来月依頼されている講演のファイル作りを行っていた。夜半に始めた作業だったが、気がつくと朝になっていた。
認知症のケアに関する内容であるが、最初に作ったパワーポイントのファイルが思った以上に多くなってしまったので予定の90分では話しきれないと考え、再度内容を見直してファイル量を減らした。しかし単に話す内容を削ったのでは話の構成がうまくいかなくなることに気づき、結局全ての内容を手直しすることになった。
朝方ようやく作業を終えたが、推敲や最終校正はこれからの作業になる。しかしこういう作業は少し間を置いたほうが「あら」が見えやすいので今週末まで手をつけずに来週頭を目指して完成させようと思っている。
それにしても最近はパワーポイントというソフトで、プレゼンテーションファイルが簡単に作れるようになって、事前に講演内容や時間の構成がきっちりできるようになった。以前のように話しながら構成を変えたり、時間を調整したりという「技」を使わなくて済む。
それが講演内容の硬直化に繋がってもまずいが、自分の中で整理した考えを、事前に文字ファイルで表しておくことは、その日の「調子」に左右されることがなくなる点では良いことだろう。そして講演を聞く側も、耳で聞くだけでなく視覚的に考えを確認できることは、その講演内容をより理解しやすいであろうと思う。しかし、その分、自分としては以前よりも事前作業にかかる時間は比較できないほど増えたように思う。
今回の講演では僕の持論である「認知症のケアは特別なケアではない」という意味を、まず最初に理解していただこうと思っている。本来、介護支援は特別な状況や人に対して「特殊な方法」があるわけではない。適切なケアの方法の延長線上に「認知症のケア」とか「看取り介護」とかがある。
しかし特別なケアではないという意味は、認知症の原因や主症状を知らないでも良い、という意味ではない。ここを誤解してもらっては困るのだ。適切に対応するためには、専門的な知識や技術を身につけることは「認知症ケア」に限らず当たり前の事なので、当然、医学的知識の部分も含めて「認知症」というものの理解をする必要はあるわけで、その上で、人が人に対する支援のあり方として「当たり前の事」を考えましょうという意味である。
知識や技術は使い方によって、大変重要な現場での道具になることを理解したうえで、その取得に努めてもらわねばならない。講演も、ただ聞きゃあスキルがアップするなんていうことはなく、自分がそれをどのように現場で生かす気持ちがあるかに左右される部分は多い。
しかし講演を聞く側の方々が、そうした気持ちを持てるためには、講師の話の内容も当然重要である。ありきたりの教科書的プレゼンテーションなど誰も求めていないし、だからといって突飛で現場で実践できないような内容では意味がない。そういう意味では、いかに聞く側の興味を惹き、聞く側の聞きたい内容に応えるかが、話す側には求められているんだろうと思う。だからよそで使ったファイルを、いろいろな場所で使いまわすことはせず、できるだけ事前アンケートで話してほしい内容などを事務局に集計してもらい、それに沿った内容のファイルを作るようにしている。
ただし認知症のケアに関して言えば「これこれのケースがありますが、どうしたらよいでしょう」という質問に対し「こうすれば改善する」というような魔法の処方はない。過去の誰かにうまくいった方法も、同じようなケースであっても、全くうまくいかないこともある。
一人ひとりの利用者に向かい合って始めて引き出される答えが必要なんだ。その答えの引き出し方の根本となる考えを理解するところから「認知症ケア」は始まるといってよい。
現場で私たち自身が、いかに目の前にいる利用者の訴えや表情から、彼らの気持ちを察して、真摯にそこに関わってともに歩むかという姿勢が問われており、五感を働かせた「想像力」と「創造力」が我々に求められているものだ。
こんな事を書くと、どこかの大学教授からは「そんな抽象的で実体のないケアは意味がない!!」といわれそうであるが、当然、講演ではその方法についても具体的に示すつもりであるからご心配なく。
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認知症のケアに関する内容であるが、最初に作ったパワーポイントのファイルが思った以上に多くなってしまったので予定の90分では話しきれないと考え、再度内容を見直してファイル量を減らした。しかし単に話す内容を削ったのでは話の構成がうまくいかなくなることに気づき、結局全ての内容を手直しすることになった。
朝方ようやく作業を終えたが、推敲や最終校正はこれからの作業になる。しかしこういう作業は少し間を置いたほうが「あら」が見えやすいので今週末まで手をつけずに来週頭を目指して完成させようと思っている。
それにしても最近はパワーポイントというソフトで、プレゼンテーションファイルが簡単に作れるようになって、事前に講演内容や時間の構成がきっちりできるようになった。以前のように話しながら構成を変えたり、時間を調整したりという「技」を使わなくて済む。
それが講演内容の硬直化に繋がってもまずいが、自分の中で整理した考えを、事前に文字ファイルで表しておくことは、その日の「調子」に左右されることがなくなる点では良いことだろう。そして講演を聞く側も、耳で聞くだけでなく視覚的に考えを確認できることは、その講演内容をより理解しやすいであろうと思う。しかし、その分、自分としては以前よりも事前作業にかかる時間は比較できないほど増えたように思う。
今回の講演では僕の持論である「認知症のケアは特別なケアではない」という意味を、まず最初に理解していただこうと思っている。本来、介護支援は特別な状況や人に対して「特殊な方法」があるわけではない。適切なケアの方法の延長線上に「認知症のケア」とか「看取り介護」とかがある。
しかし特別なケアではないという意味は、認知症の原因や主症状を知らないでも良い、という意味ではない。ここを誤解してもらっては困るのだ。適切に対応するためには、専門的な知識や技術を身につけることは「認知症ケア」に限らず当たり前の事なので、当然、医学的知識の部分も含めて「認知症」というものの理解をする必要はあるわけで、その上で、人が人に対する支援のあり方として「当たり前の事」を考えましょうという意味である。
知識や技術は使い方によって、大変重要な現場での道具になることを理解したうえで、その取得に努めてもらわねばならない。講演も、ただ聞きゃあスキルがアップするなんていうことはなく、自分がそれをどのように現場で生かす気持ちがあるかに左右される部分は多い。
しかし講演を聞く側の方々が、そうした気持ちを持てるためには、講師の話の内容も当然重要である。ありきたりの教科書的プレゼンテーションなど誰も求めていないし、だからといって突飛で現場で実践できないような内容では意味がない。そういう意味では、いかに聞く側の興味を惹き、聞く側の聞きたい内容に応えるかが、話す側には求められているんだろうと思う。だからよそで使ったファイルを、いろいろな場所で使いまわすことはせず、できるだけ事前アンケートで話してほしい内容などを事務局に集計してもらい、それに沿った内容のファイルを作るようにしている。
ただし認知症のケアに関して言えば「これこれのケースがありますが、どうしたらよいでしょう」という質問に対し「こうすれば改善する」というような魔法の処方はない。過去の誰かにうまくいった方法も、同じようなケースであっても、全くうまくいかないこともある。
一人ひとりの利用者に向かい合って始めて引き出される答えが必要なんだ。その答えの引き出し方の根本となる考えを理解するところから「認知症ケア」は始まるといってよい。
現場で私たち自身が、いかに目の前にいる利用者の訴えや表情から、彼らの気持ちを察して、真摯にそこに関わってともに歩むかという姿勢が問われており、五感を働かせた「想像力」と「創造力」が我々に求められているものだ。
こんな事を書くと、どこかの大学教授からは「そんな抽象的で実体のないケアは意味がない!!」といわれそうであるが、当然、講演ではその方法についても具体的に示すつもりであるからご心配なく。
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感動の完結編。
