11月に岐阜で行われる全国老施協主催の研究会議の案内をみていた。
僕にとっては「介護刷新」という大テーマ自体も、その意味と現状の方向性を鑑みると、あまりピンとこないのであるが、基調講演などの内容は、それなりに興味深いと思った。
前三重県知事の北川 正恭氏の組織改革などの講演は僕も機会があったら聞いて見たいと思う。老施協の幹部の皆さんが「組織改革」というテーマをどのように感じるかも興味深いところである。是非実践してもらいたい。
残念ながら今回は参加できないけれど・・。そう思いながら各分科会のテーマなどを見ていると「重度化対応の課題と実践」という分科会では看取り介護をテーマにしていることがわかった。
ただその内容を見ると、そのテーマに違和感を覚えざるを得ない。細かいことであるが「看取り介護における本人・家族への啓蒙」「看取り介護の心得と作法」となっている。
ぼくはこの啓蒙と作法という言葉にどうも納得がいかない。
家族に何を啓蒙せよというのであろうか?そもそも啓蒙とは「人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。」という意味である。我々の実践の意味を正しく伝えることは必要だが、看取り介護の現場で家族に対し「教え導く」ことが必要なんだろうか。そのことができるんだろうか。
看取り介護の現場においては、我々が本人や家族を教え導くよりも、本人や家族から「教え導かれる」事柄の方が多いように感じる。啓蒙というような上から見下ろすような態度で、看取り介護の場に関わるのは大いに違和感を持つのである。
看取り介護をテーマにした講演を行うことがあるが、その際に僕は、霞ヶ関南病院長・斉藤 正身先生の言葉を借りて、看取り介護の場では利用者や家族に対して「説明と同意」で終わらず「相談と協働」が必要であることを強調している。
施設の職員が、対象者やその家族とともに、その場で本当に個人に必要な援助をともに考え、協働で悔いのないサービス提供に努めることが必要だと思うのであり、そこでは一方的な指示、命令の関係ではなく、双方向から伝え合って最も必要な支援体制を整えていくことが求められているんだと考えている。
それはまさに介護に関わるものの真摯な態度であって、作法ではない。作法という言葉を「礼儀」という意味で使っているんなら、そもそも「礼儀」という言葉そのものを用いればよいし、作法といえば本来は「きまり。しきたり。」という意味である。
これは言葉遊びでもなく、言葉狩りでもない。意識の問題である。
そのことをしっかり認識しないと、大事な看取り介護の場で利用者不在の、算定ルールだけが重視されるおかしな介護が横行してしまう。それが恐いのである。
看取り介護を行うという意味は、施設の収入とか利益などを超越したところで、利用者の望まれるサービスを完結する結果として、その方々が望まれる支援を最期まで、施設ができる範囲でやり遂げると言う意味があり、施設の理念に基づくサービス提供ではあっても、それは施設側が考える価値観を家族に押し付けることではないし、そこでは利用者や家族と介護支援者がともに考え、ともにスクラムを組む態度と意識が必要だ。
形としての作法ではなく、意識としての協働を構築する職員のコンセンサスと真摯な態度を育む看取り介護の理解が求められるだろう。
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僕にとっては「介護刷新」という大テーマ自体も、その意味と現状の方向性を鑑みると、あまりピンとこないのであるが、基調講演などの内容は、それなりに興味深いと思った。
前三重県知事の北川 正恭氏の組織改革などの講演は僕も機会があったら聞いて見たいと思う。老施協の幹部の皆さんが「組織改革」というテーマをどのように感じるかも興味深いところである。是非実践してもらいたい。
残念ながら今回は参加できないけれど・・。そう思いながら各分科会のテーマなどを見ていると「重度化対応の課題と実践」という分科会では看取り介護をテーマにしていることがわかった。
ただその内容を見ると、そのテーマに違和感を覚えざるを得ない。細かいことであるが「看取り介護における本人・家族への啓蒙」「看取り介護の心得と作法」となっている。
ぼくはこの啓蒙と作法という言葉にどうも納得がいかない。
家族に何を啓蒙せよというのであろうか?そもそも啓蒙とは「人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。」という意味である。我々の実践の意味を正しく伝えることは必要だが、看取り介護の現場で家族に対し「教え導く」ことが必要なんだろうか。そのことができるんだろうか。
看取り介護の現場においては、我々が本人や家族を教え導くよりも、本人や家族から「教え導かれる」事柄の方が多いように感じる。啓蒙というような上から見下ろすような態度で、看取り介護の場に関わるのは大いに違和感を持つのである。
看取り介護をテーマにした講演を行うことがあるが、その際に僕は、霞ヶ関南病院長・斉藤 正身先生の言葉を借りて、看取り介護の場では利用者や家族に対して「説明と同意」で終わらず「相談と協働」が必要であることを強調している。
施設の職員が、対象者やその家族とともに、その場で本当に個人に必要な援助をともに考え、協働で悔いのないサービス提供に努めることが必要だと思うのであり、そこでは一方的な指示、命令の関係ではなく、双方向から伝え合って最も必要な支援体制を整えていくことが求められているんだと考えている。
それはまさに介護に関わるものの真摯な態度であって、作法ではない。作法という言葉を「礼儀」という意味で使っているんなら、そもそも「礼儀」という言葉そのものを用いればよいし、作法といえば本来は「きまり。しきたり。」という意味である。
これは言葉遊びでもなく、言葉狩りでもない。意識の問題である。
そのことをしっかり認識しないと、大事な看取り介護の場で利用者不在の、算定ルールだけが重視されるおかしな介護が横行してしまう。それが恐いのである。
看取り介護を行うという意味は、施設の収入とか利益などを超越したところで、利用者の望まれるサービスを完結する結果として、その方々が望まれる支援を最期まで、施設ができる範囲でやり遂げると言う意味があり、施設の理念に基づくサービス提供ではあっても、それは施設側が考える価値観を家族に押し付けることではないし、そこでは利用者や家族と介護支援者がともに考え、ともにスクラムを組む態度と意識が必要だ。
形としての作法ではなく、意識としての協働を構築する職員のコンセンサスと真摯な態度を育む看取り介護の理解が求められるだろう。
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感動の完結編。
