熱い夏。オリンピックがいよいよ本格的に始まる。なでしこジャパンの引き分けや、男子サッカーの敗戦は残念だった。1次予選通過はほとんど不可能だろう。しかしいよいよ開会式も近づきムードも盛り上がってきた。
4年に一度しかない大会だから、選手は悔いなく実力を発揮したいと思っているだろう。日本にとっては他の外国より厳しい環境でのオリンピックになるかもしれないが、選手の活躍に期待したい。
オリンピックは参加することに意義があるといわれるが、スポーツ経験者の僕からいえば、選手本人が最初から参加することだけに意義を感じるとしたら選手失格である。それは第3者が言うべきセリフで、オリンピックに出場できたことに満足しているような選手や、勝つ為のアドレナリンで心が燃え滾らないアスリートは即刻日本に帰ったほうがよい。結果はともかくとして、求めるべきものはあくまで勝利である。
ところで、甲子園では高校球児たちが熱い戦いを繰り広げている。オリンピックばかりに目を奪われないで、彼らの夏も是非声援してほしい。特に3年生にとっては2度と来ない夏である。
その甲子園に昨日、群馬県代表の桐生第1高校が登場した。大会前に野球部員の一人が婦女暴行事件を起こして逮捕されるという大事件が起きて、出場の是非を巡って大いに意見が分かれたところである。
この問題について僕個人の意見を述べさせてもらえば、今回の高野連の「出場に問題なし」とした決定は大いに支持しているし英断だと思っている。
そして桐生第1高校ナインが甲子園に出場し、堂々と戦えたことは本当に良かったと思っている。敗れはしたが、様々な雑音と心ない一部の人々の非難の声が飛び交う中で選手は本当に頑張ったと思う。心から拍手を送りたい。
もちろん被害を受けた方への謝罪がまず大事だし、それは一番重要で忘れてはならないことである。そしてその心のケアにも配慮しなければならないが、それが甲子園出場を辞退するというやり方ではないだろうと思う。
野球部として何も責任をとらなくて良い、という意味ではなく、連帯責任と言う形で罪のない頑張ってきた選手をすべて巻き込む形の責任のとり方である必要はないという意味である。
野球部という組織の問題が事件に繋がっているならともかく、個人の犯罪で、その個人がたまたま甲子園に出場する野球部に所属していたというだけの理由で、正月さえも休みなく練習に打ち込んできた他の罪のない選手達の「夢の場」を奪うことが教育だと思わないし、出場辞退しないことが社会的な悪であるとも思わない。彼らの夏は今年1回限りのもので大人たちを始めとしたすべての国民が守ってやらねばならないものだと思う。
高校生の犯罪だから、学校の最高責任者としての校長や指導責任者である野球部長や監督が責任をとることは必要だが、罪のない10代の野球に打ち込んできた青春に責任を負わせる必要はない。今回の高野連の決定は基本的に今まで高野連が課してきた「連帯責任」を否定し、あくまで罪の罰は個人が負うものと方針転換したと考えたい。
2年前の春。僕を始めとした北海道の人々は「連帯責任」の悲劇を目の当たりにしている。
駒大苫小牧高校が甲子園2連覇の後、現在、楽天で活躍している田中投手を擁して秋の神宮大会も制し、春の甲子園でも優勝候補の筆頭に挙げられながら、現役の野球部員とは直接関係のない卒業を控えた3年生の元部員の飲酒によって甲子園出場の道が絶たれた。そのときの悔しさは「連帯責任が人を造る教育になるのか?」で書いている。
選手自身の悔しさの比は、道民の悔しさどころではなかったろう。
後に夏の甲子園で駒大は3連覇を逸するが、伝説となった早実との決勝再試合、田中VSハンカチ王子の戦いを歴史に刻むこととなった。しかしそこにいくまでの間には「燃え尽き」からチームが空中分解の危機まで陥ったことを後に田中投手は告白している。壊れやすい18歳の心のケアを考えたとき「連帯責任」は過酷過ぎる罰である。
(僕は希代の名将、香田誉士史監督が高校野球から離れてしまったのも、この1件が深く影響していると考えている。)
ただ残念なことは、桐生第1ナインに声援を送るべき一般生徒の応援団の球場応援が自粛されたことだ。プレーに集中するといっても、ぽっかり空いたアルプススタンドの風景は、選手の心に重石をのせたことだろう。
謝罪は謝罪として、きちんと別な形で行えばよいことで、選手を罪人の仲間であるかのような扱いはしてほしくないと思った。
どちらにしても罰の与え方が「連帯責任」を基本にする姿勢は歪んだ感情しか残さない。その方法は決して社会を良くしない。
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4年に一度しかない大会だから、選手は悔いなく実力を発揮したいと思っているだろう。日本にとっては他の外国より厳しい環境でのオリンピックになるかもしれないが、選手の活躍に期待したい。
