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僕は札幌市内の大学出身であるが、実家が岩見沢という札幌近郊の街だったので1・2年時は汽車通、3・4年時は自家用車で自宅から通学していた。

3年目以降はそれまで単位を真面目に?取得したので授業日数が少なくなって汽車の定期券と自動車通学のコストがほとんど変わらなくなったため楽な車での通学が可能になった。なにしろガソリンがリッター90円時代の話である。4年生のときは確か週1回の通学と、卒論作成の為の不定期なゼミへの出席だけだったと記憶している。

実家を離れ一人暮らしをしたのは就職してからである。しかも当時、就職先の関連法人である医療機関の寮に入っていたため、一人暮らしといっても自炊していたわけではなく3食付きである。

結婚したのは27の年であったと思うが、その1年程前から寮を出てアパート暮らしをしていた。そのときも現在のカミサンの実家で飯を食わしてもらっていたという「ふとどきな」状態で「自炊」という経験はほとんどない。だからその苦労も知らない。

ところでこの春、長男が大学に進学するため一人暮らしをすることになった。僕の出身大学ではないが親父と同じ福祉系の学部に進学する。先々週は借りたアパートの掃除と家具や生活用品の搬入をしたが、そこで長男は自炊することになる。

次男の方は小学生の頃から台所で母親の手伝いをする子であったが、長男はあまりそういうことをしない子で、学校の家庭科の授業以外で料理など作ったことがないはずである。その子が4月から毎日3食自炊できるのか親としては一抹の不安をもって眺めている。

しかし彼なりに自炊に向けて努力しているようで、今、毎日昼食は母親に教わりながら自分で色々なものを作っているようだ。

毎晩、夕食時に母親に向って「明日のお昼何作るの?」と聞いている。何を食べさせてくれるのかという意味ではなく、どんな料理を教えてくれるのかを聞いているのである。

そんなふうに日一日、巣立つ準備を整えているのかと思うと少し寂しい。

時には男の料理も参考になると思って、先週の日曜には昼ごはんは僕が作って教えた。男の料理の特徴は「簡単でうまいこと」に尽きる。「面倒くさくてうまい料理」ではいかんのだ。

メニューは「なめこあんかけうどん。」うどんは市販の「ゆでうどん」でよく、これを熱々のお湯でゆでなおし、ゆでたてに「あん」をかける。

あんは、200CCくらいの水に好きな具材:この日は冷蔵庫の残り物の鶏肉、豚肉、かまぼこ、しいたけ、白菜、ほうれん草を入れ、市販の「たれ(うどんや蕎麦のタレに使う奴である)」で味を調え最後に水洗いした「なめこ」を入れて一煮立ちさせたらトロミをしっかりつける。その後、とき卵をまぜて半熟に固まったら出来上がり。これをゆでたてのうどんにかければ完成である。トロミをつけた後にとき卵を入れるのがミソで、こうすれば半熟のとろとろの餡が簡単にできる。

しかし父親に料理を教わるのも、この年頃の男の子には照れくさいらしい。あまり近くに寄らずに対面キッチン越しに僕の作り方をみている。食べるときも「うまいか?」「まあまあ。悪くはない。」という感じである。

男親との会話などそう弾むわけではないし、あまり話しかけてもうるさがられるだけである。(プロ野球の話、特にジャイアンツの悪口だけはかなり弾んだ会話になる。)

最初は夫婦二人から4人家族になったわけだが、その二人の子供がやがて巣立って、また夫婦二人に戻って行く。そのことは、いつかそうなるとわかっていたことだ。しかしそれは元の状態に戻るのとは少し違って、なんともいえない寂しさがある。カミさんは今から「5月の連休には帰ってきた方がいいよ。」なんて説得している。子供はとっくに親離れしているのに、親はまったく子離れができていないということだろう。

子供が大人になってこれから歩き続ける長い道の一歩を踏み出していくのを世間のすべての親達が似たような気持ちで見つめているのだろうか。それとも僕達の心が弱いだけなんだろうか。

いずれにしても、未来に向って長男が歩き始めた。彼が歩き続ける向こう側に光り輝く未来があってほしいと祈るだけである。

明日は彼の入学式である。今日、家に帰ると既に彼はそこにはいない・・・。

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