今日は始めに記事内容とは直接関係ないことを一言だけ書いておく。

WBC侍ニッポン、キューバ戦勝利ばんざい。朝早くから起きて見ていた甲斐があった。今日は寝不足の人が多いことだろう。でも次も、その次も、ずっと勝たなきゃあならんことが大変だなあ。優勝に対する国民の期待が高いものねえ。でも何となく、良い結果になりそうな気がしますね。少なくともキューバに勝ったということは大きなことです。・・さて本題。

グループホームの外部評価に携わっているが、今年度はまったく活動していなかった。しかし年度末に近づいて、調査機関から今年度中に調査を終えねばならないケースをいくつか依頼され、ごく短い期間に3件の調査を行った。(この時期に受けたことを多少は後悔している。おかげで大変忙しい状況を自ら作り出してしまった。)

グループホームの外部調査は、あの評判の悪い「介護サービス情報の公表制度」における調査とはまったく異なる。つまり単に提出された書類の内容が正しいかを確認するだけではなく、その記載内容や、実際のサービス提供状況を現場で確認して、きちんと「評価する」ことを目的としている。

しかし評価といっても、上から目線の指導的評価でもないし、あら捜しになってもいけない。

あくまで外部調査員はグループホームの「サポーター・応援団」であり、調査対象グループホームの運営自体は、法令に沿って正しく行われていることを前提に、利用者に対するサービス向上が図ることができる「可能性」を外部の視線から見つけ出すのが目的で、介護の専門家だけが評価するような偏った見方にならないように、介護の専門家ではない評価員と2名のコンビで実施される。つまり「世間の常識」をきちんと担保しながら「介護の常識は世間の非常識」である点にも目配りしてサービスの質の向上を実現する目的がある。

この評価を毎年受けていて、評価を真摯に受け止めているグループホームの場合、その評価に沿った改善を繰り返してきており、もう指摘事項が見つけ出せないこともある。こういう事業所は安心である。

しかし外部評価の本来の意味と目的を考えると「指摘事項がない」ということが、当該グループホームにとって必ずしも良いこととはいえないというジレンマがある。つまり事業所側は高い調査料金を自ら支払い、調査日には、ほぼ半日以上、通常業務外の調査協力に時間を費やしているのだから、具体的成果に繋がる助言が何もないというのは外部評価員の「気付き」が足りないという意味で、事業所にとって損失なのだ。

なぜなら、この評価は「悪い点を改善する」という目的以外に、「現在行われているサービスは適切だが、工夫すればもっと良くなるのではないか」というヒントも評価から見つけ出す意味があるからだ。

介護サービスに頂点があるかどうかは知らないが、利用者のニーズは常に変化しているし、良いグループホームであればあるほど「より高い頂上」を目指すことが可能になるので、本来指摘事項が何もなくなるということはあり得ないのである。

そういう意味で、僕は調査に当たる際には、できるだけ多くの「気付き」を事業者に伝える役割を持っていると考えてアドバイスできることを見つけ出そうとしている。(ただし前述したように、この部分があら捜しにならないことが大事で、ここを間違ってはいけないと思っている。)そのため良いサービスを実践し、ある程度の年数を積み重ねている事業所における「評価の質」自体も変化がある。例えばその際たるものが「ケアプラン」である。

グループホームは居宅サービスに分類されてはいるが、実際には単品サービスで、施設サービスと同様、そこで暮らす利用者へのサービスであるから、ケアプランもグループホーム内の計画担当者が立案し、施設サービス計画とほぼ同様の内容となる。

外部評価を始めた当初は、このケアプランについての外部評価における確認、評価内容は、まず「ケアプランがあるか」ということであった。5年ほど前のグループホームでは、ケアプランも全員分作られていない事業者は少なくなかったのである。(今はもうそんなことはないだろう。)

その後ケアプランに関する確認、評価は「ケアプランが適切なアセスメントに基づいているか」が問われた時期がある。アセスメントのないただの文章としてのケアプランであったり、アセスメントで出された課題と計画書の中身が一致していないプランもあった。さらに定期的な見直しがまったく行なわれておらず、入所後数年間同じ内容で計画書が変えられていないものもあった。

現在でも一部のグループホームでは似たような状況が存在するが、外部評価に基づく「改善」を繰り返し行っている事業所はそのようなことはない。

よってそれらの事業所ではプランの中身を見る。課題に対する目標設定の方法、モニタリング時の評価方法などをアドバイスすることがある。

中には形式としては介護計画になっているのであるが、長期目標と短期目標の意味がわかっておらず、ひとつの計画書の中の目標が利用者目標と事業者目標が混在していたり、本来は短期目標にしかならない目標を長期目標としていたり、サービスの評価、特にそのサービスを継続したり、中止したり、変更したりする根拠がまったく不明であったりする場合がある。こうした点について、改善の方法をアドバイスしている。
(※ケアプランの目標についての考え方は「ケアプランの目標は誰の目標か?」「続・ケアプランの目標は誰の目標か?」「終章・ケアプランの目標は誰の目標か?」を参照してほしい。)

なぜこのような指摘をするかと言えば、それは各事業所の無駄をなくするために必要な助言だと考えるからである。

ケアプランを作成する作業は、非常に時間と労力を要すもので、そうした手間をかけた計画書が単に実地指導に必要な書類という意味でしかないのは勿体ないのである。介護サービスの現場でサービス提供に必要なツールになっていないのでは無駄としかいいようがないのである。

ケアプランという共通言語を通して、それがあることで事業所内の職員の共通認識が生まれたり、サービスの意味を理解できたり、利用者のニーズをその意味から確認できたりする効果がなければ、使わない書式であり、それは本来必要がない書式で労力の無駄でしかない。流した汗の量と同様に「活用できるツール」にすることが無駄をなくして、事業所の利益に繋がる唯一無二の方法なのだ。

多くの時間や労力を要して「現場で使えない書式」を作っても時間とエネルギーの無駄でしかなく、それは事業所にとっては大きな「損失」であるという認識を持ってほしい。

そういう意味では、課題に対する適切な目標設定や、評価の基準の明確化は避けて通れない理解すべき知識なのだということを知ってもらいたいのである。

このことは今回取り上げたグループホームだけの問題ではなく、すべての施設サービス、いや居宅サービスをも含めた介護サービス事業所全部に言えることである。

実地指導だけの書式でしかない計画であっては「もったいない」という感覚が全ての介護サービス従事者に求められるのである。

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