社会福祉制度の議論は、財政論を抜きには語れないという意見が多くなりつつある。確かに財源のない給付はあり得ないという意味では、その意見は正しいであろう。

しかし一方、雇用、年金、医療などのセーフティネットが制度として機能していないと、市場そのものも破たんするという考え方から、「福祉を拡充する小さな政府」も必要で、それは可能だとする考え方もある。(参照:金子教授の「セーフティネット張替え論」)

世界に例を見ない超高齢社会を迎えているわが国において、社会福祉制度を財源からの視点からしか論議できないようではお先真っ暗である。国の責任という立場から考えると「この世に生まれたすべての人間が誰であろうと、人間に値する生涯を営む権利を有し、国や政府はそのことを保障し援助する責務がある」という原理原則からの視点が不可欠である。社会福祉とは国を構成する不可欠要素であることを忘れてはならない。そのことはいずれ書く機会があるだろうから、今日は財源論議について触れてみたい。

社会福祉制度の財源をどうするかという議論の延長線上には消費税の引き上げという問題を避けては通れないという考え方が増えており、実際に今日の社会福祉制度を巡る状況を鑑みて、国民の中に「消費税の引き上げやむなし」という意見も増えているように思える。

もちろん国民感情は、その前に中央官僚等の税金の不適切な使い方を是正し、無駄を省いて、なおかつ足りない部分は消費税の引き上げに財源を求めざるを得ない、ということであろう。しかしながら消費税の導入時や、税率を3%から5%に引き上げた際の「絶対反対」という声は少ないように思え、消費税に対する国民の「免疫」あるいは「あきらめ」により抵抗感が薄らいでいるように思える。

ところで間接税としての消費税の実態は、本当に国民全体としてみて公平な税金なのだろうか。その税率引き上げは社会保障の充実に繋がるものなのであろうか。

消費税自体は一律決められた税率が消費に対して課税されるもので、100円のものを誰が購入しようと税金は5円であり、そういう意味では「公平」だという。しかし100円の価値自体がまったく個人によって異なる現実において同額=公平という理屈は成り立たない。

年収が数億ある金持ちが支払う5円と、個人では絶対に生産収入が得られない子供や、就労不能な重度障がい者の方々が支払う5円とでは意味が違うのである。額が大きくなればなるほど、この「実態価値(あるいは実勢価値)」の差は広がり、消費税の支払いができないことで、物を手に入れることができない人々と、そうでない人々の生活格差はどんどん大きくなる。

食品や生きるために必要な生活必需品に対する消費税というのは、この格差を否が応でも拡大させているのである。

そういう意味からいえば格差が広がっているといわれる現代社会における消費税は不公平を拡大させる税方式であるとも言える。

総務省統計局が出す家計に関わる統計資料の数値が、あまりに生活実態とかけ離れている意味は、ごく一部の巨額な資産を持つ個人の数字が平均値に落とす影響が大きく、その中に多くの一般国民が飲み込まれて平均とされている為である。つまり格差社会は現実に貧富の差を広げているのである。

消費税を社会福祉財源の中心とする社会システムでは、富めるものは益々裕福に、貧しきものはますます苦しくなる。そしてそれは中産階層が、病気や障害をきっかけにして貧困に見舞われる可能性をも高めている社会であり、まさにセーフティネットの網の目が破れているといえるであろう。

これをいくら社会福祉政策への支出に限定する目的税にしたとしても、その本質的問題自体は変わらない。逆に福祉目的税化というものは、目的税が足りなくなれば社会福祉施策の水準を下げてよいという「まやかしの理屈」を生み出し、税率を安易に上げる理由にされる危険性をも内包している。

消費税などの税金を福祉目的税化することは、社会福祉政策の国の責任を国民に転嫁する意識を生み出すことにもなりかねない「諸刃の刃」であることも忘れてはならず、本来国の責務である「国民の生命と生活を守る」という政策に対する目的税の導入は、目的税だけで社会福祉を運用するのではなく、目的税をすべて社会福祉に使い、必要な財源は他からも求めることができるというシステムをきちんと構築した上で慎重に考えられねばならない。

消費税の安易な引き上げ議論は、格差の拡大という意味からも慎重に行われねばならない。税制における直間比率の見直し議論という声がほとんど聞かれないが、所得税という直接税は本当に現代社会にマッチした税率と方法になっているんだろうか。

個人の所得収入とは、もちろん個人の能力と努力で得られる部分が大きいが、大手のコンピューター関連ソフト会社のオーナーなどは公の場で「一生では使いきれない収入と資産が既にある」と言ってはばからない。そういう巨額の個人資産は、すべて個人の能力や努力で得られたものと考えるのではなく、社会全体の「財」が1ケ所に集中していると考えられるべきで、社会還元されるべき資産として、再分配の視点があって当然だろう。巨利は社会活動の結果であって、社会が存在し初めて成されたものである。

所得税に対して、労働意欲を削ぐような重課税は社会の活力を奪う元凶になりかねず、それは問題であるが、国民の生活水準や一般感情からかけ離れた巨利に対しては、きちんと国と国民に還元する税システムでなければならないのではないだろうか。

わずか数年のうちに1生涯使い切れない資産を築けるチャンスがある国である裏側には、必要な医療や介護を受けられない人々が増えている実態がある。このことをもっと国民議論にすべきである。

節税対策なども一般のサラリーマンや、多くの国民とは縁のないものである。節税という名の税金負担義務の放棄は本当に行われていないのか、庶民のレベルとの比較検討の視点がないと平等社会は実現されない。

政府与党の厚生労働部会は先月、社会保障制度調査会、雇用・生活調査会と合同会議決議案を出しているが、この中で「税制抜本改革が不可欠」としている。この決議案に基づけば、この年末にも消費税はアップされるという決定がされることになる。国民議論は待ったなしである。

お金持ちのところにしか社会の財が集まらない仕組みというのはやはりおかしい。

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