全ての人の哀しみを、全ての人の喜びを、全ての人の嘆きを、全ての人の歓喜を

全てのものを、ありのままにみつめることができるだろうか。

愛情も、欲望も、慟哭も、絶望も、
ひとかたまりに受け止めることができるだろうか。
頭上に広がる青い空のように、足元に広がる母なる大地のように。

ほんの何気ない優しさを幸せと感じることができるのが人であり、
ほんの何気ない言葉に刃(やいば)を感じることがあるのも人である。

時に人は傲慢で、鼻持ちならず、冷酷でさえある。
時に人は慈悲深く、優しさに満ち溢れ、愛を振る注ぐことができる。

どちらが本当の人の姿であるのか、本当の性(さが)が善なのか悪なのか白紙なのか、誰にも答えは出せない。

はかない命、その儚さゆえに尊いはずの命。
神はなぜ、この世に人を創造したのか。
なぜ神は、人が人を傷つけることを教えたのだろうか。そして何ゆえ、それを許しているのか。
限りある、はかなく尊い命でさえも、簡単に奪ってしまう人を何故つくりたもうたのか。

様々な矛盾を抱えてこの世に生を受けた人間が、人間らしく生きるとは一体どういうことだろうか。

様々な罪を背負って生きることが人の宿命なのだろうか。

人を愛する心の裏に潜む、ねたみ、憎しみ・・・。
そういうものを全て捨て去れるとしたら、人はもっと楽に生きられるのかもしれない。
しかし神は人にそのような楽な道を与えなかったということだろうか。

それゆえに我々は人を愛することの素晴らしさや、人を敬うことの崇高さを感じなければならないのかもしれない。

人を恨む心、人を憎む心、人をねたむ心、それら全てのものから解放されて、人を人として純粋に愛することがどれだけ素晴らしいか、そして愛する心を持つ命の輝きが、どれほど尊いかを問い続ける旅が人の一生なのかもしれない。

すべてのものを見つめて。すべてのものを愛して。