街には臭いがある。風のにおい、草の臭い、土の臭い、そして生活の臭い。

嗅覚で感じる臭いだけではなく、そこに住んで暮らすことで初めて感じ取ることができる暮らしの臭いがある。

まだ寒い日の多い北海道のこの街にも雪がとけ春の臭いが漂っている。

休みの日は夕方30分ほど決まったコースをジョギングすることが多い。人通りが少なくなる時間を選ぶので、黄昏時に走っている。

「たそがれ」とは美しい言葉だ。もともとの語源は、夕暮れ時に人の姿の見分けがつきにくくなってきて、向こう側から歩いてくる人の姿は見えるが、その輪郭はぼやけ、知り合いでも顔をはっきり認識できず「あれは誰?」と目をこらさねばならない時間帯のことを言う。

つまり「たそがれ」とは「誰そ彼(たれそか)」という言葉が変形したものである。

日が長くなるにしたがってその時間は遅くなる。僕の走る時間も必然的に遅くなる。

日が短い冬の間は、その時間は午後4時台である。この時間だと夕食を作っている家庭はほとんどない。しかしごく一部の家庭の台所から、ランニングコースに漂ってくる臭いの中に「夕食の仕度」を感じる時がある。朝早い仕事で、夕食を早く済ませて寝る時間が早いのだろうかとか考えながら走っている。

この季節になると走る時間は6時台に近くなる。ランニングコースにも夕食仕度の臭いが漂っている。カレーの臭い、焼き魚の臭い、様々である。暮らしを感じられる臭いがあるということは素敵なことだと思う。それぞれの様々な生活を感じながら走っている。

ゴールデンウイークが過ぎて、もう少し暖かくなると、庭先で「焼肉パーティー」をしている家庭も増えてくる。僕が走っている時間にはすっかり出来上がっているような「お父さん」連中も見られるだろう。そのわきを邪魔にならないように走りすぎる。人々の笑い声に満ちている街がいつまでもあり続けて欲しい。いつまでもこの街に幸福の臭いを感じていたい。

ただ僕のランニングコースの一部には、ほとんど子供の姿がみられない静かな一角もある。年々空き家が増えている寂しげな一角もある。少しずつそういう場所や地域が増えているように感じている。少子高齢社会の影を、こういうところで肌で感じ取っている。

永田町や霞ヶ関の人々は、実際にそういう場所を見て、そこの臭いを嗅ぎ取っているんだろうか。

2008年3月31日現在、当市の人口は52.905人(男25.289人・女27.616人)、世帯数は24.617世帯。平均年齢は男45歳、女48歳、男女合計47歳。65歳以上の高齢者人口比率は26.2%で、100歳以上の高齢者も男2人、女8人である。

しかし高齢者の数は、元気な高齢者の数ではない。幸せな暮らしを送っている高齢者の数でもない。その数字の中に、どのような暮らしの実態が隠されているのか、どのような叫びが隠されているのか。そこが問題である。

窓が破れたまま残されている廃墟のような家屋の脇をコンビニの袋をシルバーカーの籠に入れ、老女がゆっくり、ゆっくり歩いている。すこし首を垂れるように、周囲を見渡すわけでもなく、ただただゆっくりと前に進んでいる。

その姿はやがてシルエットのように夕暮れの向こうに消えていった。僕はジョギングの足を止めて立ち止まり、その場所を長い間ただ見つめていた。そのとき、この国が高齢者にとって住みよい国なのだろうか、という思いがふと頭をよぎったのは何故なんだろうか。

介護保険制度も「走りながら考える」ばかりではなく、すこし立ち止まってもう一度足元を見つめなおした方が良い。

街が、どのような叫びを挙げているのか、耳を澄ましたほうが良い。

※明日は所要でブログの更新ができませんので土曜特集「masaの日本酒道」は都合によりお休みします。
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