最近巷では介護保険制度の「普遍化」という言葉が聞こえてくる。

ではこの普遍化の意味するところはなんだろうか。普遍化によって何がどう変わるのであろうか。

厚生労働省老健局介護保険課長によればこの普遍化とは「介護を必要とする全ての人が年齢や要介護となった理由を問わず、公平にサービスを利用できるような制度に発展させること」だそうである。

「全ての人が年齢や要介護となった理由を問わず」という意味を考えれば見えてくるが、何のことはない、要するに普遍化とは高齢者を対象としている介護保険制度を、障がい者を含めた若年層のサービスと統合しようという意味である。

以前から議論されてきた介護保険制度と障がい者福祉制度の統合という考え方は、障がい者団体等の反発が強くて、なかなか国民的合意を得られないから障害者福祉制度との統合を「普遍化」という大義名分を得ることによって実現させ、それは即ち介護保険料の負担範囲を例えば20歳までというふうに対象年齢を引き下げる為の論理である。

05年に成立した改正介護保険法の付則には現在40歳以上となっている被保険者と受給者範囲について「09年度をめどに所要の措置を講ずること」とされ対象年齢拡大の検討が行われる旨が示されている。

しかし昨年早々に国は、09年度の報酬改訂では介護保険対象年齢の拡大(40歳からの対象年齢の引下げ)については「負担増となる企業や、障害者団体などの合意形成が難しく、法改正、自治体の準備期間などを考慮すると、さらに時間がかかると判断した。ただし、将来の拡大に向け、引き続き議論していく」として見送る方針を固めたとされている。

その背景には企業の負担増を懸念する経団連の反対の意向も強く意識されているものと考えられる。

しかし普遍化という理屈をつけることで「理解が深まった」ということを理由に統合ではない普遍化でその実現を図ろうというのだろうか。

このことで国民がしっかり理解しておかねばならないのは、概念を変え、統合から普遍化へ言葉が変わったとしても、結果として実現する新しい「形」には変わりがないということである。

仮に普遍化の名のもとに「全ての人が年齢や要介護となった理由を問わずサービス利用ができる」ということになる前提条件は、保険給付費財源である保険料を負担する層を大幅に拡大し、それには学生も障がい者も全て含まれ例外がないということである。

負担できるものであればよいが、搾れるものは搾り取るという論理で全てが決まってしまえば、この国に住まう様々な意味での社会的弱者は救われる術を持たない荒野に漂うだけの存在になってしまう危険性がある。

障がい者からも保険料を徴収するというが、障がい者がその負担ができる仕組みが本当に出来上がっているというのだろうか?そこが一番の疑問である。

国は単に言葉を変えたことによって、概念が変わったと一方的に喧伝するのではなく、普遍化が介護保険制度と他の福祉制度の統合と具体的にどう違うのかもっときちんと説明すべきである。

普遍化して障害者福祉制度がなくなって、介護保険制度にまとめられた途端に「介護保険は社会保険制度で社会福祉制度ではない」という介護給付費分科会委員であるどこかの大学教授が言っている詐欺のような論理でサービスの質を低下させるような欺瞞は許されない。

学者に対してのみではなく、国民に対して充分な説明を行った上での、国民レベルでの議論が不可欠である。

普遍化の名のもとに国民を騙すことはもう許されない。

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