明日、土曜は仙台に向かう。

宮城県がんセンター主催の「緩和ケア実践セミナー」(仙台市医師会館)での講演を依頼されており8日午後1時30分から90分お話させていただく予定である。

講演テーマは主催者側より「介護施設での看取りの導入とその実際」と指定されている。特に内容の中で当事者やご家族の意思の確認の仕方、看取りの同意書などについて、当施設の様々なケアの実践の工夫を入れて話してほしいとの希望がある。

おそらく看取り介護=近い将来に死が予測される、という部分から、当事者や家族への告知の問題を悩んでいる方が多いのであろう。本人への告知の問題は「看取り介護考〜死の告知。」「命の期限〜知りたいか、知りたくないか。」などで考えを示しているので、ここでは家族への告知と意思確認について考えて見たい。

僕は看取り介護を行う際に、家族の方々に同意を得る際に、一番必要なことは「あいまいさ」の排除であると話している。

家族に対しては医師から正確に現状説明がなされ、看取り介護に移行すべきではないかという判断が何故されたのか、そして医療機関で対応するとしたら、どのような治療処置が考えられるのか、施設でできること、できないことは何なのか、ということをきちんと説明した上で、家族が判断できる、という条件が最低限必要であると思っている。

そして施設で「看取り介護」を実施するということは、近い将来予測されるだろう死の瞬間というものが想定された中での介護であり、積極的な延命治療は行わず、施設の中で最期の瞬間まで安らかに過ごすことを目的としていることを明確に理解してもらうことが必要だし、それはキーパソンだけではなく、近しい家族はすべて共通の理解と認識を持っていただくことが必要であると考えている。

そうすることによってのみ、看取り介護の現場で家族が施設職員と共に、最期の瞬間を看取る行為に加わることができるのであり、そのことは極めて重要で必要なことであろうと思っている。

つまり看取り介護の現場では、施設から家族への「説明と同意」ではなく「相談と協働」の姿勢が必要である、という意味である。

看取りの現場に家族が協働で参加することが可能となるのが、介護施設の「看取り介護」の一つの特徴であり、意味であろうと思うからだ。だから施設側は、家族が宿泊できる支援にも気を使う必要があると思っている。

このことも講演の中で伝えたいと思う。

また主催者からは「施設の中で、管理者の理解がなかったり、同僚の協力も得にくかったり、医師の協力がなかったりと困難も多いようです。」という問題点の指摘もいただいているが、同僚や医師の協力を得る為には、施設全体で理念と共通認識を持って、この介護に当たる必要があり「管理者の理解がない」というのは致命的である。

理解がないのに何故、看取り、という人生で最も大切な場面に関わろうとするのか・・。これは大問題であり、そういう認識の管理者であってはならないとしかいようがない問題と思え、この点の解決方法の具体策はなかなか示すことが困難であると悩んでいる。

当日の会場定員は300人ということであるが、すでに先週時点で参加申込者が400人を超え、現在はお断りの対応に事務局が追われているという連絡をいただいて、非常に感心の高いテーマなんだなと改めて緊張感を持っている。

もちろん僕一人が演者ではなく、もう一人の(医師の方と思う)方の講演もあり、そちらの方が感心が深いのかもしれないが、とにもかくにも明日、仙台の皆様の前で期待の沿うように頑張るつもりなので仙台でお逢いする皆さん、是非よろしくお願いします。

天気は大丈夫かな?10時10分の飛行機で向かう予定で、順調なら12時には仙台駅に着くだろう。

講演の後、夜はゆっくり牛タンでも食べられるだろうか・・・。

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