今から4年ほど前、認知症高齢者の意思が確認できずに必要な医療サービスが提供できないことから、医療侵襲行為の同意を成年後見人にも認めるべきであるという議論があった。

そのきっかけになった2003年のとある新聞記事の一説である。(当時は痴呆と書かれていたものを認知症に修正して転記する。)

「認知症のお年寄りの治療をした医師の80パーセントが、治療を拒まれたり意思の確認ができなかったりした経験を持ち、認知症のお年寄りが必要な治療を受けられないでいる可能性のあることが医師や弁護士の調査で判った。
この調査は認知症高齢者の権利を守るために活動している医師や弁護士の研究会が、全国の医師3200人にアンケート調査をしたもので643人から回答があった。
それによると認知症の高齢者を治療をした際に、治療を拒まれたり意思の確認ができなかったりした経験があると答えた医師が、全体の81パーセントにのぼった。
また、家族に治療の同意を得ようとした際、治療を拒まれたり費用や介護の負担を理由に、必要な治療に同意してもらえなかったりした経験のある医師も73パーセントいて、認知症高齢者が、必要な治療を受けられないでいる可能性のあることが判った。
こうした実態を受けて、医師の2/3が成年後見制度を見直して、後見人に医療に同意する資格を与えるべきだと考えていることも判り、研究会では今後お年寄りが必要な医療を受けられるよう、成年後見制度の充実を訴えていくことにしている。」

(以上、転記記事はここまで。)

この記事を受けて、この問題を解決する為にも成年後見人に『医的侵襲を伴う医療行為』の同意権を付与せよという考えが示され、僕の管理サイト掲示板(今から2代ほど前の掲示板である)にも、そうした観点から問題提起が行われた。

しかし僕はこの考えには反対であるし、今もその考えに変化はない。

しかしこのことの議論が4年経っても何ら進展していないので、改めてここで問題提起の意味も含めて、認知症高齢者の医療侵襲行為の同意は誰が行うべきか、あるいは同意がなければすべての医療侵襲行為は行うべきではないのか、ということを考えて見たい。(だからこのブログに書いてある内容は、当時、掲示板に書いた僕自身のレスポンスの内容をそのまま転記している部分も多いのでご了承いただきたい。)

そもそも制限能力者の制度は、その人の「財産」を管理する制度であり、そのため改正民法も「身体への侵襲への同意権」は盛り込まれなかった。よって現行の成年後見制度においても「医的侵襲を伴う医療行為について同意権はない」というのが一般的な解釈である。

このことがこの問題の根底にあるという理解がまず必要である。

しかし認知症の方が適切な医療を受けられないという問題を、成年後見人に『医的侵襲を伴う医療行為』の同意権を付与することで解決しようとすることは、あまりにも短絡的である。

それは問題解決どころか、医療機関の責任を不明確にして、救われない認知症高齢者が逆にたくさんでてくるという問題を内包しているのである。そのことを考えないとこの問題の本質は明らかにならない。

僕は緊急時に医行為等が必要になったときの同意権については、成年後見制度の中で解決するのではなく、もっと一般的に柔軟に考えるべきであり、一般原則を用いた解釈論にゆだねるべきである、と主張したい。(民法改正時にも「身体への侵襲への同意権」は盛り込まなかったことは前述した通りであるが、それは何故か、ということも考えてほしい。)

なぜなら本来、必要な医療を受ける権利は他者による同意を伴なわなくとも、人の生きる権利とともに基本的人権として備わっていると考えるからである。つまり必要な医療提供は同意者がいる、いないで判断されるべきでなく、『医的侵襲を伴う医療行為』はその行為を行う専門家(つまりこれは医師しかあり得ない)が自らの使命、倫理観において専門的見地から判断されてしかるべきであると主張したい。

当然、その判断を尊重する法的基盤は必要であろうし、そうした方向で社会的なコンセンサスが形成されていくことが不可欠であろうと思う。

現状を鑑みた時、経済的状況から成年後見制度を利用できない認知症高齢者もたくさんいる。もし成年後見人に『医的侵襲を伴う医療行為』の同意権を与えたとしても、いったい全体の認知症高齢者の何%の方がその制度を利用できるのであろう?利用できない人は同意者がいないとして必要な医療行為を行わなくて良い、という理由付けにされる可能性がないのだろうか?

医学上の見地から最善の方法をとるというのが重要であって、誰が同意するか、しないかという見地で議論することは結果的には救われない多くの弱者を生み出す要因になるのではないか。

特に成年後見制度の対象とならない認知症でない方でも終末期には意思疎通が困難になり、そういう場合、適切な医療提供を専門職が責務として判断しないことには何の救いにもならない。

そういう新たな社会的弱者を生み出さない為にも成年後見制度という特定制度で解決するのではなく、一般原則を用いた解釈論で解決すべきだろうと思う。
(明日に続く)

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