プロ野球日本シリーズの優勝チームが決まったというのに、タイミングの悪いことに今日は新聞休刊日である。各紙1面で取り上げられたはずの西武の優勝に少し水がさされた感を持つ人もいるのではないだろうか?
読売という大手新聞社が金に任せて巨大戦力を作り上げた巨人が、休刊日に合わせるように敗れたのは、読売グループにとっては不幸中の幸いなのかもしれない。
西武ライオンズと、そのファンには心から「おめでとう」といいたい。パリーグの強さを証明してくれてありがとう。来年、我がファイターズは挑戦者となって向っていくぞ。
※しかし残念なのは西武ドームが日本シリーズという舞台にも関わらず、空席が目立ったことだ。札幌ドームならあり得ないと思った。
ところで新聞が届かない日といっても以前と格段に違ってきていることがある。インターネットのポータルサイトのニュースなどを利用して世界中の出来事を確認できる時代になったことで、困ることは少なくなっている。というより困ることはないというべきか・・・。
特に若者の活字離れはますます進行していて、僕の職場の若い人たちを見ても、独身の人で新聞を定期購読している人は少ない。家庭を持っても新聞はとらない、という人も増えている。(このブログにも何度か登場するコバくんは、精神的に老成しているのか、独身単身世帯でありながらしっかり北海道新聞を購読しているそうである。)
情報は自分の興味のない記事を見なくても良いネットから引っ張ればよいし、それで不便ではなくなったということだろう。
介護施設の業務の中でもそのことに関連して現在と過去では大きな違いがある。
例えば、多くの高齢者施設では大相撲の本場所開催中は「星取り大会」という毎日の取り組み勝敗予想を行っている。幕内の全取り組みの勝敗予想をして、点数をつけ、15日間の合計点で賞を争うゲームである。
この際、朝のうちにその日の取り組み表を参加者に配っておかないとゲームにならない。取り組み表を見て考えながら取り組み前に勝敗予想を表に書き込んで幕内の取組が始まる前にそれを提出しないとならないからである。
インターネットのない頃であれば、この取り組み表作りも大変であった。新聞を朝チェックして手書きで表を作って配布していたからだ。さらに新聞休刊日には駅売りのスポーツ新聞を買いに走って、取り組み表を作らねばならなかった。
しかしネットの普及でそうした手間は格段に軽くなった。その日の朝ではなく、前日の取り組み前に翌日の取組が発表されるので、それをネットから引っ張り、あらかじめファイル化しているエクセルの取り組み表の力士名の配列を変えれば翌日の取り組み表ができるからだ。このことに新聞休刊日はまったく関係しないのである。だからかつて「大相撲星取り大会」のために必要であった新聞は、現在ではその場面では役割を失い必要のないツールとなっている。
それだけでも大きな変化である。
新聞の紙面には毎日読んでいても素通りしてまったく見ない記事や情報と言うものも多い。株価の状況なども、今日の変動の状況を考えると新聞にそれを情報として載せる価値があるのか疑問だ。ネットでリアルタイムの状況をみられることとは勝負にならない。
将棋や囲碁の棋譜も掲載されているが、あれもかつては見ない人は素通りするが、好きな人は毎日見る、というコーナーであったが、現在では新聞に掲載されている棋譜は、ネットで自由に引っ張ってこられる。しかもネット画面だと自動的に盤面を動かして再生してくれるので、新聞の数回に分けて1回分の棋譜を載せる情報とは比較にならないほどわかりやすい。
新聞の生命は社説であろうが、本来ここに「新聞はその国の英知の代表」と呼ばれる高い見識に基づいた意見が書かれるはずなのに、現在の日本の各新聞社が取り上げる社説は、とても英知を代表したものといえるほどのものはなく、それは「流行」を代表するものにしか過ぎなくなった。
社によっては他社の批判・悪口・罵詈雑言を書いている場合もある。政治評論も表面上の薄っぺらなものでしかない。
ニュースの速報性は既にインターネットに遠く及ばず勝負にならないのだから、この部分ではニュースの背景を深く掘り下げる真実の追究や考察という方向で新聞の存在意義を図るしかないはずであるが、残念ながら取材する記者の能力の低さから、情報自体が不正確な場合もあり、その質は週刊誌のゴシップレベルである。(参照:北海道新聞の制度改正連載は間違いだらけ)
現在、新聞購読者がまだまだ多い理由は、日本独特の「個別宅配制」によるところが大きいだろう。新聞社は、配達業務に携わっている人々に足を向けられないのではないか?
