介護療養型医療施設の廃止に伴って、療養型医療施設が転換する新しいタイプの老人保健施設の名称が「介護療養型老健」となることが正式に決まった。
転換型老健の問題は「見えづらい老健の経営戦略」などでも論じてきたが、来月の新報酬設定にむけてその後「転換型老健」の新報酬は加算で見る、という方針が一転し「報酬は新たな施設サービス費」を導入する方針に改められた。
この額が問題であるが、確実にいえることは現行の介護療養型医療施設の報酬よりは低く、既存の老健よりは高いであろうということである。
しかし新たに生まれる「介護療養型老健」の職員配置は現行の療養型医療施設並みに守られるのであれば、単に経営が報酬減によって圧迫される結果とならざるを得ず、報酬単価が減じられた分に対応して職員配置数も規準が引き下げられれば、実際に必要なサービスを提供できる人的配置が難しくなる可能性があり、そのしわ寄せはどちらにしても利用者に向けられることは間違いがない。
例えば費用対効果の視点から人件費を鑑みたとき「介護療養型老健」側は今後、利用者の選別を行う結果となり、施設サービスが必要な対象者を選ぶという視点ではないところで、施設側が不安なく介護できる対象者を選別するという結果になっていくことを懸念せざるを得ない。
現在考えられている職員配置は看護、介護職員とも利用者対比6:1で看護職員の夜勤も入所者60人に対し1名である。するとこの規準は現行の介護療養型医療施設の規準と何ら変わりなく、報酬が減った分をどこに根拠を求めるのか疑問である。
すると国は療養型の介護報酬より単価が低い新しい施設ではなく、現行の老健より単価が高い新しい施設として現行の療養型医療施設と同じ程度の職員配置を求める可能性が高い。
ただ規準を低く設定する方策として国は40人以下の小規模な介護療養型老健は看護職員については夜勤ではなくオンコールでも可という腹案も持っているが、実際に数の少ない小規模施設の規準だけを引き下げても報酬を現行の療養型より低く設定するアリバイ作りにはならないだろう。
(※もっともオンコール体制案については、利用者家族団体等から強い拒否反応が示されている)
そもそも老健=老人保健施設とは、歴史的に見れば在宅と施設を繋ぐ中間施設として誕生し、在宅復帰機能が一番重要であると考えられたものであったはずであるが、一部の施設を除いて、その機能は在宅と施設の中間施設ではなく、医療機関と特養等の施設を繋ぐ中間施設という性格を強く帯びて事業展開されてしまった、という事実がある。
評論家によっては「老健ができたために在宅復帰するべき患者が老健という施設に入所して施設利用者の増大を招いた」という意見を述べる人もいる。(その意見はいかがかと個人的には思う。)
しかし今回の介護療養型老健の誕生は、国・厚生官僚が老健施設という施設を作って展開しようとした過去の老人保健法における介護予防施策が失敗であったことを証明するものであると共に、その失敗を認めることなく老健自体の性格を大きく変えてしまい、介護保険制度をますますわかりづらい制度にしていることに他ならないと思う。
元を正せば何らかの疾患を抱えた高齢者が「急性期から回復期」を過ぎ「慢性期」という状態になったからといって医療対応が必要ではない、施設サービスは過剰サービスであるという論理自体がおかしい。
かつて、どの国も経験したことがない、人類史上初めての超高齢社会をわが国は迎えているのである。認知症高齢者の数も北欧の介護先進国といわれる国さえも経験したことがない状況を迎えているのが我が国の現状であり、それらの国のモデルは参考にならないところにきているのである。
慢性期の要介護者も、その多くは後期高齢者である。在宅サービスは重要だが、超高齢社会と少子化、核家族化社会がセットで進行しているわが国では、インフォーマルサービスに大穴が開いている現状がある。そのことを無視してフォーマルなサービスだけで在宅サービスは語れないし実際に人の生活をすべて支えてカバーできるわけがない。
こんなことを言えば多くの方から批判を浴びるかもしれないが、むしろ費用対効果からも、高齢者自身を支える生活の質、生命の維持という面からも、本当に必要なのは在宅サービスの充実以上に「慢性期疾患を持つ高齢者の暮らしの場」として終生施設が医療・介護両面から整備されることではないかと考えている。
それを逆に減らしていく今の施策では、介護難民どころか、行き着くところ「死」しか選択できない介護亡者が出現するだろう。死ねば「介護難民」はいない、ということになるんだろうか。
少なくとも現在の方向で、療養型医療施設の削減と廃止から、介護療養型老健と他の居宅サービスに患者をシャッフル移動しても、今後増え続ける団塊の世代から大量出現する要介護高齢者に対応できるシステムがないのは明白な事実なのだ。
この国の高齢者医療・介護はアクセルをフルスロットにして悲惨な状況へと向って福祉の視点のない道を走り続けている。
