昭和58年に当施設が開設して以来ずっと運営にご協力してくださっているY氏は、現在でも二月に一度、施設の行事に協力するために園を訪れてくださっている。
そのY氏と雑談を交わしている中で興味深いお話を聞かせていただいたので、ご紹介したい。
当施設内は禁煙であるし、僕も非喫煙者なので、施設長室の応接の場にも灰皿などは置いていない。Y氏にお茶をお出しして会話をしている中で「ここは禁煙で灰皿もありませんが、Yさんは煙草を普段吸われますか?」と何気なく聴いたところ、氏は笑いながら「白状すると、高校3年生の頃から吸い始めて、20年以上吸ってましたが、交通事故で片肺を失ってからやめて、現在は吸っていません。」とのことであった。
Y氏の交通事故は、ここの施設ができて、Y氏がここで活動し始めた当初のことで、僕もよく記憶している。
登別市は温泉で有名だが、ここはあくまで観光地で、市内に住む住民が日常的に温泉に入浴するのは、登別温泉に出かけるより、すぐ隣の白老町虎杖浜温泉に向うことが多い。ここに「日帰り専用」の温泉が結構たくさんあるし、料金も公衆浴場なみだからである。もちろん自宅に風呂がある家がほとんどだが、定期的に温泉に入浴する為に通う人は多い。
Y氏はその日、虎杖浜温泉で入浴後、自宅に帰ろうとして国道を青信号で右折しようとした。そのとき無免許の高校生が運転する乗用車が赤信号を無視してY氏の乗用車に激突したもので、Y氏側に非がまったくない事故であった。幸いなことに加害者側の高校生は大きな怪我はなかったが、Y氏は重症で、結果的に片側の肺をこの事故で失う結果となった。
ところでY氏がこの事故で片肺を失った後、即、煙草をやめたわけではないそうだ。
闘病・リハビリを終えて退院後は、好きな煙草を再び吸い始めたそうである。それも徐々に事故前と同じ本数を吸うまでになっていたそうである。
ところで、この時期、Y氏は毎晩のように「同じ夢」、それも「悪夢」にうなされるようになったそうだ。
その夢とは「溺れて苦しい」とか「土に埋まって苦しい」とかいう夢で、毎晩のように繰り返され、苦しくて目が覚める、という状態であったそうである。事故の後、退院してから見るようになった夢で、片方の肺がないということが元になって事故の後遺症として精神的な症状なのかと悩んだY氏は、知り合いの医者にそのことを相談したという。
するとその際に医師が最初に言った言葉が「煙草、吸ってないか?」という言葉である。
驚いたY氏が退院後は以前と同様に煙草を吸っていることを医師に告げると、すかさずその医師は「片方の肺がなくなっているんだから、喫煙で酸欠を起こして、苦しいからそんな夢を見るんだろう。」と言われたそうである。
煙草を吸っている最中に自覚症状がなかったY氏は半信半疑で、そういうものかと煙草をやめてみたところ、それ以来、悪夢にうなされることはなくなった。
不思議なもので自覚症状がなくとも、片肺という機能低下の悲鳴を、悪夢という形で体がサインを送ったということだろう。人間の体は神秘である。
ところで、この話のどこに僕が興味を惹かれるか、というと、医者という科学者の視点が興味深いのである。
悪夢を見るということになると、僕らはどうしてもストレスとか、トラウマとか、精神的問題に起因すると考えがちである。実際に片肺と喫煙から、酸欠症状が夢になるなんていう考え方には至らないだろう。
そういう意味での専門知識に畏敬を感じるとともに、あくまで物事を論理的、科学的に解明しようとする考え方が大変面白く感じるのである。
人間の生活は論理だけで事を運ぶことはできないし、情からものごとを考えないとならない場面も多々ある。しかし論理的、科学的に考証しなければならない部分まで、能力を持たない人々はその作業を放棄して、全てを情で考えてしまったり、ときに実態のないものでごまかしてしまうことがある。
ここのバランスは大事だなと思うわけである。
同じ相談を、悩みをもった人々が、いかがわしい人に相談して「霊的現象」といわれて、厄除けと称して高額な物品を買わされたりするケースもある。人間の不安や悩みに付け込んだ阿漕(あこぎ)な商売であるが、心が弱っているとき、わらにもすがりたい気持ちになっているとき、人は通常の判断能力を失っている場合も多いのである。
そういうときに、暖かくかつ冷静に、専門家が物事を論理的、科学的に判断して支援してくれるということは非常に大事なことだなと考えたわけである。
我々の社会福祉援助もかくあらねばならない。そういう意味でも、ケアマネジメントを始めとした人間支援に関わる仕事は「奥が深い」などと自らの仕事に絡めて考えたりした次第である。
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そのY氏と雑談を交わしている中で興味深いお話を聞かせていただいたので、ご紹介したい。
当施設内は禁煙であるし、僕も非喫煙者なので、施設長室の応接の場にも灰皿などは置いていない。Y氏にお茶をお出しして会話をしている中で「ここは禁煙で灰皿もありませんが、Yさんは煙草を普段吸われますか?」と何気なく聴いたところ、氏は笑いながら「白状すると、高校3年生の頃から吸い始めて、20年以上吸ってましたが、交通事故で片肺を失ってからやめて、現在は吸っていません。」とのことであった。
Y氏の交通事故は、ここの施設ができて、Y氏がここで活動し始めた当初のことで、僕もよく記憶している。
