
ギターのメーカーといえば、モーリスとかギブソンとかであるが、僕が買ってもらったギターも、モーリスと思っていたが、よく読むと「モラレス」・・・??違うメーカーであった。(笑)
当時、日曜の昼に、土居まさる司会の「TVジョッキー日曜大行進」という番組が流行っていて、その番組に「奇人変人」というコーナーがあり、そこに登場した人々には白いギター(後には青とか黄色になったが)がもらえて、それがうらやましかった。
チェリッシュの「白いギター」なんていう唄もあり、色つきギターにあこがれていたのか、僕はエンジ色のギターを買った。ピックガードを既製品からオリジナルのものに取り替えて、かなり目立つギターだったと思う。
それを高校2年生頃まで使っていたが、その後、誰かにやってしまったのか、今その所在は不明である。
さて、高校の時の同級生にユウジという友達がいて、おそらく岩見沢西高の当時の同級生の中では彼が歌唱力NO1であったろう。ギターテクはそこそこだが(僕よりははるかにうまいけど。)ともかく唄がうまい。まだ全然売れていない頃の松山千春をよく聴いていてコピーをしていたが、千春のオリジナルより、彼の唄の方が良く聞こえることもあった(いいすぎか!!)
《※この頃の千春がどれほど売れておらず無名だったかというエピソードとして僕の出身校の岩見沢西校の学園祭に河村通夫(現在北海道のラジオ番組のキャスターで活躍している)と5人衆というグループを呼んだことがあるが、隣町の栗山高校で松山 千春を呼んだが、当時は松山って誰よ?河村のほうが上だろうと思われていた。以上、余談です・・。》
彼は大学で放射線を学び、今、道東の大きな医療機関で放射線技師をしているはずだが、卒業後もOMR(オホーツクリズムマシーンの略らしい)というグループを作って活躍していた。
僕の結婚式では彼のオリジナルの唄を弾き語りで披露してもらったりした。(ちなみに彼の結婚式では僕は山口百恵の『秋桜・こすもす』を歌った。)
そんな彼は高校時代、僕の近所のクリーニング屋さんの娘で、僕らより1年先輩の同じ高校の家政科の彼女と付き合っていた。
そんな彼に対し、僕らのやっかみも含めて、うらやましい気持ちも込めながら彼をモデルに作った唄であり、ゆうちゃんとはハンカチ王子のゆうちゃんではなく、僕の同級生のユウジくんのことである。
ゆうちゃん
私の彼が言いました。
私にそっと言いました。
ヒトミちゃん 今度の土曜に
二人で 図書館に行こうって
君の苦手な数学 僕が教えてあげるよ
ゆうちゃん 私のゆうちゃん
ゆうちゃん 愛してる
ゆちゃん 私のゆうちゃん
ゆうちゃん 好きなのよ
(fu-fu-fu-fu-fufu-)
私の髪に口づけて
彼がそっと言いました
ヒトミちゃん、今度の日曜に
二人で サテンへ行こうって
君の哀しい話を 僕が聞いてあげるよ
ゆうちゃん 私のゆうちゃん
ゆうちゃん みつめてよ
ゆちゃん 私のゆうちゃん
ゆうちゃん いつまでも
(fu-fu-fu-fu-fufu-)
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