昨日、北海道社会福祉士会・日胆地区支部の研修会として「権利擁護セミナー」を実施した。

2題の講演が行われたが、高齢者や障害者の権利擁護とコンプライアンスルールの考え方について興味深く拝聴させていただいた。

その中で、あらためて自己決定の支援の大切さや、自己決定をできない人の判断をどのような基準におくのかを考えさせられた。今日は思いつくままに、その問題を考えて見たい。

ソーシャルケースワークの原則に含まれる「自己決定の原則」は介護保険制度の理念である「自立支援」とも深く関連している。

そしてその意味については「自己決定とは何か2〜ケアプランへの希望とニーズの温度差」で書いているし、その原則には制限があることについても「自己決定とは何か1〜バイステックの7原則を都合よく解釈してはならない」で考え方を示している。

この「積極的かつ建設的決定を下す利用者の能力から生ずる制限」については、特に高齢化が進行し、認知症の方が増えている我が国の現状においては、介護支援専門員始め様々な場面でソーシャルワーカーが常に直面する問題である。

利用者に自己決定能力が備わっていない場合、その能力を超えた判断を求めてはならず、アドボカシー(代弁機能)の観点から、介護支援専門員などの社会福祉援助者が認知症高齢者に替わって判断する場面も増えてくるだろう。

しかしこの場合でも、もっとも重要な視点は、社会福祉援助の専門家として「利用者の自己決定能力には個人差がある」ということを前提にして、その能力を適切に判断することである。

問題なのは、認知症ではない高齢者で、「うつ傾向」等の精神症状がみられる方で自己決定が苦手な人がいるが、これらの人も「すべての決定が正しい判断で出来ない」と決め付けて、援助者がすべてを決めてしまうようなケースが見られることである。

自己決定が苦手であることと、自己決定が出来ないことは「天と地」ほどの違いがある。

社会福祉援助者の「自己決定能力を適切に判断する」ことの意味は、適切に自己決定できることを支援するのが一番の目的であって、自己決定をさせない、自己決定を阻害することが目的ではないのである。

ここを安易に、間違って捉えるととんでもないことになる。時として利用者の不安や不穏を助長させる結果となりかねない。

ある利用者は、自分が判断した決定事項を、いつも不安から変えようとすることがある。だがそれは人間として当たり前の感情の揺れであり、特に施設入所やサービス選択などの自分の「生き方」に係る選択では不安や揺れを感じない方がおかしい。

その場合、決定がコロコロ変わることをもって、自己決定能力に欠けるという判断をする以前に、その不安の原因は何かという考えがなければならず、時には決定事項を再確認して、その考えを支持することにより、利用者の決定を支持することが大切である。

正しい選択であるかどうかは、利用者自身にも結果が出てからしかわからないことが多いのが人間の生活であるのだから、結果が出てしかわからないことを、先走って評価するより以前に、自分で決めたというその行為そのものを支持することが大事な場面も多いのである。

介護支援専門員も含めたソーシャルケースワーカーとは、利用者の自己決定を支援する役割を持つ職業であって、それを阻害する役割ではないという理解が必要である。

残念なことに、社会的地位が上がって、偉くなってしまったソーシャルワーカーに、阻害要因となる行動が数多く見られるというのは、僕の思い込みなんだろうか・・・。

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