慶應義塾大学の金子 勝教授といえば、マルクス経済学者というよりは、同じ慶応義塾大学教授の竹中 平蔵元大臣への批判の舌鋒が鋭い人として認知している人が多いかもしれない。テレビでもお馴染みの経済学者である。

氏の竹中批判は、とりもなおさず小泉・安部政権への政策批判でもある。ただその主張は政治論、経済論としては僕の理解の外にあり、著書を少し読んでみたが、非常に難解で解読不能な部分が多くて批評などおこがましくてできない。

ところで金子教授の政策提言の中で保健、福祉、医療に関連する部分として「社会のセーフティネット張替え論」というものがある。このことについて昨年大晦日の北海道新聞1面を飾る「時代の肖像」という特集記事の中で非常にわかりやすく紹介されていた。

社会保障についての今後の方向性の一つとして非常に面白い提言と思うので、同紙からの抜粋引用という形で皆さんにもその理論を紹介したい。意味を取り違えても困るので、僕の文章を入れずに道新の記事をそのまま一部転載する。

(北海道新聞・時代の肖像からの引用文〜ここから)
膨張する社会保障費、崩壊寸前の年金財政、地域医療の危機、広がる格差。「今は時代の大きな変わり目で、これまでの考え方が完全に行き詰まっている。それなのに政治も主流経済学も従来の原理に固執して、思い切った転換ができないでいる」。グルーバリズムをうたい、市場原理主義の旗印の下で進む規制緩和と「上げ潮路線政策」。
「市場が何とかしてくれるという考え方で、戦略があまりいらないのが市場原理主義。自己責任だ自立だと言うことは聞こえはいいけれど、人々が生きる現実はひどいことになっているじゃないですか。」
(中略)
市場原理主義に代わる新しい原理として、金子さんが主張するのが、社会のセーフティネット(安全網)張替え論だ。雇用、年金、医療などのセーフティネットが制度として機能していないと、市場そのものも破たんするという考え方。市場での安定競争とセーフティネットは相互補完関係にあるという経済的、社会的モデルだ。
「大きな政府か小さな政府か」「官か民か」「競争か平等か」といった旧来の二分法とは別の「第三の道」で、「福祉を拡充する小さな政府」も可能だとする。
(引用終わり)

僕の理解が正しいかどうかわからないが、少なくとも社会保障に関しては財政論からだけの見方ではない考え方が必要ということで、社会的なセーフティネットが機能しないと財政を支える国の経済そのものが破綻する可能性が高いもので、国が責任を持って国民の暮らしを支える仕組みを整える必要がある、ということではないかと思う。それが医療であり、福祉であり、年金である。

しかしながら現行の社会のセーフティネットは(市場原理主義の考え方によるのだろうが)自己責任論を前面に出して、応能負担から応益負担という名の下にズタズタに切り刻まれて、そこら中にほころびだらけになってきている。ここをきちんと社会的弱者を救済できるように張り替える必要があるということだろうと思う。

社会保障というものを資本主義経済の理論の中に飲み込んでしまってはまずいということではないだろうか。

ちょっと都合の良すぎる解釈かもしれないが、今後参考にする価値は十分にあろうと思う。

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