先週末、福岡県・朝倉介護保険事業者協議会のお招きを受け、同市におけるスタッフ研修会で講演を行った。土曜の夜18:30〜20:45という時間にも関わらず実に450人もの参加があり、最後まで熱心に僕の講演に耳を傾けていただき感謝に絶えない。本当にありがとうございます。
その夜は、事務局の皆様と博多で朝3時過ぎまで盛り上がった。本場の「もつ鍋」や「馬刺し」「レバ刺し」に舌鼓をうち、3時を越えた時間に「とんこつラーメン」で締めた。どれも最高に旨かった。翌日は福岡タワーを案内していただき、空港ロビーまでお見送りまでしていただき大変恐縮している。大変楽しく思い出深い2日間であった。
さてその際の講演でも話したケースであるが、今日は認知症を抱える家族に起こった問題と対応について紹介しておきたい。
(実は講演でこの話をしている最中に、これは是非、ブログでも紹介しようかな、と考えていた。)
この仕事をしていると自分の職場の利用者だけではなく、その家族との関わりも大事になってくる。同時に必要な援助や支援というのは、利用者本人に限定されず家族をも含めた支援にならざるを得ない。
特に居宅サービス系であれば、主介護者として、あるいはインフォーマルな支援者として家族や家庭環境を総合的に巻き込んだ支援というのは不可欠である。
僕の場合は、生活の糧にしている仕事以外にも、ケアマネ会の代表とか、社会福祉士会の役員とか、国や道や市の委託任務も役割としてもっているので、本来業務以外でも地域住民の支援に関わることがある。
今日紹介するケースは、特養の施設長という以外の役割で関わった地域の認知症高齢者の家庭の事例である。時期は特定できないが数年前のケースである。
詳しい事情は書けないが、認知症の父の介護を行う娘さんが、ある父親の言動が理由で介護拒否に至る寸前の状態で関わったケースである。
2号被保険者だから、まだ比較的若い認知症の父親を、母親と長女が主介護者となって在宅介護をしていたのであるが、ある日、娘が父親から「求愛」されたのである。
アルツハイマー型認知症の進行で徐々に記憶や見当識の障害が進んできているとはいえ、長女にとっては、元気なころと変わらない父親のつもりで親身に世話をしてきたのに、その父親が自分のことを娘とは見ず「女」として見ているのか、というショックで父親に近づくこともできなくなりつつあった。
しかしこれは父親の性格とか性癖とかいう問題ではなく、認知症という病気の進行とともに現れた症状の一つである。まずそのことを長女に理解していただかねばならないと思った。
つまりアルツハイマー型認知症の方に多い症状だが、初期段階では記憶障害は短期記憶の部分だけが失われ過去の記憶は比較的残っている場合が多いし、若いころのエピソード記憶は鮮明に残っている。(参照:記憶とは箪笥の引き出し)しかし認知症が進行していくと過去に獲得した記憶まで失うことがある。つまり認知症という状態になった時点から遡って、ある一定時期までの記憶が消えてしまうのである。
そうすると自分の年齢や経験の記録がなくなり周囲の人との関係がわからなくなる。80代の認知症の方が30代以降の記憶がなくなれば、その人は20代としてそこに存在していると思い込む。そうなると50代の自分の娘を「お母さん」と呼んだり、自分より年上の人と思い込むことになる。
本ケースも同様で、自分が妻や娘を持った以降の記憶をなくしてしまい、自分は娘と同世代で、目の前にいるのは娘ではないと思い込んでいるために現れる症状であろう。
そのことを時間をかけて説明しても、長女は頭では理解できても、感情部分ではなかなか受容できない状態が続いた。
時間も掛かって紆余曲折があったケースではあるが、ある日、僕は長女に対し以下のような意味のことを言ったと記憶している。
「お父さんは、大切な記憶は失ってしまったかも知れないけど、大切な感情の中身の部分は昔のまま残っているんだと思いますよ。娘さんはきっとお母さんの若い頃に似ておられるんでしょう。お父さんは若い頃に戻ってしまっていますが、そこでお母さんの若い頃にそっくりなあなたに恋愛感情を持つってことは本当にお母さんを愛されていたからではないんでしょうか。きっと良い夫婦だったんですよね。生まれ変わってもお父さんは、またお母さんを愛すのではないでしょうか。これって素敵なことだと考えられませんか?」
たまたまこの言葉が長女の心に響く結果になったんだろう。この会話を交わした時期から、長女の心の氷山が徐々に溶けはじめた。
その後、その方は認知症介護のプロ顔負けの素晴らしい在宅介護を何年も続けられた。現在、認知症のお父さんは亡くなられているが、最後まで母親である認知症の父親の奥様と在宅で面倒を見たそうである。最近ある会合でその方と久しぶりにお逢いして思い出したケースである。
たまたまうまくいったケースで、これが全ての人やケースに当てはまるなんていうことはあり得ないが、在宅で認知症高齢者のケアを続けられている人々の心理的ストレスの解消の為には、まず何より認知症とはどういう病気で、どういう症状がでてくるのか、今目の前にいる身内の行動の意味するものは何なのかということをアドバイスしてくれる存在が必要なのだと思う。
そういう意味では、介護の専門職だけでなく、認知症サポーター養成講習などで「認知症とは何か」を知ってくれる市民が増えることは意味のあることなんだと思う。
