相談員には雑学も大事だよ。」というブログをかつて書いたことがある。そこでも触れているが仕事とはまったく離れた領域の趣味や特技を持つことは心の豊かさや潤いに繋がるだけではなく、ソーシャルワーカーという職業においては自身の専門分野ではない知識や情報が得られるという副次的効果が得られる。それは必ず仕事にも役に立つものである。

そういう意味で僕は読書という趣味は様々な知識、雑学を得るためには重宝だと思うし、楽しみながら、心をリフレッシュしながら、仕事にも生きる知識を得られると思う。いやむしろそうしたことを意識することなく、自然と考え方の幅を広げてくれているように思う。そこで感銘を受けた「本」についてはこのブログでも何篇か紹介している。(参照:ブログカテゴリー、本・読書)ちなみに専門書ではなく、全部小説である。

先日、全国社会福祉協議会にお邪魔した際に、お逢いした事務局担当の方から、僕のブログを読んでます、とご挨拶を受け、ブログの中で紹介した「白夜を旅する人々」も読みました、と聞かされた。大変ありがたいことであるし、良い本は是非たくさんの人に読んでいただきたいので、これからも直接、福祉や介護と関係がなくとも印象深い本などは紹介していきたいと思う。

今日もある小説を紹介したいと思うが、少し重たいテーマについて考えさせられる作品である。

法務大臣の死刑執行命令に関連して、大臣を「死に神」と表現して揶揄した大手新聞社の見識はなきに等しい。

死刑という刑罰の是非は別に論ぜられるべきであるが、法務大臣という職務を拝命したものが法律で決められた執行命令を出すことを非難するのはいかがかと思うし、その数を問題にするなら、一体何人までなら大臣としての責務なんだという変な議論になってしまう。この国の新聞は、まさに「知性を代表するものでなく流行を代表するものに過ぎない」と司馬遼太郎さんが指摘した通りだとあらためて感じた。

人が人を裁く結果において、人の命を奪うという刑罰が許されるのか、このことは簡単に結論が出せないし、僕自身はそのことに少しでも手を貸すのは嫌である。誰も死刑執行命令書に喜んで署名する人間はいないだろう。大臣だって同じだと思う。

しかし一方、地下鉄サリン事件や幼女連続殺人事件、つい最近の秋葉原の無差別殺傷事件の罪のない被害者やその遺族に向って死刑は残酷な刑だから廃止すべきだと言うことができるだろうか。罪を憎んで人を憎まずなどというふうに綺麗ごとで片付けることができる問題だろうか。考えれば考えるほど、深い闇に沈むがごとくである。

人の生命、死、生い立ちと犯罪、そして罪と罰について考えさせられる小説がある。その作品を紹介したい。

加賀乙彦氏の「宣告」。上中下巻に分かれている長編小説である。作品自体はフィクションとして登場人物名も架空のものとされているが、しかしこの作品には明らかに実在モデルがある。

作品の主人公は一人の死刑囚である。彼の獄中生活から自身の生活暦や家庭内の問題、兄と自身の家庭内暴力や事件と直接繋がる浪費癖を生み出すもととなった恋愛問題、そして殺人事件から逮捕に至る経緯を回想し、そのことが小説として描かれている。

そして死刑囚として刑の執行におびえながら日々を過ごす苦悩の独房生活を描きながら、クライマックスは執行宣告を受け(当時は前日宣告:現在は当日宣告)、死の準備をしながら執行の朝を迎え死刑台の露と消えてゆく瞬間までを描いた作品である。

フィクションとして描かれているが、この小説の主人公・楠本他家雄とは1953年7月に起きた「バーメッカ殺人事件」の主犯で1969年12月19日、享年40歳で死刑執行された正田 昭、その人である。

またこの小説の中では、同じく拘置されていた横須賀線爆破事件で処刑された若松善紀や、強姦殺人魔の栗田源蔵とおぼしき人物も名を変えて書かれている。

描写は恐ろしいまでにリアルで臨場感あふれたものになっている。その理由は作者の加賀氏の職歴に関係がある。氏は東大医学部卒業の精神科医師であり、執筆活動に専念する以前は上智大学教授等を務めていたが、過去に正田が刑の執行を待つ間に独房生活を続けていた東京拘置所医務部に精神科医管として勤務しており、そこで実際の死刑囚等の診療に携わっていたのである。

この小説の中でも拘置所医務部の若い医師が重要な登場人物として配置されているが、この人物こそ加賀氏本人であろう。加賀氏は正田と1956年に出会い、刑の執行まで立ち会っている。正田は加賀氏宛の遺書も前日に書き残しているのである。

正田の罪は強盗殺人であるが、被害者1名の事件であり、現在なら、もしかしたら死刑判決は出ないかもしれない。しかも正田の死刑判決は、公判で事件動機を裁判官が問いかけた際に「私は破滅を望んでいたのであります」という正田の答えが不真面目であると裁判官を怒らせたからであるとも言われている。

加賀氏が特に正田を印象深く思い、小説の主人公のモデルにしたのは、彼が確定後、キリスト教に帰依し、模範囚として死の瞬間まで過ごしたことが関係するのかもしれない。加賀氏自身が50代の後半にキリスト教に帰依し心の安楽を宗教で得た、という経緯はあるが、そのこととは別にして、罪を深く悔い、反省して、後半生を清らかに潔く生きている人間を、過去の罪の結果として死刑台に送る意味があるのかという問いかけが含まれているんだろうと思う。

ともかく重たい小説である。

人の命の重さ、取り返しのつかない罪の償いの意味。様々なことを考えさせられる。ズシリと心に重くのしかかるテーマではあるが、是非一度読まれて後悔はしない作品だろうと思う。

介護・福祉情報掲示板(表板)
(↓ランキング登録しています。クリックして投票にご協力をお願いします。)
人気blogランキングへ

にほんブログ村 介護ブログ

FC2 Blog Ranking