89歳のAさんの容態が悪化して、口からものを摂取できなくなったのが半年ほど前のことである。

この時点から点滴を実施したが、医師により「病状から考えて、これ以上の治療の方法はない」と判断され、余命は月内だろうと言われた。残念ではあるが、家族を呼んで、医師より病状の説明を行い、今後の対応を話し合った結果、施設内で「看取り介護」を行うことになった。

特養での看取り介護には家族が参加できる場面がたくさんある。そのことで最期の瞬間まで家族が悔いなく関わって、対象者と家族が絆を紡ぎあいながら看取ることができた例が数多くある。

僕はこのことから家族に対しては「泊まることができる」というより一歩進んで「泊まって一緒に見送りませんか」と勧めることにしている。Aさんのご家族は、最初、そのことに戸惑ったし、現実に近い将来「死」という時期が来ることを現実感を持って感じ取れないようであった。

そのため、今回は泊まることを無理に勧めず、できるだけ会う時間を作るようにお願いしたにとどめた。徐々に時間が経過する中でわかってくることもあるだろうから、その都度必要な支援をしていこうと思った。

僕の施設の「看取り介護」にはいくつかのキーワードがある。「寂しい最期を迎えさせない」「看取り介護の名の下に施設内孤独死を生まない」「最後までその人らしく生きることを支援する」「看取り介護は死の支援ではない」等々である。

そしてもうひとつ「あきらめない介護」である。経口摂取が難しい状態になっても、もしかしたら体調のよいときに好きなものを食べられるかもしれない。その時に備えて厨房は嚥下機能が低下した人でも食べることの出来るその人の「好むもの」をすぐに提供できるように準備している。

それから病状が悪化して体力が弱ったといっても、体を綺麗にすることが、安楽にも、爽快感にも繋がるという考えから「体力がないから、病状が悪化したからといって入浴ができないという判断にはならない」という観点から、体清拭を清潔援助の主たる方法とせず、できるだけ入浴支援を行うことも「あきらめない。」

Aさんの看取り介護は、当初の予測に反して4ケ月の長期に及んだ。

Aさんは最期、末梢点滴も入らなくなってしまった。水分も摂取できず、唇を濡らすのが精一杯の状態で、その唇も痛々しく切れてしまって最期を迎えた。先日Aさんの葬儀を終え遺留金品の引渡しから、看取り介護終了後カンファレンスを実施して、Aさんの看取り介護が終結した。

カンファレンス結果から次のような反省点が確認された。
「点滴だけの対応が、長期にわたって続いたため留置針の差し替え等で苦痛を多く与えてしまった。」(看護部門)

「毎日の体清拭と状態に応じて部分清拭も適切に実施できていた。褥創予防だけではなく皮膚変色にも細心の注意を払い対応していたため、変色等のトラブルなく過ごす事ができたが、徐々に口角や目尻・目頭等が切れ出血してしまい痛々しかった。ワセリン等軟膏を塗布し悪化を防ぐように対応していたが、今後は、例えば乾燥予防のため傷ができてから加湿器を使用するのではなく、あらかじめ使用することで傷ができる時期を遅らせる等、傷などができてしまってからの対応ではなく状態が低下していくことを見通して、予測を立て介護・援助を行うことができるよう努めていきたい。また状態により入浴が出来ない際には、時折足浴にて対応していた。今後も体清拭だけではなく、清潔を保持する目的と共に気分のリフレッシュや保温効果も含めて部分浴を取り入れていきたい。」(介護部門)

とされた、このことについて看護部門からは「栄養状態の悪化や再生能力の低下により、口角や口腔内、目尻からの出血を防ぐことは困難であったが、加湿器の使用やワセリン等の軟膏塗布等で対応し、傷が悪化することなく過ごすことが出来た。」というポジティブな部分の評価もあり、両面がそれぞれ正しいであろうと思った。

