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新年度最初のサービス改革は「看取り介護」の見直しになった。

当初から予定していた見直しではない。ただ新入職員も年度途中からの者も含めると10名近く入社しているので、あらためて当施設の「看取り介護」に関する方針をきちんと伝えておく必要があるし、重度化対応加算の算定要件にも「定期的な看取り介護研修」が条件付けられている為、新年度早々に全職員を対象にした「看取り介護研修」を行う予定を立て、この研修を4月9日(水)午後7時30分より行うことが決まっていた。

その講師は僕自身が務めて、今までの当施設の看取り介護の実践の検証と、看取り介護指針に謳われている理念の確認などを講義内容にしようと思って準備を進めていた。

看取り介護とは単に施設で最期の時を迎えることではない。最期の時まで施設の職員の手による介護を受けて過ごしたいとすべての利用者が感じられるような支援を行いながら、その時を迎える過程すべてを「看取り介護」というのである。我々にそれができているだろうか。

漠然とそのような思いを持っていたところ4月1日に表の掲示板に「死後カンファレンス」というスレ立てがされた。ショックを受けた。本当に我々は、施設で実践してきた看取り介護の結果について「利用者が満足して施設で最期の時まで過ごせていたのか」「我々の支援方法や対応について、家族は不満や不平を感じていなかったのか」「看取り介護の現場で足りないことがなかったのか」それらについてきちんと検証評価してきたのだろうか考えさせられた。

そして実際にはシステムとしてきちんとした形の検証評価はされてこなかったことに気付いた。

これでは本当の意味で、利用者が安心して最期のときを迎える支援はできているといえないと思った。場合によっては利用者の意思の届かないところで「自己満足」だけの看取り介護で終わってしまっているケースがあったのかもしれないし、家族が不安や不満を抱えたままで終結したケースがあったのではないかという不安と疑問が生じた。

これは大問題と思って、昨日の時点において当施設で今後「看取り介護」を行う際には必ずその評価として「死後カンファレンス」を行うことを決めた。ただし「死後カンファレンス」という文言は拒否的な感情を示す利用者や家族がいるのではないかと考え、それを「看取り介護終了後カンファレンス」と呼ぶことにした。

この実施決定については完全にトップダウンである。そのため昨日から今日にかけて新しい「看取り介護指針」を僕自身の手で作り直し「看取り介護実施に関するアンケート」「看取り介護終了後カンファレンス報告書」も雛形を取り急ぎ作成した。

このように、ある程度の道筋を示して昨日、主任会議を臨時招集して実行の方針を伝え手順を話し合った。

トップダウンの方法を使ったのは、これが間違いなく必要な改革であり、「ケアの質向上」に繋がるという確信があったことと、利用者のケアサービスには「待つ」ことで失われてしまうものが多く「できることは、できるだけ速やかに」という原則があるからである。

しかし今回の方針は現場の職員にも肯定的に受け止められている。確かにきちんとした実践評価と検証が必要だと全員がすんなり受け入れてくれた。もちろん、今後の方法論は現場の職員主導で改良発展を図っていかねばならない。

とりあえず指針の中で「看取り介護」の実践評価を事後に行うことを義務付け、利用者や家族にそれを明らかにして、方法もある程度道しるべをつけた。家族の意見もきちんと受け止められるような実践が求められているし、それは同時に家族が自由に看取り介護の場で「物申すことができる」状態を作りだすことに繋がると思っている。つまり「看取り介護」の場は、施設職員だけで方法論を決めていくのではなく、利用者や家族との協働作業で方針なり方法を決めていく過程があることが大事という意味でもある。

これによって具体的に何がどのように変わっていくのかはまだ見えてこない部分がある。

しかし大事なことは、我々の実践が「指針」によって決められるのではなく、つねに実践内容を評価し、それが本当に利用者や家族にとって一番良い方法であるのかという検証の中で決められて行くべきものであり、その検証結果に基づいて「指針」も随時発展的に変えられていくものでなければならない、という考え方が必要だということである。

まさに「天のない介護サービス」「頂上のない介護サービス」という意識が必要なのだと思う。

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