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その夜は、事務局の皆様と博多で朝3時過ぎまで盛り上がった。本場の「もつ鍋」や「馬刺し」「レバ刺し」に舌鼓をうち、3時を越えた時間に「とんこつラーメン」で締めた。どれも最高に旨かった。翌日は福岡タワーを案内していただき、空港ロビーまでお見送りまでしていただき大変恐縮している。大変楽しく思い出深い2日間であった。
さてその際の講演でも話したケースであるが、今日は認知症を抱える家族に起こった問題と対応について紹介しておきたい。
(実は講演でこの話をしている最中に、これは是非、ブログでも紹介しようかな、と考えていた。)
この仕事をしていると自分の職場の利用者だけではなく、その家族との関わりも大事になってくる。同時に必要な援助や支援というのは、利用者本人に限定されず家族をも含めた支援にならざるを得ない。
特に居宅サービス系であれば、主介護者として、あるいはインフォーマルな支援者として家族や家庭環境を総合的に巻き込んだ支援というのは不可欠である。
僕の場合は、生活の糧にしている仕事以外にも、ケアマネ会の代表とか、社会福祉士会の役員とか、国や道や市の委託任務も役割としてもっているので、本来業務以外でも地域住民の支援に関わることがある。
今日紹介するケースは、特養の施設長という以外の役割で関わった地域の認知症高齢者の家庭の事例である。時期は特定できないが数年前のケースである。
詳しい事情は書けないが、認知症の父の介護を行う娘さんが、ある父親の言動が理由で介護拒否に至る寸前の状態で関わったケースである。
2号被保険者だから、まだ比較的若い認知症の父親を、母親と長女が主介護者となって在宅介護をしていたのであるが、ある日、娘が父親から「求愛」されたのである。
アルツハイマー型認知症の進行で徐々に記憶や見当識の障害が進んできているとはいえ、長女にとっては、元気なころと変わらない父親のつもりで親身に世話をしてきたのに、その父親が自分のことを娘とは見ず「女」として見ているのか、というショックで父親に近づくこともできなくなりつつあった。
しかしこれは父親の性格とか性癖とかいう問題ではなく、認知症という病気の進行とともに現れた症状の一つである。まずそのことを長女に理解していただかねばならないと思った。
つまりアルツハイマー型認知症の方に多い症状だが、初期段階では記憶障害は短期記憶の部分だけが失われ過去の記憶は比較的残っている場合が多いし、若いころのエピソード記憶は鮮明に残っている。(参照:記憶とは箪笥の引き出し)しかし認知症が進行していくと過去に獲得した記憶まで失うことがある。つまり認知症という状態になった時点から遡って、ある一定時期までの記憶が消えてしまうのである。
そうすると自分の年齢や経験の記録がなくなり周囲の人との関係がわからなくなる。80代の認知症の方が30代以降の記憶がなくなれば、その人は20代としてそこに存在していると思い込む。そうなると50代の自分の娘を「お母さん」と呼んだり、自分より年上の人と思い込むことになる。
本ケースも同様で、自分が妻や娘を持った以降の記憶をなくしてしまい、自分は娘と同世代で、目の前にいるのは娘ではないと思い込んでいるために現れる症状であろう。
そのことを時間をかけて説明しても、長女は頭では理解できても、感情部分ではなかなか受容できない状態が続いた。
時間も掛かって紆余曲折があったケースではあるが、ある日、僕は長女に対し以下のような意味のことを言ったと記憶している。
「お父さんは、大切な記憶は失ってしまったかも知れないけど、大切な感情の中身の部分は昔のまま残っているんだと思いますよ。娘さんはきっとお母さんの若い頃に似ておられるんでしょう。お父さんは若い頃に戻ってしまっていますが、そこでお母さんの若い頃にそっくりなあなたに恋愛感情を持つってことは本当にお母さんを愛されていたからではないんでしょうか。きっと良い夫婦だったんですよね。生まれ変わってもお父さんは、またお母さんを愛すのではないでしょうか。これって素敵なことだと考えられませんか?」
たまたまこの言葉が長女の心に響く結果になったんだろう。この会話を交わした時期から、長女の心の氷山が徐々に溶けはじめた。
その後、その方は認知症介護のプロ顔負けの素晴らしい在宅介護を何年も続けられた。現在、認知症のお父さんは亡くなられているが、最後まで母親である認知症の父親の奥様と在宅で面倒を見たそうである。最近ある会合でその方と久しぶりにお逢いして思い出したケースである。
たまたまうまくいったケースで、これが全ての人やケースに当てはまるなんていうことはあり得ないが、在宅で認知症高齢者のケアを続けられている人々の心理的ストレスの解消の為には、まず何より認知症とはどういう病気で、どういう症状がでてくるのか、今目の前にいる身内の行動の意味するものは何なのかということをアドバイスしてくれる存在が必要なのだと思う。
そういう意味では、介護の専門職だけでなく、認知症サポーター養成講習などで「認知症とは何か」を知ってくれる市民が増えることは意味のあることなんだと思う。
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