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転換型老健の問題は「見えづらい老健の経営戦略」などでも論じてきたが、来月の新報酬設定にむけてその後「転換型老健」の新報酬は加算で見る、という方針が一転し「報酬は新たな施設サービス費」を導入する方針に改められた。
この額が問題であるが、確実にいえることは現行の介護療養型医療施設の報酬よりは低く、既存の老健よりは高いであろうということである。
しかし新たに生まれる「介護療養型老健」の職員配置は現行の療養型医療施設並みに守られるのであれば、単に経営が報酬減によって圧迫される結果とならざるを得ず、報酬単価が減じられた分に対応して職員配置数も規準が引き下げられれば、実際に必要なサービスを提供できる人的配置が難しくなる可能性があり、そのしわ寄せはどちらにしても利用者に向けられることは間違いがない。
例えば費用対効果の視点から人件費を鑑みたとき「介護療養型老健」側は今後、利用者の選別を行う結果となり、施設サービスが必要な対象者を選ぶという視点ではないところで、施設側が不安なく介護できる対象者を選別するという結果になっていくことを懸念せざるを得ない。
現在考えられている職員配置は看護、介護職員とも利用者対比6:1で看護職員の夜勤も入所者60人に対し1名である。するとこの規準は現行の介護療養型医療施設の規準と何ら変わりなく、報酬が減った分をどこに根拠を求めるのか疑問である。
すると国は療養型の介護報酬より単価が低い新しい施設ではなく、現行の老健より単価が高い新しい施設として現行の療養型医療施設と同じ程度の職員配置を求める可能性が高い。
ただ規準を低く設定する方策として国は40人以下の小規模な介護療養型老健は看護職員については夜勤ではなくオンコールでも可という腹案も持っているが、実際に数の少ない小規模施設の規準だけを引き下げても報酬を現行の療養型より低く設定するアリバイ作りにはならないだろう。
(※もっともオンコール体制案については、利用者家族団体等から強い拒否反応が示されている)
そもそも老健=老人保健施設とは、歴史的に見れば在宅と施設を繋ぐ中間施設として誕生し、在宅復帰機能が一番重要であると考えられたものであったはずであるが、一部の施設を除いて、その機能は在宅と施設の中間施設ではなく、医療機関と特養等の施設を繋ぐ中間施設という性格を強く帯びて事業展開されてしまった、という事実がある。
評論家によっては「老健ができたために在宅復帰するべき患者が老健という施設に入所して施設利用者の増大を招いた」という意見を述べる人もいる。(その意見はいかがかと個人的には思う。)
しかし今回の介護療養型老健の誕生は、国・厚生官僚が老健施設という施設を作って展開しようとした過去の老人保健法における介護予防施策が失敗であったことを証明するものであると共に、その失敗を認めることなく老健自体の性格を大きく変えてしまい、介護保険制度をますますわかりづらい制度にしていることに他ならないと思う。
元を正せば何らかの疾患を抱えた高齢者が「急性期から回復期」を過ぎ「慢性期」という状態になったからといって医療対応が必要ではない、施設サービスは過剰サービスであるという論理自体がおかしい。
かつて、どの国も経験したことがない、人類史上初めての超高齢社会をわが国は迎えているのである。認知症高齢者の数も北欧の介護先進国といわれる国さえも経験したことがない状況を迎えているのが我が国の現状であり、それらの国のモデルは参考にならないところにきているのである。
慢性期の要介護者も、その多くは後期高齢者である。在宅サービスは重要だが、超高齢社会と少子化、核家族化社会がセットで進行しているわが国では、インフォーマルサービスに大穴が開いている現状がある。そのことを無視してフォーマルなサービスだけで在宅サービスは語れないし実際に人の生活をすべて支えてカバーできるわけがない。
こんなことを言えば多くの方から批判を浴びるかもしれないが、むしろ費用対効果からも、高齢者自身を支える生活の質、生命の維持という面からも、本当に必要なのは在宅サービスの充実以上に「慢性期疾患を持つ高齢者の暮らしの場」として終生施設が医療・介護両面から整備されることではないかと考えている。
それを逆に減らしていく今の施策では、介護難民どころか、行き着くところ「死」しか選択できない介護亡者が出現するだろう。死ねば「介護難民」はいない、ということになるんだろうか。
少なくとも現在の方向で、療養型医療施設の削減と廃止から、介護療養型老健と他の居宅サービスに患者をシャッフル移動しても、今後増え続ける団塊の世代から大量出現する要介護高齢者に対応できるシステムがないのは明白な事実なのだ。
この国の高齢者医療・介護はアクセルをフルスロットにして悲惨な状況へと向って福祉の視点のない道を走り続けている。
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