しかし出版社がのきなみ倒産している活字離れの社会では、今後新聞購読者数の激減が新聞社の経営危機に繋がらないという保障はなく、むしろそれは社会の流れからして必然といえるかもしれない。
そのとき、今のままの新聞作りで各社が存続できると考えているのだろうか。
インターネットでは獲得できない、本当に国民の求めている情報媒体と変わっていかねば新聞は過去の遺物になる日が来るかもしれない。
少なくとも現在のように「英知を代表せず、流行を代表する」ための紙面づくりであれば、存在意義はなくなるだろう。
介護・福祉情報掲示板(表板)
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読売という大手新聞社が金に任せて巨大戦力を作り上げた巨人が、休刊日に合わせるように敗れたのは、読売グループにとっては不幸中の幸いなのかもしれない。
西武ライオンズと、そのファンには心から「おめでとう」といいたい。パリーグの強さを証明してくれてありがとう。来年、我がファイターズは挑戦者となって向っていくぞ。
※しかし残念なのは西武ドームが日本シリーズという舞台にも関わらず、空席が目立ったことだ。札幌ドームならあり得ないと思った。
ところで新聞が届かない日といっても以前と格段に違ってきていることがある。インターネットのポータルサイトのニュースなどを利用して世界中の出来事を確認できる時代になったことで、困ることは少なくなっている。というより困ることはないというべきか・・・。
特に若者の活字離れはますます進行していて、僕の職場の若い人たちを見ても、独身の人で新聞を定期購読している人は少ない。家庭を持っても新聞はとらない、という人も増えている。(このブログにも何度か登場するコバくんは、精神的に老成しているのか、独身単身世帯でありながらしっかり北海道新聞を購読しているそうである。)
情報は自分の興味のない記事を見なくても良いネットから引っ張ればよいし、それで不便ではなくなったということだろう。
介護施設の業務の中でもそのことに関連して現在と過去では大きな違いがある。
例えば、多くの高齢者施設では大相撲の本場所開催中は「星取り大会」という毎日の取り組み勝敗予想を行っている。幕内の全取り組みの勝敗予想をして、点数をつけ、15日間の合計点で賞を争うゲームである。
この際、朝のうちにその日の取り組み表を参加者に配っておかないとゲームにならない。取り組み表を見て考えながら取り組み前に勝敗予想を表に書き込んで幕内の取組が始まる前にそれを提出しないとならないからである。
インターネットのない頃であれば、この取り組み表作りも大変であった。新聞を朝チェックして手書きで表を作って配布していたからだ。さらに新聞休刊日には駅売りのスポーツ新聞を買いに走って、取り組み表を作らねばならなかった。
しかしネットの普及でそうした手間は格段に軽くなった。その日の朝ではなく、前日の取り組み前に翌日の取組が発表されるので、それをネットから引っ張り、あらかじめファイル化しているエクセルの取り組み表の力士名の配列を変えれば翌日の取り組み表ができるからだ。このことに新聞休刊日はまったく関係しないのである。だからかつて「大相撲星取り大会」のために必要であった新聞は、現在ではその場面では役割を失い必要のないツールとなっている。
それだけでも大きな変化である。
新聞の紙面には毎日読んでいても素通りしてまったく見ない記事や情報と言うものも多い。株価の状況なども、今日の変動の状況を考えると新聞にそれを情報として載せる価値があるのか疑問だ。ネットでリアルタイムの状況をみられることとは勝負にならない。
将棋や囲碁の棋譜も掲載されているが、あれもかつては見ない人は素通りするが、好きな人は毎日見る、というコーナーであったが、現在では新聞に掲載されている棋譜は、ネットで自由に引っ張ってこられる。しかもネット画面だと自動的に盤面を動かして再生してくれるので、新聞の数回に分けて1回分の棋譜を載せる情報とは比較にならないほどわかりやすい。
新聞の生命は社説であろうが、本来ここに「新聞はその国の英知の代表」と呼ばれる高い見識に基づいた意見が書かれるはずなのに、現在の日本の各新聞社が取り上げる社説は、とても英知を代表したものといえるほどのものはなく、それは「流行」を代表するものにしか過ぎなくなった。
社によっては他社の批判・悪口・罵詈雑言を書いている場合もある。政治評論も表面上の薄っぺらなものでしかない。
ニュースの速報性は既にインターネットに遠く及ばず勝負にならないのだから、この部分ではニュースの背景を深く掘り下げる真実の追究や考察という方向で新聞の存在意義を図るしかないはずであるが、残念ながら取材する記者の能力の低さから、情報自体が不正確な場合もあり、その質は週刊誌のゴシップレベルである。(参照:北海道新聞の制度改正連載は間違いだらけ)
現在、新聞購読者がまだまだ多い理由は、日本独特の「個別宅配制」によるところが大きいだろう。新聞社は、配達業務に携わっている人々に足を向けられないのではないか?
しかし出版社がのきなみ倒産している活字離れの社会では、今後新聞購読者数の激減が新聞社の経営危機に繋がらないという保障はなく、むしろそれは社会の流れからして必然といえるかもしれない。
そのとき、今のままの新聞作りで各社が存続できると考えているのだろうか。
インターネットでは獲得できない、本当に国民の求めている情報媒体と変わっていかねば新聞は過去の遺物になる日が来るかもしれない。
少なくとも現在のように「英知を代表せず、流行を代表する」ための紙面づくりであれば、存在意義はなくなるだろう。
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在宅でお仕事させて頂いていますが、特にお年寄りの方はテレビ(N○K)や新聞に影響を受けやすいと感じています。
そんなこともあって、私も(まだ30代ですが)新聞をとり日々情報をえています。もっと深いー(例えばひとつの物事があった時に客観的に良い面と悪い面の両方をのせて読者に判断をゆだねるような)記事が読みたいなぁと思っています。