僕の手元に日本シリーズ第6戦・明日・土曜の3塁側内野指定席のチケットが3枚、空しく残っている。
もう1試合息子達と札幌ドームで声を枯らして応援したかったが、仕方がない。残念だが、今週まで夢を与え続けてくれたファイターズに今年も感謝しながら、来年に期待をしよう。ドラゴンズとドラゴンズファンの皆さんには心からお祝いを言いたい。・・派手に勝ってくれました。強かった!!
今年の最終ゲームが完全試合で負けるとは、守り勝ってきたファイターズの逆の一面として「打てない」という課題が最後まで克服できなかったことを示しているようだが、それも来期からの飛躍のスタートである。中田 翔という大型新人も入団するし、監督もかつてイテマエ打線を率いた梨田さんに代わる。チームも変わるが、明るくファンから慕われるファイラーズらしさを失わずに来期に向かってくれるだろう。昨日までの日本シリーズも来期からの肥やしである。
とにもかくにもファイターズに送る言葉は今期も「ありがとう!!」以外にない。
さて、肥やしといえば、我々にとって学生時代の実習がそれにあたるだろう。
僕の学生時代は主に児童福祉関連の勉強を中心にしていた。
単位取得に必要な介護実習先も児童相談所を選択して、4週間の実習を行った。そのとき経験した様々なことが、僕がこの道に入ったきっかけになったが、その時のことは「Think about my Daughter 」として4回に分けて書いている(参照:2005年12月のarchive ;ここの12月15日から18日分をご覧ください。)
ところが就職先が特別養護老人ホームに決まったとき、あわてて授業とは別に特養の実習をしたり、大学では特養に勤務経験があった助教授に個人授業を受けたり、にわか仕込みの詰め込み勉強をした覚えがある。
個人教授をしてくれた助教授の知り合いの方がいるということで、空知管内のある特養で、4週間、学校の実習とは別個の特別な実習をさせていただいた。相談援助業務の実習であるが、そこでは夜勤の状況を知るために夜勤実習もプログラムに入れていただいた。ところが仮眠時間に寝過ごしてほとんど朝まで寝てしまった、という失敗談もある。
学校の授業の実習でもないからであろう、担当の寮母さんには(当時の介護職員はすべてそう呼ばれていた)「あんまり気持ちよく寝てるから起こせなかったわ!!」と言われた。参りました!!
どちらにしても寮母さんからすれば、介護の知識も技術もない、にわか勉強の相談員実習生が、ウロウロ付き纏うより寝ててくれた方がまし、という僕自身の存在レベルの問題であったろう。しかし我ながら緊張感がないぞ、と自分を叱らねばならない問題である。
ただ、就職先が決まっての実習ということで、自分なりには、特養の相談員(当時は生活指導員)業務を覚えなければならないと考えていたので、それなりに真剣で必死であった。が、なにしろ右も左も分からないから、実習先の指導者の皆さんには夜勤実習以外にも随分迷惑をかけたと思う。
しかし本当に親身になって、丁寧に教えてくれたなあ!!
業務終了後に鍋を囲んでお酒も飲ましていただいたり、酔いつぶれて担当者の方のご自宅に泊まらせていただいたりもした。今でも感謝に絶えない。ありがとうございます。そこでの経験が、今の僕の考え方の根幹になっている。
措置費の時代だから、事務的な書式の取り扱いも随分覚えることがあったが、僕が就職する施設は新設であったから、書式も何も整っていなかったので、全ての書式を、この実習先からいただいて当施設の様式にした。
使いやすいように変えても良い、といわれたが、どこをどう変えるのかさえも皆目見当がつかない状況であって、施設名だけを変えて、そのまま使用させていただいた。印刷が間に合わない書類は、今のようにワープロソフトで作れるという時代でもなく、タイプライターなんて使い方も分からず、結局、手書きで公文書を作って、各実施機関に送った。だから当時の「収容引き受け所」(特養への入所を収容と呼んでいた時代である)は、すべて手書き文書である。受け取った市町村の担当者も「なんだこれは」と思われたことだろう。
今では、その当時の書式で残っているものはないし、ほとんど必要な書式は施設のオリジナルで独自に作っているが、当時の実習先で、指定様式も条件さえ整っておれば、独自の使いやすいものに変えて使ってよい、という意識を自然と身につけさせていただいたことが、僕なりの柔軟な発想の源になっていると考えている。
指定書式からものを考えるのではなく、現場から考える記録の意味や書式のあり方、という発想が本来求められるべきものであろうと結論付けている。
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もう1試合息子達と札幌ドームで声を枯らして応援したかったが、仕方がない。残念だが、今週まで夢を与え続けてくれたファイターズに今年も感謝しながら、来年に期待をしよう。ドラゴンズとドラゴンズファンの皆さんには心からお祝いを言いたい。・・派手に勝ってくれました。強かった!!
