僕の出勤時間は定刻よりもかなり早いことが多い。特養の日勤職員がまだ誰も来ていない時間に出勤することがほとんどである。

であるから、その時間は利用者の皆さんがまだ朝食の時間である。

ところで数年前の話ではあるがこんな失敗談がある。

その日もいつものように出勤して、ホールで朝食を摂られている方々に挨拶しながら自室に向かおうとしていた。すると男性利用者のAさんが強張った表情で僕の方に向って歩行器を押しながら歩いてきて大声で怒鳴っている。Aさんは認知症自立度で言えばbという状況である。

怒鳴り声であるので最初聞き取りにくく「どうしましたか」と聞くと、「○○はどこだ!!」とAさんの居住棟の担当グループのリーダーの名を挙げて怒っている。

僕「○○はまだ来ていません。どうしました。」
Aさん「○○に話があるんだ。」

そのときチラッとAさんが座っている場所にお膳が出されているのを見たのがまずかった。そのことで僕は間違った対応をしてしまったのである。
「○○は、もっと遅い時間の勤務なので○○時にならないと来ませんよ。本人が来たらお知らせしますから、まずごはんを食べましょう。」
Aさん「・・・・・。」
僕「責任をもって○○が来たら知らせますから安心してください。さあ席に戻りましょう。」
Aさん「バカモンそれじゃあ駄目なんだ!!」

この時点で自分の失敗に気付いたが、時すでに遅し。Aさんの怒りは収まるどころかヒートアップしてしまっている。

もうお気付きだろうが、この日の僕の失敗は利用者の訴えに対し、それを傾聴しようとする態度ではなく、利用者の行動を抑えようとする態度に走ってしまったということである。ソーシャルワーカーとして一番大事な「受容」の態度を忘れて「説得」に走ってしまったのである。朝でエンジンがかかっていなかったことと、自分なりの朝のルーチンワークをするために気持ちに余裕がなかったとはいえ、普段言っていることが実践できていないということであり、まったく情けないことである。いくら反省してもし足りない。

この場合「席に戻りましょう。」という説得は必要のないことであり、まずなぜAさんがグループリーダーを呼ぼうとしているのかというAさんの訴えの本質を受け止める「理解的態度」即ち「受容の態度」が必要だったのである。グループリーダーに代わって僕自身がAさんの訴えをしっかり受け止めることが求められていることだ。

朝ごはんなど、少々時間がずれて食べても良いもので、食卓にお膳が出ているから「ご飯が冷める」なんてことを心配して一番大事な対応を行わなかったことは非常に恥ずべきことであると反省している。

Aさんはグループリーダーを呼びたかったのではなく、訴えたいことがあったのがその行動の本質であり、グループリーダーというのは自分の訴えを受け入れてくれるであろう一番信頼できる対象として名を呼んでいるだけであり、グループリーダーがいなければAさんの訴えを誰も聞かないという対応が一番まずいのである。Aさんが求める「人」がいなくても、Aさんの「思い」はしっかりうけとめられなければならないはずなのに、そこに気付くのが遅れてしまった。

こういう際の仕切りなおしというのはなかなか難しい。一旦壊れたリズムを引き戻そうとしても、不自然さが伴うものであり、ぎこちない会話を続けてやっとこさ態度を変えることができる。

なんのことはない。最初にしっかりAさんの思いを受け止めておれば、ものの数分程度で解決した問題を、最初の僕の対応がまずいばかりに何十分も余計な時間を費やす結果となってしまった。その間、Aさん自信にも嫌な思いを持続させていたということになる。

まず何よりそうした正しい対応の方法を考えなくても、それは自然に態度として行えることが当たり前なのに、そうした態度は身についていると日頃は思っていたのに、できない状況があったということは自分の中の何かが足りない、欠けているということであろうと思う。

つくづく修行が足りないという思いを感じさせられた1日の始まりであった。そういえば朝のテレビ番組での運勢はかなり悪い日であったことを思い出した・・・。本当は、運勢の問題ではなく資質であるといわれれば反論のしようはない・・。

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