登別市は温泉で有名だが、ここはあくまで観光地で、市内に住む住民が日常的に温泉に入浴するのは、登別温泉に出かけるより、すぐ隣の白老町虎杖浜温泉に向うことが多い。ここに「日帰り専用」の温泉が結構たくさんあるし、料金も公衆浴場なみだからである。もちろん自宅に風呂がある家がほとんどだが、定期的に温泉に入浴する為に通う人は多い。
Y氏はその日、虎杖浜温泉で入浴後、自宅に帰ろうとして国道を青信号で右折しようとした。そのとき無免許の高校生が運転する乗用車が赤信号を無視してY氏の乗用車に激突したもので、Y氏側に非がまったくない事故であった。幸いなことに加害者側の高校生は大きな怪我はなかったが、Y氏は重症で、結果的に片側の肺をこの事故で失う結果となった。
ところでY氏がこの事故で片肺を失った後、即、煙草をやめたわけではないそうだ。
闘病・リハビリを終えて退院後は、好きな煙草を再び吸い始めたそうである。それも徐々に事故前と同じ本数を吸うまでになっていたそうである。
ところで、この時期、Y氏は毎晩のように「同じ夢」、それも「悪夢」にうなされるようになったそうだ。
その夢とは「溺れて苦しい」とか「土に埋まって苦しい」とかいう夢で、毎晩のように繰り返され、苦しくて目が覚める、という状態であったそうである。事故の後、退院してから見るようになった夢で、片方の肺がないということが元になって事故の後遺症として精神的な症状なのかと悩んだY氏は、知り合いの医者にそのことを相談したという。
するとその際に医師が最初に言った言葉が「煙草、吸ってないか?」という言葉である。
驚いたY氏が退院後は以前と同様に煙草を吸っていることを医師に告げると、すかさずその医師は「片方の肺がなくなっているんだから、喫煙で酸欠を起こして、苦しいからそんな夢を見るんだろう。」と言われたそうである。
煙草を吸っている最中に自覚症状がなかったY氏は半信半疑で、そういうものかと煙草をやめてみたところ、それ以来、悪夢にうなされることはなくなった。
不思議なもので自覚症状がなくとも、片肺という機能低下の悲鳴を、悪夢という形で体がサインを送ったということだろう。人間の体は神秘である。
ところで、この話のどこに僕が興味を惹かれるか、というと、医者という科学者の視点が興味深いのである。
悪夢を見るということになると、僕らはどうしてもストレスとか、トラウマとか、精神的問題に起因すると考えがちである。実際に片肺と喫煙から、酸欠症状が夢になるなんていう考え方には至らないだろう。
そういう意味での専門知識に畏敬を感じるとともに、あくまで物事を論理的、科学的に解明しようとする考え方が大変面白く感じるのである。
人間の生活は論理だけで事を運ぶことはできないし、情からものごとを考えないとならない場面も多々ある。しかし論理的、科学的に考証しなければならない部分まで、能力を持たない人々はその作業を放棄して、全てを情で考えてしまったり、ときに実態のないものでごまかしてしまうことがある。
ここのバランスは大事だなと思うわけである。
同じ相談を、悩みをもった人々が、いかがわしい人に相談して「霊的現象」といわれて、厄除けと称して高額な物品を買わされたりするケースもある。人間の不安や悩みに付け込んだ阿漕(あこぎ)な商売であるが、心が弱っているとき、わらにもすがりたい気持ちになっているとき、人は通常の判断能力を失っている場合も多いのである。
そういうときに、暖かくかつ冷静に、専門家が物事を論理的、科学的に判断して支援してくれるということは非常に大事なことだなと考えたわけである。
我々の社会福祉援助もかくあらねばならない。そういう意味でも、ケアマネジメントを始めとした人間支援に関わる仕事は「奥が深い」などと自らの仕事に絡めて考えたりした次第である。
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世の習いで私も高校生活の半ば頃から煙草を吸っていました。大学の頃も一日一箱程度の喫煙量でした。最初の職場は盲学校でした(教員採用試験に合格できるほどの頭もないため、ボランティア活動の伝手を頼っての臨時採用でした)。当時の学校の職員室は、火災警報機が設置できないほどの紫煙が立ちこめている状態で、学校の先生ほど喫煙率の高い職場はなかったのではないでしょうか。障害を持つことから比較すると幼い生徒が多かったですが、秋頃に高等部の生徒の喫煙が問題となりました。指導する先生の方が煙草が手から離れると指先が震え始めるような状態で、若い私は指導にも違和感を覚えていたのかどうか(私も高校時代に自宅謹慎くらった経験もあったもので)、いきさつは覚えていないのですが(たぶん売り言葉に買い言葉)、一緒に禁煙するという約束が生徒との間にいつの間にかできてしまい、もう二度と煙草は吸いませんと生徒と一緒に宣誓してました。このおかげで私は禁煙することができました。生徒のその後はわかりません(ごめん、無責任で。禁煙できたと信じています)。
禁煙を始めて一週間目、夢を見ました。高校生の私がトイレに隠れてこそこそと煙草を吸っている夢でした。一ヶ月目、もう禁煙も成功したなと思った頃にまた夢を見ました。私が煙草に火を付けて、口にくわえ、煙を思いっきり肺に吸い込む夢でした。「あっ、しまった。」と思わず目が覚めてしまうほどリアルな夢でした(この夢の煙草は本当においしかった)。それ以降は、煙草は夢に出てきません。二度の夢を経て、ニコチンの誘惑を完全に断つことができました。
ニコチンは夢を見させます。