今年の最終ゲームが完全試合で負けるとは、守り勝ってきたファイターズの逆の一面として「打てない」という課題が最後まで克服できなかったことを示しているようだが、それも来期からの飛躍のスタートである。中田 翔という大型新人も入団するし、監督もかつてイテマエ打線を率いた梨田さんに代わる。チームも変わるが、明るくファンから慕われるファイラーズらしさを失わずに来期に向かってくれるだろう。昨日までの日本シリーズも来期からの肥やしである。
とにもかくにもファイターズに送る言葉は今期も「ありがとう!!」以外にない。
さて、肥やしといえば、我々にとって学生時代の実習がそれにあたるだろう。
僕の学生時代は主に児童福祉関連の勉強を中心にしていた。
単位取得に必要な介護実習先も児童相談所を選択して、4週間の実習を行った。そのとき経験した様々なことが、僕がこの道に入ったきっかけになったが、その時のことは「Think about my Daughter 」として4回に分けて書いている(参照:2005年12月のarchive ;ここの12月15日から18日分をご覧ください。)
ところが就職先が特別養護老人ホームに決まったとき、あわてて授業とは別に特養の実習をしたり、大学では特養に勤務経験があった助教授に個人授業を受けたり、にわか仕込みの詰め込み勉強をした覚えがある。
個人教授をしてくれた助教授の知り合いの方がいるということで、空知管内のある特養で、4週間、学校の実習とは別個の特別な実習をさせていただいた。相談援助業務の実習であるが、そこでは夜勤の状況を知るために夜勤実習もプログラムに入れていただいた。ところが仮眠時間に寝過ごしてほとんど朝まで寝てしまった、という失敗談もある。
学校の授業の実習でもないからであろう、担当の寮母さんには(当時の介護職員はすべてそう呼ばれていた)「あんまり気持ちよく寝てるから起こせなかったわ!!」と言われた。参りました!!
どちらにしても寮母さんからすれば、介護の知識も技術もない、にわか勉強の相談員実習生が、ウロウロ付き纏うより寝ててくれた方がまし、という僕自身の存在レベルの問題であったろう。しかし我ながら緊張感がないぞ、と自分を叱らねばならない問題である。
ただ、就職先が決まっての実習ということで、自分なりには、特養の相談員(当時は生活指導員)業務を覚えなければならないと考えていたので、それなりに真剣で必死であった。が、なにしろ右も左も分からないから、実習先の指導者の皆さんには夜勤実習以外にも随分迷惑をかけたと思う。
しかし本当に親身になって、丁寧に教えてくれたなあ!!
業務終了後に鍋を囲んでお酒も飲ましていただいたり、酔いつぶれて担当者の方のご自宅に泊まらせていただいたりもした。今でも感謝に絶えない。ありがとうございます。そこでの経験が、今の僕の考え方の根幹になっている。
措置費の時代だから、事務的な書式の取り扱いも随分覚えることがあったが、僕が就職する施設は新設であったから、書式も何も整っていなかったので、全ての書式を、この実習先からいただいて当施設の様式にした。
使いやすいように変えても良い、といわれたが、どこをどう変えるのかさえも皆目見当がつかない状況であって、施設名だけを変えて、そのまま使用させていただいた。印刷が間に合わない書類は、今のようにワープロソフトで作れるという時代でもなく、タイプライターなんて使い方も分からず、結局、手書きで公文書を作って、各実施機関に送った。だから当時の「収容引き受け所」(特養への入所を収容と呼んでいた時代である)は、すべて手書き文書である。受け取った市町村の担当者も「なんだこれは」と思われたことだろう。
今では、その当時の書式で残っているものはないし、ほとんど必要な書式は施設のオリジナルで独自に作っているが、当時の実習先で、指定様式も条件さえ整っておれば、独自の使いやすいものに変えて使ってよい、という意識を自然と身につけさせていただいたことが、僕なりの柔軟な発想の源になっていると考えている。
指定書式からものを考えるのではなく、現場から考える記録の意味や書式のあり方、という発想が本来求められるべきものであろうと結論付けている。
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masaさんの息子さん達は残念だったでしょう。来年はご子息の分のチケットを買い忘れないように気をつけてください。懐具合が心配にならないように、今からコツコツと・・・ですね。