オリンピックは参加することに意義があるといわれるが、スポーツ経験者の僕からいえば、選手本人が最初から参加することだけに意義を感じるとしたら選手失格である。それは第3者が言うべきセリフで、オリンピックに出場できたことに満足しているような選手や、勝つ為のアドレナリンで心が燃え滾らないアスリートは即刻日本に帰ったほうがよい。結果はともかくとして、求めるべきものはあくまで勝利である。
ところで、甲子園では高校球児たちが熱い戦いを繰り広げている。オリンピックばかりに目を奪われないで、彼らの夏も是非声援してほしい。特に3年生にとっては2度と来ない夏である。
その甲子園に昨日、群馬県代表の桐生第1高校が登場した。大会前に野球部員の一人が婦女暴行事件を起こして逮捕されるという大事件が起きて、出場の是非を巡って大いに意見が分かれたところである。
この問題について僕個人の意見を述べさせてもらえば、今回の高野連の「出場に問題なし」とした決定は大いに支持しているし英断だと思っている。
そして桐生第1高校ナインが甲子園に出場し、堂々と戦えたことは本当に良かったと思っている。敗れはしたが、様々な雑音と心ない一部の人々の非難の声が飛び交う中で選手は本当に頑張ったと思う。心から拍手を送りたい。
もちろん被害を受けた方への謝罪がまず大事だし、それは一番重要で忘れてはならないことである。そしてその心のケアにも配慮しなければならないが、それが甲子園出場を辞退するというやり方ではないだろうと思う。
野球部として何も責任をとらなくて良い、という意味ではなく、連帯責任と言う形で罪のない頑張ってきた選手をすべて巻き込む形の責任のとり方である必要はないという意味である。
野球部という組織の問題が事件に繋がっているならともかく、個人の犯罪で、その個人がたまたま甲子園に出場する野球部に所属していたというだけの理由で、正月さえも休みなく練習に打ち込んできた他の罪のない選手達の「夢の場」を奪うことが教育だと思わないし、出場辞退しないことが社会的な悪であるとも思わない。彼らの夏は今年1回限りのもので大人たちを始めとしたすべての国民が守ってやらねばならないものだと思う。
高校生の犯罪だから、学校の最高責任者としての校長や指導責任者である野球部長や監督が責任をとることは必要だが、罪のない10代の野球に打ち込んできた青春に責任を負わせる必要はない。今回の高野連の決定は基本的に今まで高野連が課してきた「連帯責任」を否定し、あくまで罪の罰は個人が負うものと方針転換したと考えたい。
2年前の春。僕を始めとした北海道の人々は「連帯責任」の悲劇を目の当たりにしている。
駒大苫小牧高校が甲子園2連覇の後、現在、楽天で活躍している田中投手を擁して秋の神宮大会も制し、春の甲子園でも優勝候補の筆頭に挙げられながら、現役の野球部員とは直接関係のない卒業を控えた3年生の元部員の飲酒によって甲子園出場の道が絶たれた。そのときの悔しさは「連帯責任が人を造る教育になるのか?」で書いている。
選手自身の悔しさの比は、道民の悔しさどころではなかったろう。
後に夏の甲子園で駒大は3連覇を逸するが、伝説となった早実との決勝再試合、田中VSハンカチ王子の戦いを歴史に刻むこととなった。しかしそこにいくまでの間には「燃え尽き」からチームが空中分解の危機まで陥ったことを後に田中投手は告白している。壊れやすい18歳の心のケアを考えたとき「連帯責任」は過酷過ぎる罰である。
(僕は希代の名将、香田誉士史監督が高校野球から離れてしまったのも、この1件が深く影響していると考えている。)
ただ残念なことは、桐生第1ナインに声援を送るべき一般生徒の応援団の球場応援が自粛されたことだ。プレーに集中するといっても、ぽっかり空いたアルプススタンドの風景は、選手の心に重石をのせたことだろう。
謝罪は謝罪として、きちんと別な形で行えばよいことで、選手を罪人の仲間であるかのような扱いはしてほしくないと思った。
どちらにしても罰の与え方が「連帯責任」を基本にする姿勢は歪んだ感情しか残さない。その方法は決して社会を良くしない。
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責任=辞職・減俸・・・という方程式しか考えられない大人の想像力の欠如なのかも知れません。
あるドラマのコマーシャルで「責任は何かが起こってから取るものではなく、起こる前に・・・」という台詞がコマーシャルで流れていました(正確ではないかもしれませんが)。
自分自身は未熟なので、その言葉にショックを受けました。
責任ということをもっと奥深く考えてみたいと思っています。