわれるわけではないことを証明しているだろう。
この規制緩和措置で救われた多くの在宅療養者の実情をみれば、この規制緩和の方向は正しかったといえるであろう。
我々が主張しているのは、全ての医行為を介護職員に解禁せよというものではなく、現在医療行為と考えられている行為の中には、実際には同居の家族が行うことができる行為も含まれており、介護職員に一定条件下でも認められる行為と、医師や看護師等の有資格者しかできない行為を区分して考えるというものである。そして家族でも行うことができるような行為については適切な医療・看護の専門職員の管理下におくなど一定の条件下で、施設の介護職員でも行うことができるようにすべきという主張である。
「医療ニーズ対応には医療施設を増やせ。」という意見は、この国の人的資源不足やコスト財源の問題から考えても不合理で現実的ではないし、在宅ではヘルパーに認めている喀痰吸引について、安全性を理由に認めようとしない意見は「まず反対ありき」の理屈に過ぎず説得力に欠ける。不真面目な意見とさえいえるであろう。それとも状況亜把握のできない時代錯誤の委員であるといった方が良いであろうか。
医療機器をつけて生活する人々が高齢者を中心に増えている現状を考えたとき。家族が在宅で医療行為を行ってそれらの方々を支えるのには限界があるし、家族に替わる支援をすべて訪問看護等の医療系サービスで補うことができるほど地域に社会資源はない。そうした社会構造を鑑みながら要介護者を地域で支える為には何が必要なのかと考えたとき、医師や看護職員でなくとも行える行為を増やすことは必要不可欠と考えざるを得ない。
医療行為とそうでない行為を明確に区分することが困難であるならば、現在医療行為と考えられる行為のなかで、一定の条件であれば安全に介護職員等が行える行為を「医師や看護師が行うべき行為」と別に区分して考えられるべきで、それが時代のニーズである。
こんな問題を相変わらず自己権益との秤にかけて、実際には問題とならないような「安全性の担保」という理屈で反対し続ける団体など国民全体の敵であり、その主張は国民全体の不利益でしかない。
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この検討会は昨年11/20の「安心と希望の介護ビジョン」において、介護施設等での医療行為について、現在、在宅でしか認められてこなかった有資格者ではない者による「痰の吸引」や、介護職員が関わることが大きな問題として取り上げられていた「経管栄養の処置」などの一部の医療行為を、特養等の施設でも「研修を受けた介護職員」に認める方針が示されたことを受け、その具体化を視野に入れた研究会であろう。
しかし最初の検討会の席上、日本医師会常任理事の三上裕司氏は、「そもそも、24時間医療行為を必要とする人が特養に入って来ていいものか。医療ニーズのある人が増えているのであれば、医療行為ができる施設を増やしていくのが本来あるべき姿だ」と強調。特養での医療ニーズの増加に合わせて医療行為にかかわるスタッフを増やしていく方向性に疑問を呈した。また、「喀痰吸引は、場合によっては窒息を起こしてしまう、命にかかわる行為だ」と指摘した。
介護職員に対する医療行為解禁議論の中で繰り返されてきた、医療・看護関係者による「反対の為の論理」が繰り返されたもので、その反対論を正当化する唯一無二の理屈が「安全性が損なわれる」ということであり、これも反対の為の反対パターンである。
さすがに座長は「ニーズに合わせて多数の医師や看護師を配置するのは、実際には難しい〜今の現場の状況を踏まえた現実的な対応が必要では」とたしなめているが、日本看護協会などは、てぐすね引いて反対の大合唱を唱えることであろう。このハードルは今だに高いままである。
このことを考えた時、2003年のALS患者の方々の痰の吸引解禁議論の中で、その討論会を報道した読売新聞の記事が思い出された。その記事内容とは
『日本看護協会や看護学の専門家の委員が、一貫して「吸引行為は危険で、ヘルパーには認められない」と主張した。その部会の傍聴席で、車いすのALS患者が、ボランティアの学生らに何度も吸引してもらっているのは皮肉な光景で、患者の家族からは「家族にやらせているものを認めないのは、結局、職域・職権を侵されたくないだけ」と批判の声がもれた。』[2003年5月10日 読売新聞]