入浴については「呼吸状態悪化にて酸素療法していたため、看取り開始時(〇月〇日)からは、入浴を中止していた。〇月〇日呼吸状態改善するも、長期にわたり食事が摂れず点滴のみの対応だったため体力低下しており、体力消耗を少しでも防ぐため入浴は週1回で対応していた。〇月〇日より微熱持続により入浴中止、〇月〇日微熱無く入浴するも、その日以降は点滴対応困難にて呼吸状態の悪化もみられ酸素療法再開したため、入浴は中止し体清拭での対応としていた。状態に合わせて入浴・体清拭の対応ができており、皮膚トラブル等も無く過ごす事ができた。」と評価し給食部門では「〇月〇日 朝食まで、経口維持食(あんかけ食)を提供していたが、看取り介護開始後は医師の指示のもと禁食となり食事提供はなかったが、厨房では常時、すぐに提供できる飲み物・ゼリー等を用意していた(今回は利用なし)今後も状態変化に合わせて対応できるようにしていきたい。」と意見が出された。

介護部門には「居室で過ごす事が多かったため、ラジオ等をかけて気分転換等の配慮を行っていたが、かかるラジオ局に制限があり、必ずしも主が聞きたかった内容ではなかったように思うものもあり、御家族に以前主が好んでいた歌や番組等を詳しく聞きだし出来る限り主が楽しんで聞けるものを提供するよう、働きかければよかったと思う。日頃からのアセスメントや会話を大切にし、その方が聞きたかったもの・見たかったものを提供できるような働きかけを今後の課題としていきたい。」という反省が出された。

家族への支援や対応については相談室から「家族も看取り介護開始後より、面会の機会を多く持つよう努めていた。始めのうちは『看取り』という状況についてなかなか受け止めることが出来なかったように思うが、援助についての充分な働きかけが御家族にも伝わり、面会に繋がったのではないかと思う。また、御家族の方は初めのころ面会に来ても手や頬をさする程度だったが、声をかけることで目を開け返事をするような仕草をすること等を説明することで声をかける機会が増えた。横になり目を閉じているから眠っているというわけではなく、状況を見ながら御家族の方に直接触れていただき声をかけていただくことで、主自身も御家族が傍にいることを感じることが出来たのではないかと思う。」と報告された。

全体としては「最期まで慣れ親しんだ居室で過ごす事ができていた。居室で横になって過ごす事が多かったため、職員がこまめに訪室し声をかけるように心がけていたことに加えて、日中はラジカセを置いてラジオや音楽等を聞いていただく等、寂しくないように配慮した空間作りができていた。状態をみて、短時間でも可能な限り離床・行事参加を行っており、主の気分転換や楽しい時間を提供する配慮も出来ていた。今後も、常に状態をみながらでも、参加できる活動等に参加をしたり、他者とのふれあう時間を大切にしていきたい。」

「看取り介護の期間が長期だったため主にとっては苦痛を感じることが長かったと思うが、自然な形で最期を迎えることが出来たと思う。入浴について、体力的な部分を考慮し週に1回の入浴対応を出来る限り行っていたが、今後は看取り介護実施後も状態をみて、その方の希望や意向(入浴がとても好きだった等)、御家族の方の意見等を都度確認しながら入浴回数や時間等を検討することができるよう、職員間やご家族も含めてでもこまめに検討しあう機会を設けることが必要であると感じた。また、入浴だけではなく全ての援助についても同様に、利用者様本人や御家族の希望や意向を都度汲み取り情報を共有しながら、職員間の連携を密にとり対応することができるよう努めていきたい。」と報告されている。

報告書はアンケートを回収する際の家族の言葉で結んでいる。

「家族が充分に介護できない分、職員の方に大変あたたかい援助をしていただき本当に感謝しています。母もここで過ごす事が出来て幸せだったと思います。アンケート用紙に書ききることはできませんが、もし私が年をとったときは、ぜひ緑風園に入って生活して最期まで看てほしい。これが全ての評価だと思っていただきたいです。ありがとうございました。」

ありがたい言葉である。

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