昨日の元旦は僕も出勤していたが、本州の介護施設では元日に利用者を「初詣」に連れて行くという書き込みが表の掲示板であった。

北海道の施設でも行っているところはあるかもしれないが、しかし現実的にこの寒さの中、長い列に並んでお参りすることは難しい。なにより利用者自身からそうした希望が出てこないから僕の施設では初詣に利用者を連れて行くことはしたことがない。

暖かい施設の中で過ごして正月の気分を感じてもらうことがせいぜいである。今年も元旦の午後は恒例の紅白歌合戦の再放送である。

もちろん独自で録画したものをホールの大画面で観るのであるが、大晦日の夜、眠ってしまって見逃した人などが鑑賞している。僕は紅白自体ほとんど観たことがないし(最近は格闘技専門で大晦日もダイナマイトを観ていた)興味もないが、現在の利用者の多くの方々にとって紅白はやはり特別な番組であるようだ。

ところでテレビ番組のことを少し書いてみたい。

インターネットの世界は日々進化しているが特に昨年1年で動画が非常に身近なものになったことは大きな変化ではないのだろうか。

そのソフトの充実振りには目を見張るものがあるが、動画がカバーする守備範囲も確実に広がっている。スポーツ中継も地上波、BS、CSという区分だけではなくネット中継が普通になって、プロ野球中継も我がファイターズの札幌ドームの主催ゲームはヤフー動画で毎試合完全中継しているのでテレビで見ることはほとんどなくなった。

そのほか僕は70年代、80年代のフォークソングを聞くために動画配信をよく利用しているが、音の質にそれほどこだわらなければ、お金がかからず多種多様な選曲が自由にできて非常に重宝している。

映画やドラマの無料ソフトも日ごとに増えており、テレビで再放送を期待する必要さえなくなりつつある

本来ネットと他の情報ツールは対立するものではなく、それぞれの特徴を生かして相互に補完しあう方向に向かっていくのであろうが、動画の充実振りを見ていると、近い将来テレビというツールはマイナーなものになっていくのではないかと感じてしまう。

特に、毎年変わり映えのない正月特番を垂れ流すこの時期のテレビ番組を見ているとその将来は暗いものに思える。

泡のように消えて行く裸の芸人の無意味なパーフォーマンスや、食べ物を単に大食らいするだけのみっともない女性タレントを毎日露出させるテレビ業界の姿勢は一般大衆が求めているものなのだろうか?

そうだとしたら視聴者はテレビに求めているのは、もはや情報としての価値ではなくなりつつあり、どうでも良い軽いものしか求めなくなっているのかもしれない。そういう意味では限りなく娯楽性のみを求める方向はあり得るのかもしれない。

その流れの背景とは自ら選ばなくとも流される情報だから、不快ではなく心に残らなくても素通りできる「軽いもの」であればよいということになるのかもしれないが、限りなくそれに迎合していった時、テレビというツールは表舞台から1歩も2歩も下がったところに位置せざるを得ないだろう。

少なくともネット動画がなかった時代のテレビの役割や地位がいつまでも残って続いていくと考えることは間違いだろう。

ところで最近、テレビで露出度が高い、いわゆる「大食いタレント」を呼んで公共のイベントを主催しているところがある。人寄せパンダにタレントを利用することを否定はしないが、大食いという何の意味もない破廉恥な行為を公共の場で行うのはいかがか・・。この国では昨年も生活保護を打ち切られた人が「おにぎり食いたい」というメモを残して餓死している現実があるのだ。

マスメディアに踊らされ恥ずべき意味のない行為を公費で運営する首長の見識が問わることになるし、こういう首長を有権者は選択すべきではないという意味では市民の見識も同時に問われてくる。

介護・福祉情報掲示板(表板)

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