つまりそれらの団体にとって、国民の利益となる行為であっても、自分達の権限を奪うような改革は許すことはできず、そのために「安全性を確保できなくなる」という理屈を錦の御旗に掲げるのが戦略なのである。このことは過去のブログ記事でも繰り返し批判してきた。(参照:ブログカテゴリー:医療関連)
ALS患者の方々に対する痰の吸引解禁議論の中でも、日本看護協会は「吸引は気管からの出血、不衛生による感染症を招く危険があるので、看護師でないと駄目だ。」と危険を楯にして頑強に反対していた。しかし痰の吸引が介護職員等にも認められた後「憂慮される事態」が起こったのか。そのような事実は今のところない。今後も事故がまったく起らないという保障はないし、いざ事故が起きた場合、そういう輩は「それ見たことか」と騒ぎ立てることは目に見えているが、看護職員の医療事故だって皆無でない現実で、2003年から解禁された在宅でのヘルパーの「喀痰吸引」において今まで事故が起きていないという事実は、介護職員に医療行為の一部を手渡しても、今現在にましてそれらの行為で安全性が損なわれるわけではないことを証明しているだろう。
この規制緩和措置で救われた多くの在宅療養者の実情をみれば、この規制緩和の方向は正しかったといえるであろう。
我々が主張しているのは、全ての医行為を介護職員に解禁せよというものではなく、現在医療行為と考えられている行為の中には、実際には同居の家族が行うことができる行為も含まれており、介護職員に一定条件下でも認められる行為と、医師や看護師等の有資格者しかできない行為を区分して考えるというものである。そして家族でも行うことができるような行為については適切な医療・看護の専門職員の管理下におくなど一定の条件下で、施設の介護職員でも行うことができるようにすべきという主張である。
「医療ニーズ対応には医療施設を増やせ。」という意見は、この国の人的資源不足やコスト財源の問題から考えても不合理で現実的ではないし、在宅ではヘルパーに認めている喀痰吸引について、安全性を理由に認めようとしない意見は「まず反対ありき」の理屈に過ぎず説得力に欠ける。不真面目な意見とさえいえるであろう。それとも状況亜把握のできない時代錯誤の委員であるといった方が良いであろうか。
医療機器をつけて生活する人々が高齢者を中心に増えている現状を考えたとき。家族が在宅で医療行為を行ってそれらの方々を支えるのには限界があるし、家族に替わる支援をすべて訪問看護等の医療系サービスで補うことができるほど地域に社会資源はない。そうした社会構造を鑑みながら要介護者を地域で支える為には何が必要なのかと考えたとき、医師や看護職員でなくとも行える行為を増やすことは必要不可欠と考えざるを得ない。
医療行為とそうでない行為を明確に区分することが困難であるならば、現在医療行為と考えられる行為のなかで、一定の条件であれば安全に介護職員等が行える行為を「医師や看護師が行うべき行為」と別に区分して考えられるべきで、それが時代のニーズである。
こんな問題を相変わらず自己権益との秤にかけて、実際には問題とならないような「安全性の担保」という理屈で反対し続ける団体など国民全体の敵であり、その主張は国民全体の不利益でしかない。
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病院で行なっていた、清潔・不潔の観念は何だったのか。
物がそろっていない家庭にあっても、介護現場であっても、
吸引で重大な感染をおこした事はない。
人は最後、痰をゴロゴロしながら亡くなる場合が多い。
そんな時に痰を取ると、呼吸が楽になる。
窒息、誤飲の時にきちんと吸引をする。
うがいが出来ない人の口腔清拭に、吸引ができると
歯磨きがきちんと出来る。
胃ろうの方の食事前にも吸引を行なう。
これらは皆肺炎の予防になる。
昔厳重に消毒していた床ずれの処置は、最近お湯で洗い流して
消毒はしない。
吸引にしても早く研修制度を確立して、早く昔は・といえる日が来る事を願う。